尖閣諸島に台湾の漁船と巡視船が現れた!ますます強まる日本の排外主義!何故に左派、リベラルに「橋下徹」が現れないのか?

台湾の漁船が40隻と巡視船12隻が尖閣諸島沖に現れ、日本の海上保安庁の巡視船が漁船に対して、領海侵犯を理由に放水したところ、これに対して台湾の巡視船三隻が海保の巡視船に対して相次いで放水で応じたという。「国連海洋法条約など国際法では、相手国政府の船(公船)に対する立ち入り検査や航路規制などの実力行使はできない」にもかかわらず、海保の巡視船は放水を受けたわけである。もっとも、台湾は国連の構成国ではなく、日本もまた台湾を国家として認めていない。日中国交回復で日本は「中国はひとつ」の立場を取っている。台湾は日本にとって「地域」に過ぎない。そういう意味では日本の海保は虚をつかれたと言って良いだろう。日本と台湾の間に交流はあっても、国交はないのである。新聞が「日本側の対台湾窓口機関である交流協会が『公船への不可侵という国際慣習法に反する行為』として台湾側に抗議した」(9月26日付朝日新聞)と書くのは、そのためである。一方、台湾の海外巡防署(台湾の海保である)は次のような見解を朝日新聞の取材に対して述べたという。

法律によって国民とその船舶の安全を守っている。日本側が妨害してくれば、同じ程度をもって妨害を排除する。

日本の隣国にあって、日本は国家として認めていないものの、最も親日的なのが台湾であると言われている。それは東日本大震災に際しても、テレビを通じて積極的に募金を募ったのは台湾であったし、台湾の女性誌の大半は、日本の女性誌の台湾版であることからもうかがわれる。しかし、その一方で尖閣諸島を巡って、日本と対立していたのが台湾でもある。中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは、その周辺の海域に石油などの資源が眠っていることが明らかになった1970年代からだが、それ以前に台湾と当時のアメリカ占領下の沖縄はトラブルを起こしている。そう沖縄が日本に返還される以前から、尖閣諸島の周辺海域における漁業権をめぐって沖縄と台湾は対立していたのである。しかも、死者まで出しているのだ。
昭和30年(1955)3月2日に起きた第三清徳丸事件である。8月20日のエントリ「忘れられてしまった悲劇―第一大邦丸事件と第三清徳丸事件」に書いたように魚釣島沖で中華民国(当時、日本が中国と認めていたのは中華人民共和国ではなく、台湾のほうであった)の2隻のジャンク船が操業中の第三清徳丸に救助を求めてきたので、第三清徳丸は曳航すべく接舷したところ、ジャンク船から第三清徳丸に武装した2名が飛び移り、船長と船員合わせて2名を射殺してしまったのである。加えて射殺を逃れるべく海に飛び込んだ船員7名のうち2海里離れた魚釣島まで泳いで辿りついたのは、3名に過ぎず、4名は海の藻屑として消えてしまったのである。日本に沖縄が返還される以前の出来事であったということもあってか、尖閣諸島をめぐる中国とのトラブルにかかわる報道で、この事件はあまり触れられて来なかったと思うが、この第三清徳丸事件を踏まえれば、次のような9月26日付産経新聞の社説も全面的ではないにせよ納得できる。もちろん、「台湾の尖閣領有の主張は中国と同様、国連機関の調査で付近の海底に大量の石油資源埋蔵の可能性が判明した昭和43年以降だ。法的、歴史的な根拠は全くない」としたうえでのことではあるけれど。

ただ、台湾漁船側の主張には、耳を傾けざるを得ない側面もなくはない。尖閣周辺が台湾の伝統的漁場で、漁民の生活にかかわる問題である点だ。
日中間の漁業協定では、中国が領有権を主張する尖閣諸島の日本領海外の海域に「暫定措置水域」を設け、双方は相手国の漁船に対して自国の法令を適用しない。これに対し、日台間には漁業協定がない。そのため、台湾漁船が日本の排他的経済水域EEZ)内で操業すれば摘発され、台湾側は問題視してきた。
領土と主権で日本は譲歩してはならない。漁業面での取り決めに再検討の余地があるならば、日台間で交渉を再開し、操業秩序の確立を含む解決を模索すべきだ。それが日台の切り離しを狙う中国の狙いを阻むことにもなる。

