Togetter「佐々木俊尚氏に絡む広告業界の人たち」を検証する

私はこのブログをはじめ、ツイッターフェイスブックを実名をもって登録しているが、私にとってソーシャルメディアは「自由な言論」の場に他ならない。原稿料は発生しないが、1円の使用料もかからない。ソーシャルメディアとマスメディアの最大の違いは、マスメディアにかかわれるのは、基本的にマスメディアを稼業としている人々とマスメディアを稼業としている人々に選ばれた才能に限られる。例えば新聞は新聞社に勤めているサラリーマンによって作られているということだ。だからと言うべきだろう、マスメディアにあって情報の流れはマスメディアから人々へという方向に限定される。一方的なのである。一方的であるということは啓蒙的であったり(上から目線と言い換えても良かろう)、権力的であったりもするということだ。要するに垂直軸のコミュニケーションがマスメディアの特徴である。これに対してソーシャルメディアは誰もがメディアを持てる。ソーシャルメディアにあっては、どんな「私」であっても、意志さえあれば、例えばツイッターというプラットフォームを活用することで、「私」そのものをメディアにしてしまうのだ。ソーシャルメディアは「私」というメディアに他ならない。この「私」はツイートやブログなどの書き手であると同時に読み手でもある。情報発信者であると同時に情報受信者なのである。ソーシャルメディアはマスメディアならではのコミュニケーションの垂直軸を解体してしまう。ソーシャルメディアは垂直軸のコミュニケーションを特徴としている。だから、ツイッターを例にとるならば、アカウントに対して一面識がなくともリプライすることができるし、そのリプライによって双方向のコミュニケーションが140字という制限はあるにせよ、公開の場で成立することもある。しかし、時としてリプライが単なる絡みであったり、誹謗中傷としか思えないような内容であることもある。ツイッターの場合は必ずしも実名を公表しないでもアカウントを持てるだけに時として誹謗中傷にしか過ぎないようなツイートが跋扈することもある。しかし、ソーシャルメディアといえども、基本的には誰にでも開かれているメディアである限り、どんな「私」であろうとも「公共性」がマスメディア同様に問われていることを忘れてはなるまい。自ら公開した言葉に対する責任を負うのは当然のことなのである。
そんなことを佐々木俊尚の次のようなツイートを読み、実際にTogetterに当たってみて思った。

一昨日深夜のこのやりとりのまとめが20万ページビューに。びっくり。/佐々木俊尚氏に絡む広告業界の人たち(第一幕) - Togetter http://t.co/VdQAS2qe

ことの発端になったのは佐々木の次のようなツイート。

同意。人を不快にするような罵詈雑言やため口でメンションしてきておいて、無視すると「議論に応じない」とか言う人いるけど、何様なんだろう。/mentionで失礼なことを言ってくる人たち | ikedahayato.blog http://t.co/2uOwLTLr

佐々木はソーシャルメディアの世界で着実にファンを増やしている「ikedahayato」のブログを紹介している。私も佐々木をフォローしているが、佐々木の朝のツイートは佐々木が上梓して話題になった『キュレーションの時代』の実践に他ならず、私などは大変重宝している。このツイートがあったのは2月5日午前9時5分。これに対し、サイバーコミュニケーションズ代表取締役社長を務める電通マンの長澤秀行が2月5日9時54分に次のようにリプライした。

人間関係は無視が一番、失礼で相手を傷つける行為と思います。会話する必要ないという相手人格の自分主観による切り捨てですから

ここから佐々木と長澤のツイッターを介して公開の「対話」が始まる。佐々木が応じる。

そういう人たちにも返事をすべきと?

人を罵倒して反応を待ってるようなかまってちゃんに構ってる暇はない。人生は短い。真っ当な人たちとのやりとりで私はもう充分だな。

これに対して長澤は次のようにツイートする。

罵詈雑言も主観です。彼は僕が考えや言葉の定義を確認したい為の質問に対して無視でした。コミュニケーション不成立が残念でした

佐々木は長澤に応じながら言い放つ。

若い人が台頭してくると、何か自分が教育者だかメンターだかになった気分になり、上から目線のタメ口で偉そうに命令し、挙げ句に無視されると「無視しやがって」と怒る人が最近Twitterに増えてる感じがする。

