【文徒】2016年(平成28)4月26日(第4巻78号・通巻765号)

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1)【記事】熊本地震で顕在化したソーシャルメディア “善意の拡散”が孕む問題点
2)【本日の一行情報】
3)【深夜の誌人語録】

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1)【記事】熊本地震で顕在化したソーシャルメディア “善意の拡散”が孕む問題点(岩本太郎)

熊本地震では改めて災害時においてソーシャルメディアが果たす役割の大きさを認識させられた――といった記事や書き込みを、地震発生の14日以降は他ならぬそのソーシャルメディア自体をチェックしている最中に何度となく見かけたものだ。しかし一方で、今回はソーシャルメディアが「普及しすぎた」ないしは「影響力を持ちすぎた」ことから生じる弊害を指摘する声も、日が経つにつれ目立つようになってきたことも確かだ。
例えば日本におけるツイッターの「伝道師」的な存在として知られてきたジャーナリストの津田大介も、自らのもとに飛び込んでくる地震関連のツイートを見るうちにこんなケースに出くわしたと、彼自身による4月21日の午後0時30分付ツイートの中で報告している。
益城中央小学校に物資が全然ないというツイートが拡散希望付きで出回ってますが、今同校に電話して尋ねたところ、そうした(物資が全然ない)という事実はないとのことでした》
https://twitter.com/tsuda/status/722990923966078996
こうしたケース、実のところ今回の地震をめぐっては自身も身にしみて感じるという人がかなり多いのではなかろうか。例えばLINEが14日の最初の地震の発生からほどなくして「LINE Out」機能でかけられる通話を最大10分まで無料化すると発表したのを、ITジャーナリストの本田雅一が翌15日付『東洋経済オンライン』に寄稿した「熊本地震『LINE通話を10分無料』は大問題だ 悪意がないにしても、ひどすぎる」という記事の中で批判した件は先日の当『文徒』で発行人が紹介していたが、恥をしのんで言うと筆者(岩本)自身も確か15日の時点でこのLINEによる「10分間無料」の案内を拡散してしまっていた。
http://toyokeizai.net/articles/-/113928
戦場取材の経験も豊富な友人の映像ジャーナリストがfacebookにて紹介していたのを見て「さすが極限状況下のことがわかる彼だけに良いところを見つけたな」と感心しながらシェアしたのだが、優秀なジャーナリストといえどもIT全般に通じているわけではないし、時にはこうしたミスもあろう。とはいえ、いくら地震発生直後の急な状況下とはいえ情報を鵜呑みにして拡散したことの責任を免れうるというものではないが、ここで私がさらに頭を抱えてしまったのは、その私がシェアしたのと同じ記事を、私が拡散したのを見たのかどうかはわからないがかなり多くのfacebookユーザーがあちこちで拡散していたことだ。
他にもタイムライン上には熊本の被災地から上がってくる情報として「○○町の避難所では水が不足している」という情報が出てくるのと同時に、やはりその近隣にいるユーザーからの「水は普通に足りている」といった二つの異なる情報がほぼ同時刻に並んだりするようなケースが再三見られた。こうしたことへの当惑は、現地へ取材に向かったジャーナリストたちも覚えるところだったようで、例えば「被害が大きいにもかかわらず、震源地の熊本に比べると被害状況についての報道が少ない」と言われた大分県湯布院町まで取材に飛んだ8bitNewsの堀潤は24日付の記事で次のように報告している。
《日本有数の温泉街で知られる湯布院町。温泉街は通常通り営業している旅館もあり、建物への被害も限定的で比較的落ち着いていた。例年なら春を迎え観光シーズンの真っ只中、しかし地震の影響でキャンセルが相次ぎ町は静かだった。「温泉街は大丈夫ですよ!というメッセージを発信していかなくてはと危機感を持っています」といった声が地元商店主からも聞こえてくる》
