オスプレイの沖縄配備について
日本政府が安全宣言をしたオスプレイが岩国基地周辺でいよいよ試験飛行を始めるという。オスプレイは最終的にアメリカが沖縄の普天間基地に配備を進めているヘリコプターと飛行機の二つの要素を持った新型輸送機だが、アメリカやモロッコで相次いで事故を起こしていることもあって、住宅地のど真ん中にあ米軍基地である。それだけに沖縄はオスプレイ配備に猛反対している。琉球新報は9月9日の「オスプレイ配備に反対する県民大会」開催にあわせて号外を出している。タイトルは「オスプレイ拒否 配備反対、怒り結集」であった。
「オスプレイ配備に反対する県民大会」(主催・同実行委員会)が9日午前11時から宜野湾海浜公園で開かれた。墜落事故が相次ぐ垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの県内配備を許さない沖縄の民意を発信するため、一般県民や労働組合、経済界など県内外から数万人が集まり会場を埋め尽くした。10月の本格運用開始を強行しようとする日米両政府に、党派を超えて配備計画の撤回を求める歴史的大会と位置付けられる。オスプレイ配備計画の撤回と普天間飛行場の閉鎖・撤去を要求する決議を採択する。
私は千葉県船橋市に住んでいるが、もし自衛隊習志野駐屯地に現段階でオスプレイが配備されることになれば、沖縄県民同様に反対を表明することだろう。自分の街に基地があることを想像すれば、オスプレイ配備は誰だって反対なのではないだろうか。ただし、この反対は自分の街にオスプレイがやって来ることに対してである。他所の街に配備されるのであれば、その街の住民は気の毒であると同情はしても、アメリカ軍が日米安保条約に則って日本を守っている以上、最終的には仕方ないとする日本人が私も含めて大半なのではないだろうか。アメリカ軍が日本にとって役に立つことは東日本大震災の「トモダチ作戦」でも実証済みである。このようにして日本の本土は沖縄にアメリカ軍を押しつけて来た。オスプレイ配備には賛成だが、オスプレイが沖縄の、しかも住宅密集地帯にある普天間基地に配備されることには絶対反対だという声は殆ど聞えて来ない。聞えて来るのは何が何でもオスプレイ配備反対という声ばかり。しかし、日本が日米同盟を基軸としている国家である限り、オスプレイ配備をアメリカに断念させることは、ほぼできないと言って良いだろう。それでなくても日本はアメリカ以外の隣国とはそれこそ武力衝突にすら発展しかねない深刻な国境・領土問題を抱えていることを多くの国民は竹島問題や尖閣諸島問題で思い知った。それは今すぐにアメリカとの関係を断ち切ることなどできないということでもある。残念ながら日本政府が安全性を確認した時点でオスプレイを引き受けないわけにはいくまい。ということは、オスブレイ配備反対を叫んでいるだけでは、沖縄の怒り、悲しみ、痛みを全く理解できずに終るということだ。こうした感情を少しでも理解していたのであれば、ここまで在日アメリカ軍を沖縄に集中することはなかったはずである。何しろ日本本土でアメリカ軍基地反対の運動が高まると、当時の自民党政権は沖縄に基地を押し付けることで(つまり、沖縄が返還されていないのを良いことに沖縄を犠牲にすることで)、基地反対運動を抑えていったのである。いずれにしても、日米同盟を生命線とせざるを得ない日本の現状を考えるのであれば、オスプレイ配備に関して反対にとどまっているだけでは、実は何も言っていないに等しいのである。オスプレイ配備に関して、賛成派であろうと、反対派であろうと、どうしてもアメリカが配備を強行するというのであれば、せめて沖縄を回避することだけは要求すべきなのではないだろうか。政治家はもちろんのこと沖縄以外に住む人々は、このことにあまりにも鈍感である。9月20日付琉球新報は社説で次のように述べている。
日米両政府は、21日にも一時駐機先の山口県岩国基地で試験飛行を始め、沖縄への配備を遮二無二強行しようとしている。
ごく限られた地域に、他の大多数の地域が恩恵を受ける安全保障の犠牲を負わせ続け、その重圧に苦しむ人々の叫びを無視して恥じない為政者の姿がくっきりした。
琉球新報の報道によればアメリカの新聞、ニューヨーク・タイムズは電子版で、9月14日、普天間飛行場へのオスプレイの配備計画をめぐり、米政府に対して「米軍駐留の負担を背負ってきた住民の古傷に塩を擦り込むようなものだ」と批判し、「米国は沖縄の負担軽減の義務があり、県民の不安に耳を傾けるべきだ。それは配備先を(沖縄以外の)別の場所にすることから始まる」とした社説を掲載したという。日本の大新聞にこうした内容の社説が掲載されることは私の知る限りなかった。それこそわが船橋市を選挙区とする首相の野田佳彦はオスプレイの船橋配備ぐらいアメリカに打診すべきではなかったのか。そうすることなしに総てを沖縄に押し付けているのは、日本が沖縄を植民地扱いにしているに等しいと私は考えている。
日本が「琉球王国」を併合したという歴史を忘れてはなるまい。しかし、当時の清国(中国)はこれを認めなかったため、明治政府は宮古・八重山諸島は中国領土とするかわりに沖縄諸島以北を日本領土とするという「分島・増約案」を伝え、当初は反対していた中国も同意し、日中の調印寸前にまで至ったのである。参考までに「沖縄の歴史」(http://rca.open.ed.jp/history/story/hisindex4.html)から引用しておこう。
清国から琉球問題の調停依頼を受けた米国前大統領のグラントは、伊藤博文ら政府高官と協議し、日清交渉をとりつけました。その交渉の場で日本側が出した案が、日本の中国国内での欧米なみ通商権を認めることと引きかえに、宮古・八重山を中国へ引きわたす、というものでした。これがいわゆる「分島・増約案」です。
交渉は難航しましたが、ロシアとの国境紛争も抱えて早期解決を望んでいた清国側は、やむを得ず日本案を受け入れることに同意しました。
1881(明治14)年2月、両国の代表が石垣島でおち合い、正式に宮古・八重山の土地・人民を清国に引きわたすことになりました。
しかし、いざ調印の段階になると、清国側は国内の混乱や日本の東アジア進出の危機感をおぼえて調印をためらいました。また、琉球の清国亡命者の再三の請願書も影響して、結局は正式調印されることなくこの条約は棚上げされました。
もし条約が正式調印されていれば、宮古島や石垣島は中国領土になっていたのである!ちなみに尖閣諸島にしても、日本政府が沖縄県の要望に従い同県に編入するのは日清戦争に勝利した後の1895年になってからである。その10年も前から沖縄県は編入を望んでいたにもかかわらず、である。実は私たちは沖縄にかかわる歴史について、ほとんど無知なのである。沖縄の歴史に無知なればこそオスプレイを沖縄に平気で押し付けてしまうのである。