小学館が『三浦綾子 電子全集』を配信!

9月11日午前10時に羽田空港集合。行き先は旭川旭川動物公園に観光に行くわけではない。一応、仕事だ。小学館三浦綾子の個人全集を電子書籍として配信することを決め、その記者会見を旭川で開催することになり、東京からのプレスツアーが企画されたのだ。これに私も紛れ込んだという次第。正直に告白するが、私はこれまで『氷点』も『塩狩峠』も『銃口』も読んでいなかった。三浦綾子とは『氷点』をテレビドラマで見た程度の接点しか持ち合わせていなかった。折角、旭川くんだりまで出かけるのだからと、私は慌てて代表作の何点かに目を通した。
午後1時前には旭川空港に到着。ここからバスで向かったのが三浦綾子記念館である。
三浦綾子大正11年(1922)4月25日、旭川市に10人兄弟の第5氏として生まれる。三浦は旭川市で堀田綾子として生まれ、旭川市で亡くなっている。平成11年(1999)10月12日、多臓器不全のため旭川リハビリテーション病院で逝去。今年が生誕90年に当たる。小学館も今年創業90周年。小学館は末広がりの8月8日創業だから、三浦のほうが少しばかり先輩だ。
午後2時半前には国有林の中に立つ三浦綾子記念館に到着した。
「みたところ見本林はひっそりとして、子供達の声も姿もなかった。この見本林というのは、旭川営林局管轄の国有林である。
北海道最古の外国針葉樹を主とした人工林で、総面積18.42ヘクタールほどある。樹種はパンクシャ松、ドイツトーヒ、欧州赤松など15,6種類もあり、その種類別の林が連なって大きな林となっている。
見本林の中には管理人の古い家と赤い屋根のサイロと牛舎が建っていた。
辻口家は、この見本林の入り口の丈高いストローブ松の林に庭続きとなっている」
三浦綾子を小説家として世に送り出すことになった『氷点』の一節である。三浦にとって遺作となった『銃口』にしてもそうだが、旭川は小説の舞台でもあった。
「竜太の家は祖父の代からの質屋で、旭川の質屋では五本の指に入ると、幼い時から聞いてきた。何でも旭川には三十数軒の質屋があるそうだから、裕福なほうなのだろう。黒塀に囲まれたがっしりとした門構えで、仲通りに沿って北森質店は建っていた。軒先に『志ちや』と紺に染め抜いたのれんが下がっている」(『銃口』)
三浦光世館長が私たちを出迎えてくれた。柔和な表情がいかにもキリスト者に相応しかった。三浦綾子が言うには「結婚したからといって、その日から二人は完全な夫婦になったわけではない。毎日努力して一生かかって本当の夫婦になっていく」のであるし、「夫婦っていうのは、嵐吹くときが大事だ。嵐吹く時も、晴れの日と同じようにしっかり心が結ばれていなくてはならない」のだ。聖書にもこうある。
「愛は肝要であり、愛は情け深い。ねたむことをしない。愛は高ぶらない。誇らない。不作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない。恨みを抱かない。不義を喜ばないで、真理を喜ぶ。全てをしのび、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える」
堀田綾子は昭和34年(1959)、三浦光世と旭川六条協会で結婚し、三浦綾子となるのだ。昭和36年に旭川市豊岡2条1丁目に新居を建て、そこで小さな雑貨店を営んだ。昭和38年、朝日新聞が募集していた1千万円懸賞小説に応募した『氷点』が見事、当選を果たす。ここから『氷点』ブームが巻き起こる。朝日新聞に『氷点』は連載され、テレビドラマ化され大ヒット、映画にも舞台にもなった。執筆活動の拠点ともなった旭川市豊岡2条1丁目の旧宅は現在、三浦の代表作のひとつである『塩狩峠』の舞台となった和寒町塩狩駅近くに「塩狩峠記念館」として復元されている。『塩狩峠』には、こんな台詞が出て来る。
「人間には、命をかけても守らなければならないことがあるものだよ。わかるか?」