《市の防災対策室の話によると一時湯布院町内で1000人を超えていた避難者数も現在は100人規模に。しかし、依然として時折強い揺れが地域を襲う。夜になると避難所に来て休んだり車の中で一夜を明かす人もまだいる。「熊本の情報だけではなく、大分の情報も報道して!というリクエストがあってきたんですよ」と話しかけると、被災した方々からは「熊本の方がひどい、あっちに行ってあげて」という声もあった》
http://bylines.news.yahoo.co.jp/horijun/20160424-00056971/
おそらく「熊本だけでなく大分の被害が深刻」なのも事実だし「それが熊本に比べてあまり報道されなかった」のも事実だが、反面「熊本のほうに行ってあげて」といった声が大分から上がってきたのも事実だろう。同じエリアにあっても混乱状況の中でAという避難所には救援物資が全く入ってこない一方で、Bという体育館には山積みされた揚句に食料品が傷みはじめているなどといったケースは過去の災害被災地でも何度となく生じたものだ。
ただ今回の地震では、5年前の東日本大震災の頃に比べてもスマートフォンタブレットなどの手軽な情報発信ツール、あるいはtwitterfacebookInstagramといったSNSの普及が格段に進んだことで、それらを通じて被災地のあちこちから上がってくる情報が遠隔地、特にユーザー数が最も多い首都圏などとの間で乱反射を起こしてさらに状況をややこしくしている側面はあるかもしれない。
ジャーナリストの藤代裕之はヤフーニュースに寄稿した4月16日付「被災者に必要な情報が届くよう『速報系ニュース』のソーシャル拡散を控えよう」、同22日付け「ソーシャルメディアの拡散が『タイムラグ』を生み、被災地のニーズに合った支援を難しくしている」などの中で、上記の津田大介による報告も引用しつつ、安易な拡散が却って被災地での支援活動への支障をきたしかねないとの懸念を表明し、警鐘を鳴らしている。
《一般ユーザーの被災地発の被害画像や救助情報などは注意が必要です。本物の場合もありますが、このような時期にはニセ・ウソの情報も発信されます。被災地の状況は刻々と変わるので、「速報系ニュース」を拡散すると、ある時点での情報をソーシャル上に広げてしまい、結果的に被災地に不確実な情報を拡大することになってしまいます》
《現地からの情報発信を確かめることなく、次々と記事を作り(もしくはユーザーがまとめることを止めていない)、それらがソーシャルメディア経由で、さらに拡散して情報爆発が起き、本当に必要な情報を見えにくくしてしまっているのです。また、プラットフォーマーの役割も重要です。NHKの生活・防災アカウントや津田さんが、不確実情報を確認する「情報のトリアージ」を行っていますが、焼け石に水状態です。/このままでは大規模な災害時には、ソーシャルメディアとネットメディアから離れるしかなく、インフラとしての役割が果たせなる可能性があります》
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujisiro/20160416-00056671/
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujisiro/20160422-00056881/
悪意に満ちたデマの類は論外だが、ここで厄介なのは上記のようなケースが悪意ではなく善意によって拡散された「その時点、その場所では正しい情報」だということだ。しかも一斉同報で情報が流れるマスメディアとは異なり、ソーシャルメディアで流された情報は、例えそれが後に古くなったり不適切になったようなものでも再び「善意の拡散」であたかも最新情報のごとくに広まってしまう可能性があるのだ。
無論、これらは平時においても言えることではあるのだが、災害発生直後の緊急事態下にあっては、これが人命をも左右する結果にもつながりかねないだけに深刻だ。根本的には世の中全体としてのメディア・リテラシーの向上を図っていくのが肝要だろうが、今回のような緊急事態発生時に備えて何らかの対応策を構築していくことが必要な段階に来ているのかもしれない。