いまや年長であることや、なにかの業界で先輩であることは、なにひとつアドバンテージにならない時代なんだよね。それだけ時代は急速に動いてる。若かろうが年長だろうがダメなヤツはだめだし素晴らしい人は素晴らしい。ただそれだけが真理だと思うんだけど。

ここらあたりの佐々木の物言いには佐々木のジャーナリストとしての矜持が見え隠れしていて良いと私は思った。佐々木から、こういう言辞を引き出したという意味においても長澤と佐々木のツイッターによる開かれた対話は、ソーシャルメディアの可能性を示唆しているとも言えるだろう。しかし、そこに次のようなツイートが飛び込んで来る。突然、佐々木に罵詈雑言が投げかけられる。2月5日午後10時49分のことだった。

佐々木俊尚が馬鹿をさらけ出してるなぁwww

佐々木俊尚だけは、残念ながらリスペクト出来ない。

だって、馬鹿なんだものwww 新聞・テレビ崩壊の著書の落とし前は? 佐々木俊尚さーんwww

この一連のツイートの主は「hidix_a」。「港区にある広告代理店で真っ当に働いているように見えるサラリーマンですが、ジェダイの教えに背いてダークサイドに落ちてます。よい子はマネしちゃダメ、絶対!」というプロフィールを持つ。私は「hidix_a」のツイートに公共性の欠落を見る。「hidix_a」が佐々木に対して「馬鹿」という言葉を投げつけているから駄目なのだと言うつもりはない。「hidix_a」が佐々木を「馬鹿なんだもの」と思うのであれば、どうしてそう思うのかを説明しなければならないはずだが、それが「hidix_a」や「hidix_a」に続いて佐々木に反応してきた広告代理店でAEをつとめる「etaku」「0136」にしてもそうだ。自らの言論に対して責任を負う自覚がまるでないのだ。

佐々木俊尚がガソリン注ぎ始めたぞw 「etaku」

うん、ない。 RT @hidix_a: そうですけど何か? 批判に向き合えない貴方に言われる筋合いは無い。RT @sasakitoshinao: こういう人が広告業界なんだよね。 RT @0136 いつもと変わらぬ風景w RT @... 佐々木俊尚が馬鹿をさらけ出してるなぁwww 「0136」

驚くべきことは彼らがみな広告代理店につとめ、メディアにかかわる仕事をしているということだ。そうでありながら、メディアの公共性であるとか、ジャーナリズムについて無知をひたすらさらけ出しているようなツイートを平気で公開しているのだ。「馬鹿」は佐々木ではなく、「hidix_a」であり、「etaku」「0136」である。それにしても例えば博報堂DYグループに属する読売広告社はいったいどのような社員教育をしているのだろうか。こういう輩を前にして佐々木が次のようにツイートするのも当然である。

まあ収縮する業界からはつねに怨嗟の声が上がり、それが突出した若者への非難として爆発する。ここ数年、その繰り返しなんだよね。そして今はそれが広告業界のある領域にやってきたというフェーズ。

そしてまた広告業界から今夜も盛大にdisりまくる連中が現れている。まあ勝手に衰退して滅亡の道を歩んでもらうのみだな。じゃあおやすみなさい。

結局、この3人は実名と会社を佐々木に暴露されたうえで「お詫び」のツイートをする破目になるのだが、そのなかにあった次のような「0136」の一文に私は目を疑ってしまった。

言論を生業とされている貴殿と素人の私との対談は、勝手ながら辞退させていただきますが、直接お会いしてお詫び方々お話させていただけるのであれば、ご連絡たまわれれば幸いです。以上お詫びとお返事をさせていただきました。

「0136」は自らを言論の素人と認識しているようだが、この広告人は救いようのない馬鹿であるようだ。ソーシャルメディアを「言論の場」として考えるのであれば、そこに玄人と素人の区別はないのだ。その程度の考察もできない人間がマスメディアにも、ソーシャルメディアにも深く関わる広告代理店の仕事をしているとは!それから私がどうしても解せないのは長澤が一連のやり取りのなかで途中で消えてしまったことである。長澤は「hidix_a」「etaku」「0136」の3人を窘めるべきではなかったのか。彼ら三人よりもワンランク上の広告マンだとでも思っていたのだろうか。そうだとすれば総ては佐々木の指摘する通りである。