光世館長は命をかけて三浦綾子を守って来たにちがいない。そう展示を見ながら思った。光世館長によれば三浦綾子は病の百貨店だったそうだが、『塩狩峠』を連載中にペンが持てなくなり、それ以降、光世が口述筆記するというスタイルで多くの作品が世に送り出された。まさに二人三脚である。二人の愛情の深さと清らかさが伝わって来る展示である。
「ココロがどす黒いオレたちには無縁の世界だよな」
参加者の一人がつぶやく。だからこそ私たちは『塩狩峠』を読むと、それが錯覚に過ぎなくとも、心が洗われたように感じる。『塩狩峠』の文庫の帯には三浦親子の希望で次のような聖書の一節が書かれている。
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」
こうした一節を「叛逆の論理」としてしか読めないのが、この私である。私の頭の中ではキリストもゲバラもゴッチャなのである。私は三浦綾子の読者たる資格がないのかもしれない。宗教は好きなのだが、信仰がダメなのだ。記念館に行けばわかるし、代表作を読めばわかるが、三浦綾子の信仰は深い。
三浦綾子記念館を1時間ほど見学したあと、私たちはバスで記者会見場となる旭川グランドパレスに向かう。
午後5時半、いよいよ記者会見が始まり、『三浦綾子 電子全集』の概要が明らかになった。三浦綾子の絵本を除く全単独著作80作品91点を10月12日より、月に2回、10点ずつのペースで配信し、来年6月には完結させるという。
これまで三浦作品の全累計部数は約4300万部にも及ぶという。物凄い数だ。私など本を出しても初版3000部がやっとである。もっとも、そんな人気作家にしてからが、没後10数年を経てみると書店で買えない作品も増えてきたという。新刊ばかりが溢れかえっているという今の出版情況を象徴している話だ。三浦綾子の場合、80作品の単独著作のうち約半分の38作品は絶版状態だという。しかし、こうした作品を読みたいという声が三浦綾子記念文学館には多数寄せられているそうだ。ちょうど小学館三浦綾子の生誕90年を祈念して未発表エッセーを集めた『丘の上の邂逅』の編集を担ったが、この折に三浦綾子記念文学館側から絶版状態となった作品が多くなったので電子書籍として残せないものかと小学館に相談したところ、全集であれば是非、引き受けたいという話になり、この企画は実現したという。小学館からすれば文芸の領域で個人全集を手がけるのは紙の書籍を含めて初めてのケースである。
しかも、三浦の遺作となった『銃口』は小学館の『本の窓』で1990年1月号から1993年八月号まで37回にわたって連載され、文芸出版に関しては後発と言われた小学館にとって画期をなす作品でもあった。小学館佐藤正治取締役によれば「文芸の礎となった」作品なのである。加えて『銃口』の主人公の職業は教師である。わが国の初等教育学年誌をはじめ様々な出版活動で支えて来た小学館に相応しい文芸の礎であったのだ。
「竜太、人間はいつでも人間でなければならない。獣になったり、卑怯者になったりしてはならない。私はこの度ほどそう思ったことはないよ。竜太、苦しくても人間として生きるんだぞ。人間としての良心を失わずに生きるんだぞ」(『銃口』)
銃口』は小学館文庫の創刊ラインナップにも加わり、上下巻で合計して50万部売れた。
第一回の配信は10月12日で『氷点』上下、『銃口』上下である。価格は全作品ともに500円という求めやすい値段である。また作品の電子全集化にあたり、三浦綾子記念文学館所蔵の秘蔵写真や、三浦光世氏館長による創作秘話なども三浦ファンにとってはたまらない追加編集もなされる。ファイル形式はXMDFとEPUB3であり、電子書籍端末、スマートフォンタブレット端末、パソコンというようにどんな端末でも読める。80作品の内訳は小説40、随筆35、語録4、歌集1である。「かたまり」で出版できるのは電子書籍の魅力のひとつである。
記者会見とパーティーに出席した後、私は一人で旭川の夜の街に出ることにした。どす黒いココロを強い、強い酒精で清めるために、である。