断片の昭和史(4) 「連合赤軍」事件 今から40年前の「テロルの季節」

連合赤軍の誕生
昭和四十六年(1971)十二月二十七日、共産主義者同盟赤軍派の軍事組織の残党を率いる森恒夫は「新党」を宣言した。日本共産党革命左派神奈川県委員会の人民革命軍に属する永田洋子坂口弘等は、森に分派闘争を迫られていたが、遂に川島豪議長との決別を決意し、連合赤軍から「新党」へと進化することに同意したのである。
正義と無智の
めくらのまごころ
洞窟の胎内のテロルの夢

正義と無智の「暴力」はまごころを込めて殴ることから始まった。「銃による殲滅戦」を掲げていた。そして、「銃を握る主体」の「共産主義化をかち取らせるため」の「指導」として殴り始める。「同志的援助」として殴り続ける。「総括」が求められる。縛りつけて、殴る、蹴る。十二月三十一日、「総括」における最初の死者が出た。尾崎充男。死ぬ間際に舌を噛み切る。その死は共産主義化の闘いの高次な矛盾、「総括」できなかった敗北死であり、政治的死である。森恒夫はそう位置付けた。
昭和四十七年(1972)一月一日、殴打中、二度失禁した進藤隆三郎は厳寒の屋外で縛ることにしたが自ら歩いて小屋を出て行った。そうして「もうダメだ!」と絶叫して二番目の死者となる。三番目の死者は女性だった。小嶋和子。加藤能敬とキスをしているところを永田に目撃されてしまったのだ。横に寝かされ逆エビ状に縛られた女は床下に押し込められて死んでいった。森は言い切った。「敗北して死んだから醜い顔をしている。死者に対する礼など必要としない」と。本気で革命戦士になろうとすれば死ぬはずがないのだ。
四番目の死者は三兄弟の長男・加藤能敬だった。土間に縛られたまま死んだ。永田洋子は「兄さんの死を乗り越えて、兄さんの分まで頑張って革命戦士になっていこう」と言った。三男が泣き叫ぶ。「こんなことをやったって、今まで誰もたすからなかったじゃないか」
死にたくないと雪が降り
生きたくないと樹は嘆く
残酷さこそ 愛なのに

共産主義者にとって、髪を伸ばし、鏡を使い、化粧をすることは許されないのだ。「総括」に際して「死にたくない」と漏らした遠山美枝子だが、森に自分で自分を殴れと命令される。正視に耐えないほど顔面が膨れ上がるまで自分で殴った。それでも永田洋子から「まだ女を意識している」と批判された。「森を好きだった」、そう告白する彼女に森は激怒する。足の間にまきを挟んで縛れ。男と寝たときみたいに足を広げろ。全員で殴打。行方正時が殴られている最中「お母さん、革命戦士となって頑張るわ」と繰り返し言っていた遠山は一月七日、五番目の死者となった。「総括」によって衰弱が酷くなった行方正時は何故か童謡を口ずさむ。夜になって震えだし、一月八日、六番目の死者となる。
一月十八日、「最後に言い残すことはないか」と尋ねる森に「革命戦士として死ねなかったのが残念です」と答えた。「森や永田がこけたら、オレがリーダーになる」と陰で発言していた寺岡恒一が七番目の死者となった。永田洋子を指して「オレは初めから風船ババアが大嫌いだったんだ」と口を滑らしたことで粛清が決定。アイスピックで森恒夫に心臓を突かれた。一度では死なない。森からアイスピックを受け取った男が二度、三度指すも絶命しなかった。三人目の男は延髄を刺す。それでも死なない。さらしを持ち出し、数人がかりで絞殺。この寺岡の処刑に加わらなかった山崎順が総括要求を受ける。一月二十日、坂口弘が山崎の足にアイスピックを突き刺す。「殺してくれ」と懇願を始めた山崎に森は死刑を求刑。「革命戦士として死にたかった」。山崎の遺言。やはりアイスピックでは刺し殺せず、八番目の死者も結局、絞殺となる。山崎の絞殺に際して「物理的に手伝っただけだ」と発言した山本順一は全員の怒りを買って、一月三十日、九番目の死者となる。山本の夫人は号泣しながらも言い放つ。「わたしは闘っていくよ」。
 髪は永田によって刈られていた。床下で緊縛されていた大槻節子のコンタクトレンズがずれていた。瞳孔は開き、一月三十日午後、死亡を確認。十番目の死者・大槻節子は「激しく総括するといったのが聞こえたショック死」(森恒夫)であった。
お腹の子供を楯にとって総括しようとしていない。妊娠八ヶ月の金子みちよは、そのように見られた。縛られても抗議の態度を貫き通したにもかかわらず、二月四日の大雪の朝、十一番目の死者となったことが確認される。十二番目の死者・山田孝は「総括しろだって、畜生!」と叫んで死んでいった。二月十二日午前二時頃のことであった。
狂い咲きの紅梅は
春の熱病をやんでいる
やさしさなんて罪なのに

(太字は鮎川信夫の「MyUnitedRedArmy」より)

