『三角寛「サンカ小説」の誕生』(現代書館刊)について  

今度の一冊は400頁を超えてしまった。厚い書物は売れないから作らないと版元の多くが判断している昨今、このような無謀な企画を快諾してくれた現代書館には心の底から感謝している。
この企画の第一歩は私が三角寛というタイムマシンに乗ってみようと思った瞬間に踏み出されることになった。「サンカ小説」誕生の現場に立ち会ってみようとパソコンのキーボードに向き合うこととなった。
「サンカ小説」といえば三角寛の代名詞のようなものだが、これまで「サンカ小説」の誕生については検証されて来なかった。「サンカ小説」を読むことはできても「サンカ小説」を支えた同時代性については語られることは、あまりなかったのだ。
私にとって三角寛というタイムマシンに乗るということは「サンカ小説」をその同時代性において読むということに他ならなかった。これまで三角寛に対する評価は専ら「サンカ研究」だけに焦点がしぼられていたが、これは考えるみれば不幸なことである。
三角寛の「サンカ研究」とは、戦後になって朝日新聞から上梓された『サンカの社会』や三角自身が全集を刊行すべく立ち上げた母念寺出版から刊行した『サンカの社会資料編』にのみ関心が集まっていたのだ。三角寛柳田国男が同列に扱われてしまったにだ。
吉本隆明が『共同幻想論』のなかで『サンカの社会』を盛んに引用するという時代の気分のなかで三角寛の「サンカ研究」は復権を果たすのだ。五木寛之の小説『戒厳令の夜』も三角寛の「サンカ研究」に依拠していた。
当然、三角寛の「サンカ研究」の真偽が論じられることになった。「三角寛サンカ選集」に「サンカ社会の研究」が収められるに際して解説を担当した沖浦和光は『幻の漂泊民・サンカ」を著すことになったし、筒井功は『漂泊の民サンカを追って』などを発表した。
沖浦や筒井の書物によって三角寛の「サンカ研究」の真実や「サンカの真実」は間違いなく明らかになりつつある。要するに三角寛の「サンカ研究」を鵜呑みにしてはならないことは、もはや常識となりつつある。しかし、「三角寛の真実」は明らかにされて来たのか?
三角寛の真実」は必ずしも明らかにされて来なかったと私は考えた。何故なら「サンカ小説の真実」が埋もれたままであったからだ。三角寛柳田國男と同列に扱われたことの悲劇を未だに背負わされ続けている。三角寛を「サンカ研究」の場から解放してみようと思った。
戦前、「サンカ小説」で一世を風靡したと言われている三角寛は、人名事典の類にそう書かれているだけで実は歴史に忘却された存在である。昭和7年に新潮社から刊行された『昭和妖婦伝』所収の「山窩お良」が最初の「サンカ小説」であったことは知っている。
しかし、三角寛がどのような紆余曲折を経て「サンカ小説」を書くに至ったのか。私は知らなかった。「サンカ小説」が生まれた時代の文脈も理解しているとは言い難かった。「サンカ小説家」三角寛は歴史から分断されてしまっていた。
昭和という歴史は三角寛と彼の「サンカ小説」を忘却し、隠蔽してしまった。私が三角寛というタイムマシンに乗るということは三角寛を歴史から奪還し、三角寛という歴史を再現することにほかならなかった。「全体」に雲散霧消してしまった「個別」の復権を!
三角寛は東京朝日新聞の記者であった。「説教強盗」のスクープを飛ばしたのも三角寛だったと言われている。他にも「保谷心中」「岩の坂貰い子事件」といったスクープをものにしたと三角は戦後になって自慢げに回顧している。
ただ、私は実際の紙面は見ていなかった。三角寛の新聞記者としての仕事も実は何も知らないのだ。当時の東京朝日新聞を徹底的に読み込んでみることにした。三角寛というタイムマシンに乗るということは国会図書館に通い詰めることでもあった。
三角寛は東京朝日新聞に紛れ込む経緯からして「うさん臭い」ことがわかった。彼のものと言われているスクープ記事もうさん臭いし、いかがわしかった。とはいえ三角につきまとう「うさん臭さ」や「いかがわしさ」を三角寛という個性に押し付けて良いのか。
そうした「胡散臭さ」を朝日新聞は今も引き摺っていると私が痛感したのは3.11後の紙面を読んでいてのことである。私は多くの友人たちに批判されることを覚悟して『報道と隠蔽』を上梓した。刊行は後先になったが『報道と隠蔽』は本書からスピンオフしてできあがったと言って良いだろう。
三角寛は東京朝日新聞記者としての仕事が認められ、菊池寛文藝春秋社に引っ張られる。創刊されたばかりの『婦人サロン』に「実話」を書き始めるのだ。その全貌も明らかになっていない。そもそも「実話」は小説として書かれていたのか。否である。
少なくとも当時の読者は三角寛が様々なペンネームを駆使して書く「実話」を虚構として受容しなかった。三角寛は新聞記者としての才能を菊池寛なり、永井龍男に認められたのだ。三角の「実話」は東京朝日新聞に代表される新聞ジャーナリズムを母胎に生まれた。
三角寛の「実話」を一篇一篇検証してみなければ、そうした「実話」がどのような化学反応を起こして「サンカ小説」に焦点を結んだのか藪の中だ。彼の「サンカ研究」が一定のリアリティを持ったのは「サンカ小説」が「実話」の圏内で書かれたことと無縁ではない。
とはいえ選集で読める『裾野の山窩』に代表される荒唐無稽さは「実話」からの飛躍なしにはあり得まい。しかし、その飛躍はどのようになされたのか。というわけで『三角寛「サンカ小説」の誕生』に少しでも関心を持たれたならば書店で是非お買い求め下さい。