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2)【本日の一行情報】(岩本太郎)

熊本地震の被災地で、NPOなどのボランティア団体よりも逸早く食料品や日用品の配布などの支援活動に乗り出したのは、指定暴力団になったばかりの神戸山口組だったという。日刊ゲンダイは23日付で次のように伝えている。
《「まだ大掛かりな支援はできない状況ですが、熊本市に本部を置く組が中心となり物資などを配っています。関西でも“こういう時こそ任侠の見せどころ”と組員たちが色めきたち、『熊本支援チーム』を結成する動きがある。カンパが集まり次第、九州に駆けつけるとみられています」(組織関係者)》
兵庫県警刑事で、現在は古巣の警察への厳しい批判でも知られる飛松五男も同記事で次のようにコメントしている。
《6代目山口組、神戸山口組を問わず山口組には義侠心を重んじる伝統がある。戦前の人手が足りなかった頃は積極的に港湾事業に取り組み、戦後の混乱で警察や行政が弱体化していた時代は“自警団”を結成し、神戸の闇市を警備した歴史があるからです。“混乱期こそ自分たちの腕の見せどころ”という自覚があるので、反射的に被災地に向かうのでしょう。ヤクザを美化するわけではありませんが、長年にわたり培われてきた彼らの支援技術は、きめ細かく丁寧です。阪神大震災の時は糞尿にまみれた仮設トイレをピカピカに磨き上げ、炊き出し料理の味はプロの料理人も顔負けでした」》
《支援活動を通じて何らかの見返り、つまりシノギを求めるのもまた、山口組の伝統です。震災直後の窮地に炊き出しなどでお世話になった人たちにすれば、何らかの形でお礼のひとつでもしたくなる。それが人情というもの。役所が直接、暴力団公共工事を依頼することはありませんが、下請け、孫請けなどの工事を受注することは十分あるでしょう》
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/180038/1
やはりこうしたテーマになると(日刊ゲンダイとはいえども)マスメディアでは記事のまとめ方として"暴力団賛美"と受け取られぬように……との念押しはオチの部分で外せないようだ。
ちなみに、上記にもある通り同様のケースは過去の大災害発生時に遡っても見られたようだ。2011年3月11日の東日本大震災の発生から11日後に「語られない『震災』−復興を支援する『ヤクザ』達の存在を海外メディアが報道」と題して出た記事でもそのことが書かれている。
孫引き引用された外報記事を執筆したジェイク・エイデルシュタインはかつて読売新聞に記者として勤務したこともあり、現在は当時の経験から日本の記者クラブ制度を外国人でありながら内側から見た経験を元に批判しているという人物でもあるのだが、ともあれ、そのエイデルシュタインは「3.11」後に被災地へ物資を運んだ山口組の構成員からのコメントもまじえつつ次のように書いている。
《私が話した山口組の構成員は言う「とにかくできることをやっている、という以上のことを報道しないで欲しい。今は誰も私たちと関係を持ちたくないだろうし、支援物資を突き返されるのはいやだ。」
ヤクザに詳しくない人の中には彼らの慈善行為に驚く人もいるだろう。しかし彼らが人道主義を発揮したのはこれが初めてではない。1995年の阪神淡路大震災では、山口組は最も早い時期に態勢を整え被災地での支援活動を開始した組織の1つだった。むろんその物資を集めるために使われたカネは地域の人から巻き上げたもので、しかも人々はその活動がヤクザのPRになるとは気づかなかった。しかし今回の地震と同様、それらの物資を拒む者は誰もいなかったのである》
http://dailynewsagency.com/2011/03/22/yakuza-supporting/
http://www.thedailybeast.com/articles/2011/03/18/japanese-yakuza-aid-earthquake-relief-efforts.html

