橋下徹がTwitterで「知識人」「文化人」攻撃を開始!中島岳志、浜矩子、内田樹をメッタ斬り!!その深層を考える!!

ファシズムをもじってハシズムなる造語を冠せられるなど、何かとその言動と行動が物議を巻き起こす大阪市長橋下徹だが、このところツイッターで学者や作家など、「知識人」とか「文化人」と言われる連中への攻撃を始めた。こんな具合に、である。標的となっているのは中島岳志山口二郎、浜矩子、内田樹香山リカ高村薫といった面々である。

税金で養われている北海道の中島とかいう教員はどうしようもない。「改革は一気にやるものではない。色が徐々に変わるようなグラデーション的にやるものだ」という趣旨のことを長々とABC放送のキャストでしゃべっていた。は~っ??だから??税金で勉強させてもらっていてこの程度のコメントか?

さてひと段落したので、今日も役立たず大学教授批判とでもいきますか。うっとおしければこの間、フォロー外して下さいね!北海道の中島とかいう大学教員がどうしようもない役立たずであることは、これまで少しは述べたけど、さらに追加。この大学教員、大阪まで来てコメンテーターで小金を稼いでいる。

ところがそのコメントが全く振るわない。府知事・市長のダブル選挙前に、大阪都構想について大阪市の区割案を示さないのは逃げている!と叫んでいたけど、この人の学問的想像性のなさには目まいがしました。大阪都構想は今ガンガン進んでいます。大阪府大阪市の決定機関を事実上一つにした。

中島岳志からすれば橋下徹蓑田胸喜に見えるかもしれない(笑)。

報道ステーションサンデーの録画を見たけど、また浜と言う同志社の教授が出ていた。長々と放していたけど、結局具体策は何も言わず。だから何をどうしたら良いのか一つでも言ってみなさいよ。結局分かち合いの仕組みをしっかり作ること、富の配分をしっかり作ること、これしか言わなかった。

浜と言う同志社の教授は実際の経済政策のことを何も知らないんだろうね。だから何も言えない。日本のような成熟した国家には成長戦略は似合わないだって?もうダメだこりゃ。外需を取り込む成長戦略も必要、内需拡大の成長戦略も必要。対象分野ごとに政策を打ち込まなければならない。

確かに橋下が政策通であることは大阪府知事時代に証明済みである。橋下からすれば対案なき批判が腹立たしいのだろう。橋下にとって政治とは観念の遊戯ではなく、具体の実践なのであろう。巷では様々な「脱原発論議が盛んだが、最もリアリティのある「脱原発」は橋下のそれかもしれない。橋下にかかると内田樹のしなやかな思考に対しても容赦はない。

そして9日の読売新聞の内田樹とか言う大学教授にも頭がくらくら来たよ。僕のことを批判しながらだらだら色んな事を言っているけど、最後は自分は150人の門下生を持つ合気道の道場を開いていて、これが21世紀型の都市モデルだと信じている、だって。勘弁してよ。

150人の道場を開いて、それで府民・市民がみんな暮らしていけるんだったら、お任せしますよ。合気道の道場って、それ趣味でしょ。それで生活保護世帯、学力低下の子供、就職できない若者、売り上げが減っている中小企業、その他世の中はどのように救われるのよ。もうどうしようもないよ大学教授は。

私は橋下のツイートを「攻撃」と書いた。何故なら、そのツイートに「政治性」は見て取れるが、「批評性」には疑問符をつけざるを得ない点が多々あったからだ。文化大革命における『毛沢東語録』の役割(「造反有理」なんて世界的な流行語になったでしょ)を持ち出すまでもなく、政治的言語とは攻撃的であることによって民衆の喝采を獲得するものである。私は橋下を批判しているわけではない。こういうところにこそ、週刊誌でこれでもか、これでもかというバッシングを受けても、これを跳ね返して選挙に勝利してしまう政治家としての橋下の真骨頂を垣間見ることができるというものであろう。私は大阪市民ではないが、昨年の11月28日に「facebook」で次のように書いた。

大阪の有権者の判断は「健全」ではなかったのだろうか。私が大阪市民であっても橋下に一票を投じたように思う。自民党民主党という巨大政党はもちろんのこと、巨大宗教団体や革命政党、果ては憲法九条念仏党までが同一候補を推すという事態こそ「大政翼賛」体制に他ならず、ジャーナリズムまでその尻馬に乗ってしまうという「構造」こそ民主主義から遠く離れているとしか私には思えなかったもの。

橋下の政治手法をポピュリズムとか何とか言って簡単に唾棄してはなるまい。橋下が市長選挙において依拠したのは政党ではなく、既得権益の温床であればこそ大阪市長選において大同団結がかなったという既存政党の限界を敏感に察知した民衆そのものであった。そのことに、むしろ政治の可能性を幻視すべきではないのか。大阪市民は間接民社主義の枠内において橋下に政党を介さない直接民主主義の可能性を嗅ぎ取ったのかもしれないのだ。その程度には「観念の遊戯」をば成熟させたいものである。政治家には知る由もないが、実は具体が母胎とするのは抽象的な観念からに他なるまい。「@kasasasanai」の次のようなツイートが目にとまった。

東浩紀の一般意志2.0の着想って、「橋下徹的な政治手法がなぜ機能するのか?」みたいなところから生まれてる気がする。

橋下が今やってる自治労との交渉の仕方って、ある意味で一般意志2.0の属人的な実践だと思うんだよな。で、それを政治家個人の力量に依拠せず実現できるようシステム化しようってのが、一般意志2.0の提案なんじゃないかと思った。

橋下は、討議や交渉ごとのフルオープン+メディアや民衆の目耳を集めるためのパフォーマンスによって世間の空気を政治の現場の奥の方まで行き渡らせて政治を動かしてるわけだけど、最新の技術を使えばもっと効率的に、恒久的に同じようなことができるのかもな。

そもそも政治なんて基本つまんないんだから、現状では有権者やメディアを煽りまくったり罵倒したりプロレスやんないと改革やるための前提条件が揃わないんだよ。だからポピュリズム批判みたいな無粋なことはやめろや。

小沢裁判の新聞報道にしてもそうだが、マスジャーナリズムを闊歩しているのは相変わらず「無粋なこと」ばかりである。情況はソーシャル・メディアを駆使する橋下徹の思う壺である。橋下のフォロワーは1月12日午前10時40分段階で「511996」である。週刊誌の実売部数を軽く凌駕する数字である。