産経新聞は日台間の漁業協定を結ぶべく交渉を再開すべしというわけだが、交渉を再開することは不可能ではあるまい。しかし、日中韓尖閣諸島問題がここまで大きくなってしまった以上、漁業協定といえども、日台の主張や認識に横たわる隔たりは逆に広がるばかりなのではないだろうか。台湾が尖閣諸島問題について中国よりも強硬な姿勢を取り得る可能性もあるのではないだろうか。確かに日台間に日中間と同様な漁業協定はあってしかるべきだが、台湾の巡視船が日本の巡視船に放水で応じたことの「意味」を考えるのであれば、下手をすると領土・国境問題における中韓台の日本包囲網が結果的に形成される可能性もあるのではないか。いずれにしても、現在、日中台を問わず、その国なり地域の人が誰一人として住んでいない小さな無人島をめぐって犠牲者を出すような愚かな事態だけは何としても避けねばなるまい。
それにしても自分たちでは「行動する保守運動」と自称している「在日特権を許さない市民の会」などの排外主義が隣国との領土・国境問題を通じて勢力を増しそうな嫌な空気が社会の一部では流れ始めている。これは笠井潔ツイッターで指摘しているように「日本人が終戦と敗戦の自己分裂から解放されようとしている事実を示している」のだろう。すなわち―。戦争に負けたにもかかわらず、負けていないという認識が敗戦ではなく終戦という言葉を定着させたが、それは日本人が引き起こした自己分裂の結果であり、左右を問わず、この自己分裂であり、ダブルスタンダードに規定されていたのが戦後だったとすれば、右派はそこから解放されようとしているのである。私流に言うのであれば右派は「言っていること」と「やっていること」の間に横たわっていた落差を解消しはじめたのである。その大衆的な象徴が、そう橋下徹なのである。ところが左派、リベラルは自己分裂の所産である戦後民主主義や戦後平和主義にしがみつくばかりで、戦後からの出口を見いだせないでいる。いや、左派、リベラルの反動部分は相変わらず、戦後からの出口を見いだそうともしていない「保守」に堕落しているのだ。橋下徹批判が一介の庶民にリアリティをもって伝わって来ないのは、このためである。
例えば橋下が大阪府知事時代に府立学校の卒業式において「君が代斉唱時の起立を教員に義務づける条例」を成立させた際にこの全国初の条例が日本国憲法19条にある「思想及び良心の自由」に抵触するという程度の批判で思考停止してしまうのである。もし左派やリベラルが戦後の自己分裂から解放されようとするならば、その程度で思考停止するのではなく、せめて「言っていること」と「やっていること」の落差を埋める努力を惜しんではならないはずだ。自己分裂を孕んだ、いつも通りの批判に終始してしまうから、橋下批判は大衆的な支持を獲得できないのである。逆に言えば、左派やリベラルに「橋下徹」はいないのである。ノーベル文学賞だかを貰っている大作家が自民党総裁選に際して立候補者全員に脱原発法に参政かどうかを問い質したところ誰からも返答がなかったことを憂いているらしいが、民衆がそういう姿をどう見るかといえば、偉そうにしか見えないはずである。左派やリベラルは敗戦から何年経てば、自己分裂から解放され、鈍感さを克服することができるようになるのだろうか。時計を止めたままでは誰からも相手にされなくなるだけである。そうした民衆からの孤立は、はっきりと言うが少しも偉いことではないのである。民衆というナショナリズムに接続する回路を欠いたままなのだから。左派やリベラルがやがて選択するのは、戦前昭和がそうであったようにまたしても「解放」ではなく、「転向」になるのやもしれない。