講談社コミック誌ARIA』で現在連載中の『ラブコメのバカ』は、いかにも社会性を欠いたダラシない女性漫画家と、それを叱り飛ばすイケメンの編集者とのやり取りが作中の一つの基軸となっているが、それらは作者の漫画家の櫻井しゅしゅしゅと担当編集者との間で現実に展開された実話にかなり基づいているらしい。
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20160422/E1461255237724.html
記事にもあるように『重版出来』や『バクマン。』のような出版業界を舞台とする漫画が映像化されるケースも目立つ昨今だが、遡ればそうした流れは上記と同じ講談社の『モーニング』で10年ほど前に連載されていた『働きマン』(安野モヨコ)あたりからだったのではなかろうか。そういえば同作の主人公・松方弘子は『週刊JIDAI』の編集者で、帰省中に父親から「お前が雑誌を作って編集長になればいい」と触発された後に確か連載は途切れていたが、その後どうなったんだ?
また、現在放送中のNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』も含めて、ここにきて出版業界の内幕をテーマにした漫画やドラマが増えているという印象は多くの人が抱いているようだ。それについて物語評論家の「さやわか」は以下の記事で「出版業界が斜陽産業であることも、物語をよりドラマチックに展開させる一要素になる」といった分析から次のように述べている。
《『重版出来!』などは特に、出版業は基本的に儲からないことを前提として描いています。土田世紀による94年の漫画『編集王』の場合は、斜陽産業であることは描いていたものの、努力や熱意で売るのが基本的な姿勢でした。
しかし『重版出来!』は、販売や営業といった各セクションがどんな役割を果たし、それを書店員がどう売るかまで含めて、そのチームプレイの巧みさを描いています。アーティスティックな才能や熱意よりも、彼らの創意工夫にスポットを当てているんです。また、主人公の黒沢心も、才気あふれる編集者ではなく、体育会系のごく普通の女性として描かれています。努力や熱意だけではどうしようもない状況の中、人々がどう生き残るかを描くうえで、出版業界を舞台とするのは効果的なのでしょう》
http://realsound.jp/movie/2016/04/post-1431.html
『ラブコメのバカ』でも担当編集者と販売担当者とのリアルなやり取りがでてくる。"メタマンガ"・"メタコミック"とでも呼べばいいのかどうか知らないが、もしかしたら今後の出版業界についての業界の内側からの批評の最前線はこうした漫画作品から、なんて流れができつつあるのか。

◎1996年に創刊され、2000年前後のギャル雑誌ブームの担い手ともなった主婦の友社の『Cawaii』に当時編集者として関わっていたノンフィクションライターの長谷川晶一がこのほど亜紀書房より『ギャルと「僕ら」の20年史 女子高生雑誌Cawaii!の誕生と終焉』を刊行。
これを記念し、長谷川のほかに中森明夫氏、『ギャルと不思議ちゃん論――女の子たちの三十年戦争』(原書房)の著者である松谷創一郎を招いてのトークイベントが先ごろ開催された。その中で、隆盛を誇った『Cawaii』が2009年に休刊に至るまでの経緯が、当時の主婦の友社の内部における事情とも絡める形で以下のように述べられたという。
主婦の友社というと、社名の通り“良妻賢母”的な雑誌を作っているイメージがある。一見、ギャルカルチャーとはかけ離れた出版社とも思えるが、実は同社にはギャル雑誌を作る系譜があった。中森氏は「70年代後半から主婦の友社は『GALS LIFE』というギャル雑誌を出していたが、若い女性のセックスを正面から扱ったため、国会で言及を受けて廃刊してしまった。それからしばらくして、女子高生ブームとともに立ち上がったのが『Cawaii!』だった」と説明する》
《そんな「GALS LIFE」を廃刊に追い込んだセックス特集だが、長谷川氏はこれこそ「Cawaii!」の重要な企画だと語る。「Cawaii!」は歴代編集長が全員男性。「女性の発言権が強かった主婦の友社にあって、その中で男性編集者が自分の立ち位置を作っていくことは入社時からの使命だった。男性には女性誌が作れないといった思考はなく、自分の得意分野を掘り下げた結果、優秀な男性編集者が生まれていった」(長谷川氏)と分析する。その中でもセックス特集では、男性目線でのリアルな内容が、読者の心をつかんでいたのだそうだ》
http://www.cyzowoman.com/2016/04/post_19558.html

東京芸術大学が先に開催した卒業・修了作品展に同大大学院博士課程の菅実花が出展した「ラブドールは胎児の夢を見るか?」という作品が話題を呼んでいる。ラブドールとは、わかりやすく言えばかつて言われた「ダッチワイフ」のこと。そのラブドールが妊娠したヌード姿を描いた作品なのだが、オリエント工業製のラブドールの展覧会を見に行った友人から「(あなたに)似ている人形がいたよ」と言われたのがこの作品を着想するきっかけだったという菅へのインタビューで語られる話が、なかなか意表を突きまくりで面白い。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160420-00000002-withnews-soci&p=2

