「電子版マンガ急拡大」を書いた記者たちは「志木電子書籍」が『風流夢譚』を刊行したことを知っているのだろうか?

昨日、朝日新聞は国内最大級の電子書店として知られる「イーブックジャパン」の2011年度の売れ行きランキングを取り上げ、「電子版マンガ急拡大」なる記事を掲載した。リードで曰く…。

電子書籍の世界で、長編の名作マンガが売れ始めている。紙の本と競合しにくく電子化しやすい古い作品が、新しい読者を獲得する。電子書籍ならではの売れ方だ。新しい端末の広がりにもうまく乗った。

「イーブックジャパン」の発表したランキングは1位「グラップラー刀牙」、2位「美味しんぼ」3位「静かなるドン」4位「ゴルゴ13」5位「ジパング」6位「ブッダ」7位「頭文字<イニシャル>D」8位「バキ」9位「あずみ」10位「ノ・ゾ・キ・アナ」といった具合である。この記事にもあるように「イーブックジャパン」はイーブックイニシアティブジャパンの運営であり、その品揃えは「約5万2千タイトル」であり、そのうち8割をマンガが占めているのだから、マンガが上位を占めるのは当然であり、それが「名作マンガ」であるのは雑誌に連載中の人気マンガが電子書籍化されていないだけの話である。というよりも、今のところマンガでは紙では新作を売り、デジタルでは巻数を既に相当数重ねている旧作、名作を売るという棲み分けが確立していると言って良いのだろう。また、わが国における電子書籍の「本命」がマンガであることは、ガラケー時代のコミック配信が成功していることもあって、以前から予想されていたことである。その程度の埋め草記事を書く暇があるのであれば、朝日新聞の竹端直樹、宮本茂頼という記者は、昨年末に深沢七郎の『風流夢譚』が電子書籍されたことと、その意味なり意義を取材して記事にすべきではなかったのか。
『風流夢譚』は『中央公論』の1960年12月号に掲載されたが、それ以後、今回電子書籍化されるまで正式には一度も活字化されたことのない幻の、というよりも呪われた作品であった。何故、そうなったのかといえば、『風流夢譚』の皇室表現(民衆によって皇居が襲撃され、皇族が処刑されるという表現)について、不敬だとして右翼が抗議し、遂には1961年2月1日に大日本愛国党の党員だった1少年が中央公論社社長の嶋中鵬二宅に押しかけ、嶋中との面会を求めたが嶋中は不在であったものの家政婦が刺殺され、雅子夫人が重傷を負うという悲劇的な事件が起きてしまったからだ。『中央公論』1961年3月号には嶋中鵬二社長名義の「お詫び」が掲載される。

『風流夢譚』は掲載に不適当な作品であったにもかかわらず、私の監督不行届きのため公刊され、皇室ならびに一般読者に多大の御迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。またこの件を端緒として殺傷事件まで惹き起し、世間をお騒がせしたことを深く申し上げます。

この事件については当時の『中央公論』に編集者としてかかわった京谷秀夫の『一九六一年冬「風流夢譚」事件』に詳しく書かれているが、京谷秀夫は今回、『風流夢譚』を電子書籍化した「志木電子書籍」を主宰する京谷六二の父親であるのだ。京谷六二は『風流夢譚』の電子書籍化を考え始めた際に『一九六一年冬「風流夢譚」事件』を再読し、そのなかに「私は『風流夢譚』をいつの日か復権させたいと願った」という記述があることに気づいたという。京谷は『マガジン航』(2011年12月14日)に「幻の小説『風流夢譚』を電子書籍化した理由を発表している。( #magazine_k http://www.dotbook.jp/magazine-k/?p=6984)

それにしても『風流夢譚』の巻末にも掲載されている『「志木電子書籍」誕生のことば』は美しい。全文引用してしまおう。

水平社宣言の結語は「人間(じんかん)に光あれ」と読むという。
「じんかん」とは「人と人の間」、転じて「すべてのもの」。したがってこの結語には「すべてのものに平等に光が当たるように」という願いが込められている。
 しかし、残念ながら水平社宣言から九十年近くたった今も、この願いは実現していない。
 それどころか、大きな者、強い者が、小さな者、弱い者を支配していく構造は、第二次世界大戦を経て、より巧妙に強化された。
 しかし、二十一世紀に入るとともに、この体制に綻びが見え始めている。その最大の原動力はインターネットの普及にある。
 一人ひとりが自由に情報を発信する手段を持ち得たことで、マスメディアによる情報独占(それは同時に情報コントロールを意味していた)は崩壊し、さらにマスメディアよりも速く、かつ正確な情報を誰もが入手することが可能になりつつある。
 二〇一一年三月十一日に起きた東日本大震災、それに続く東京電力福島第一原子力発電所破局事故は、日本社会のありようを根底から変えてしまう不幸な出来事だった。
 そんな中で唯一の光明は、多くの人びとがネットを通じて情報交換し、また連携し始めたことである。しかも、それは行政やメディアの思惑とはまったく異なるレベルで有効に機能し始めている。
 志木電子書籍はネットを拠点に活動し、これまでマスメディアの“発表情報”の裏に隠されていた真実に光を当てていく。
 かつ、それをいつでも、どこでも、どんな立場の人にも提供していくことで、小さいながらも「人間に光あれ」を目指す一員でありたい。

電子書籍には、こういう力学も働くのである。電子書籍はシェアの時代のメディアでもあるのだ。