あさま山荘の「戦争」
昭和四十七年二月十七日、群馬県警は午前六時から警察官ら五百名を動員して妙義山の山狩りを開始。東京から妙義山ベースに戻ろうとしていた森恒夫永田洋子の頭上をヘリが飛んでいた。警察官が迫っていることは間違いなかった。森が呟く。もう生きてみんなに会えないな。そんな森に永田が闘う決意を促す。とにかく殲滅戦を闘うしかないでしょ。二人は遂に機動隊に発見されてしまう。籠沢上流の洞窟付近でのこと。二人はナイフを振りかざして機動隊に突入する。機動隊が威嚇射撃。やがて二人は警丈で殴り倒される。複数の機動隊員が馬乗りになって逮捕。坂口弘は森、永田逮捕をラジオのニュースで知る。
二月十九日、四人の機動隊員が坂口をはじめとした坂東国男、吉野雅邦、加藤兄弟の五人の連合赤軍に迫っていた。長野県軽井沢レイクニュータウン無人の「さつき山荘」に五人は潜伏していた。
銃をとって叫べ
誰に俺達が裁けるのかと
銃をとって叫べ
誰が大地を汚したのかと

午後三時五分ころ、機動隊員が「さつき山荘」の様子を探ろうとしたところ、連合赤軍は銃を乱射。機動隊も威嚇射撃で応戦。坂口らは「さつき山荘」から逃走。五百㍍先の「あさま山荘」に玄関口から侵入。管理人M夫人Y子を人質にして籠城。動くな、静かにしろ、逃げると撃つぞ。人質を座らせて縛り上げる。「あさま山荘」は崖に建てられていたため三階が道路に面していた。南側の玄関口、一階の非常口、北側のバルコニーにバリケードを築き上げる。長野県警本部は軽井沢署に「連合赤軍軽井沢事件警備本部」を設置。六三二人編成の警備部隊を結成。三八八人で「あさま山荘」を包囲。警察庁も「連合赤軍あさま山荘警備本部」を設置。
無知な奴らの無知な笑いが
嘘でかためられたこの国に響き続ける
銃をとって叫べ
子供だましの伝説にゃ
もうごまかされやしない
あいつらには何もわからない
顔も見たくない

二月二十日午前六時ごろ、機動隊広報班員がトランジスタ・メガホンで呼びかける。無駄な抵抗をやめて出て来なさい。連合赤軍は発砲で応じた。二月二十一日午後五時二十九分、坂口の母親が警備車から説得にあたる。Mさんの奥さん、申し訳ありません。潔く武器を捨てて、奥さんを返して下さい。代わりが欲しいなら私が行きますから。午後七時ニクソン大統領の電撃的な訪中をテレビで知る。二月二十二日午前九時二十三分、吉野の母親が説得にあたる。昨日、ニクソンが中国に行ったのよ。社会は変わったのです。銃を捨てて出て来なさい。説得中に発砲。お母さんが撃てますか。また発砲。この日正午近く、現場に突如として現われた民間人を狙撃。三月一日死亡。午後二時半頃、機動隊員二名が銃撃により負傷。午後八時過ぎ、「あさま山荘」への送電をストップ。午後十一時過ぎ、山荘を照らす投光器を銃撃で破壊。
二月二十三日、催涙ガス弾が山荘二階風呂場のバスルームを打ち破る。山荘内にガスが充満。二月二十四日午前九時半、坂東の母親が呼びかける。お母さんはお前を生き甲斐にして今日まで一生懸命働いて来たのよ。人を傷つけるのは愚かなことです。鉄砲撃つなら私を撃っておくれ。放水が開始される。水圧で玄関のドアが破られ、バリケードの一部が吹っ飛ぶ。膠着状態が続く。
人の為に死ぬなんて真平ごめんさ
だから銃をとれ
彼の手はもう引き金にかかったんだから
だから銃をとれ
だから銃をとれ
だから銃をとれ

二月二十八日。午前九時五十分。警察から最後の通告がなされた。山荘の犯人に告げる。君たちに反省の機会を与えようとする我々の警告にもかかわらず、君たちは何ら反省を示さない。┉┉間もなくY子さんを救出するため実力を行使する。放水とガス弾。クレーン車に吊るした大鉄球が屋根を壊し始める。突入開始。午前十一時二十七分ころ、吉野が散弾銃でクレーン車と放水車を指揮していた高見繁光警部を狙撃。病院に運ばれたが死亡。第二機動隊の大津高幸巡査も被弾。左目を失明する重傷を負う。坂東が第二機動隊長の内田尚孝警視をライフル銃で狙撃。病院に運ばれたが死亡。激しい攻防の末、午後六時二十分ころ、人質救出。連合赤軍五人を逮捕。連合赤軍は十日間の籠城で一〇四発の銃弾を発砲。警察側の発砲は威嚇射撃の僅か十六発。坂口弘は回想している。どんな形であれ、われわれは銃撃戦を闘ったのだ、という思いだけで気持ちを高ぶらせていたようだ。
擬制の民主主義が勝利し、擬制共産主義は敗北したということなのだろう。
(太字は頭脳警察の「銃をとれ」)