◎日本の順位が前回の61位から72位へとさらにダウンする一方で、菅官房長官が会見で「どういう基準でそう判断したのか」などと述べたと言われるNGO「国境なき記者団」による「報道の自由度ランキング2016年版」だが、では「どういう基準」かを見てみようということで『BuzzFeed』がその方式を紹介している。180カ国のメディア専門家、弁護士、社会学者に対して「権力者がメディア関係者の解雇を強制するのは、どれくらい簡単か」「ジャーナリズムを学ぶ学生に、批評的判断を養成するトレーニングはあるか」など87項目からなる質問をアンケートを送って行い、独自の数式で算出するというのだが、その数式というのが何やらものすごい。
http://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/houdou-no-jiyuu?utm_term=.sw4oYxBEj

障害者プロレス団体「ドッグレッグス」の設立25周年記念興行が23日に世田谷区の北沢タウンホールで開催された。今回初めて、大会の模様がインターネットで生中継されたという。ドッグレッグスについては今年1月に公開されたドキュメンタリー『DOGLEGS』のほか、団体代表の北島行徳が団体の草創期に書いたノンフィクション『無敵のハンディキャップ』や、天願大介監督による同名のドキュメンタリー映画でも詳しく描かれている。
http://www.asahi.com/articles/ASJ4R6WCNJ4RUQIP026.html
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167628017

◎映画監督、そして深夜番組「トゥナイト」のレポーターとしての活躍でも知られた山本晋也が、赤塚不二夫タモリ所ジョージ柄本明といった錚々たる面々と、自身も彼らもビッグネームになる以前から続けてきた交友の記録を綴った『カントク記 焼とりと映画と寿司屋の二階の青春』が双葉社より4月22日に発売された。
http://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookview/978-4-575-31127-3.html?c=&o=date
http://goo.gl/62chYC

◎日本弁護士連合会が4月11日に行った死刑制度に関するシンポジウムで、2014年にドキュメンタリー映画『望むのは死刑ですか 考え悩む"世論"』を製作した長塚洋監督が登壇して発言。
《長塚監督はこれまで、制作会社でテレビ番組などの制作をしてきた。死刑制度に関心を持つようになってからは、テレビ局に死刑制度について問題提起する番組の企画を持ち込んだが、全てボツにされた。
「みんな死刑について、あまり考えていないのではないかと思っていた。実際、私も考えていなかった。だから、死刑について考えるテーマを扱いたくて(テレビ局に)提案したが、企画は通らなかった。あるときプロデューサーにはっきり言われた。『だって、世の中の8割がいいって言ってるんだよね』と。
私は、『その8割の中身はどうなっているんだ』という気持ちをずっと持っていた。『場合によっては(死刑も)やむを得ない』と答えておけば、それ以上考える必要がなくなってしまう。その壁を崩したかった」》
https://www.bengo4.com/saiban/n_4564/

◎私(岩本)も含めたフリーランスのライターや映像作家ら四十数名が原告となり、2年前から国を相手に行ってきた東京での「秘密保護法違憲訴訟」の控訴審・東京高裁における判決が本日26日15時より霞ヶ関の東京高裁第101号法廷にて言い渡される。その後の15時40分頃からは裁判所のすぐ隣の弁護士会館508会議室にて原告側による報告会も行われる予定だ。
http://no-secrets.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/42615-4eb6.html#more
なお、昨年11月の東京地裁における一審判決の際には、原告に名を連ねるフリーランスジャーナリスト数人が開廷時にお約束の廷内撮影を裁判所に申し込んだものの拒否されたことから当日は紛糾。開廷時に原告側数名が抗議のうえ退席したほか、判決申し渡しが終了した後も原告席にとどまっていた我々に対して、裁判長が席に戻って来てオフレコを条件に語り出すという(原告のメンバーは私を含めてそれを無視)、普通はあまり見られないような光景が見られた。
今回も原告側の数名が同様の申請を東京高裁に行ったものの理由を明示されずに却下されているので、判決内容にとどまらず当日に法廷でどんな光景が現出するかを含めて関心のある方はぜひ足を運んでいただければと思う。

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3)【深夜の誌人語録】(岩本太郎)

相手に届かないことを前提に言う批判はただの陰口だ。陰口は相手よりも、それを言う自身を貶める。