「NHK広報局(NHKについてユルく案内)」こと「@NHK_PR」の問題ツイートについて

これこそ「言論弾圧」ではないのか。NHKという巨大組織(=マスメディア)がその職員たる個人(=ソーシャルメディア)の言論を圧殺したというべきか。私は冗談で言っているのではない。本気で怒っているのだ。フォロワーが44万人を数える「NHK広報局NHKについてユルく案内)」こと「@NHK_PR」が次のようにツイートしたのは4月1日のことである。

【お知らせ】本日、NHKと全ての民放が合併して国営放送になりました。今後は日本放送会社木履連盟(NHKPR)として、着物を着たアナウンサーが青い背景の前で、やや絶叫気味にニュースをお伝えする予定です。今後ともNHKPRの活動にご理解をよろしくお願いいたします。 #エイプリルフール

一読してエイプリルフールのジョークとわかる内容だし、4月1日になると同時にツイートしているのも「確信犯」として微笑ましい。逆に私の不満を言えば、最後に「#エイプリルフール」という断りを入れていることだ。こんな断りなんぞ入れないことがオーソン・ウエルズによってなされた火星人襲来のラジオ放送の精神を受け継げたはずだし、それこそ「NHK」を冠にしたアカウントに相応しかったはずだ。このツイートの白眉は「着物を着たアナウンサーが青い背景の前で、やや絶叫気味にニュースをお伝えする予定です」という表現であろう。これは明らかに衛星ミサイルの打ち上げを強硬しようとしている北朝鮮という独裁国家に対する「批判」を込めていることがわかる。そこに「武器としての笑い」が脈打っていることは間違いあるまい。
「@NHK_PR」はツイッターのプロフィールで「公式ですが、やや癖のあるツイートが多いので、苦手だとお感じの方はアンフォロー推奨です」と書いていることからも、冗談のわからない「バカ」には予め「アンフォロー」を推奨しているのである。にもかかわらず、NHKは4月2日付サンケイスポーツによれば「苦情が数件寄せられた」だけで、ツイートを削除し、次のような謝罪のツイートをさせたという。

昨夜ツイートしたエイプリルフールのジョークで、一部の方に非常に不快な思いをさせてしまいました。思慮不足でたいへん申しわけありませんでした。これ以上、不快な思いをされる方がいらっしゃらないよう、ツイートを削除いたしました。(ツイログには残しております)

()のなかに「ツイログには残しております」と記したのは「@NHK_PR」という「個人」の「組織」に対する抵抗なのであろう。「@NHK_PR」は充分に「武器としての笑い」という方法論を理解しているはずだ。言うまでもなく「笑い」の本質は笑わせることだけではない。その「笑い」に過剰反応し、怒り出す頓珍漢な連中も含めて「武器としての笑い」は笑い飛ばす。「@NHK_PR」からすれば、不快な思いをした連中も自らの創造した「笑い」の標的であったはずである。「ツイートを削除いたしました」に続けて「ツイログには残しております」と書いたのは、不快な思いをした連中をなお「奴隷の言葉」をもって笑い飛ばしてしまおうという小さな抵抗のゆえであろう。
むしろ、笑われるべきは「@NHK_PR」のツイートを簡単に「否」と認めてしまったNHKというマスメディアにほかなるまい。NHKは真面目さに弱いのだ。たかだか数件の苦情が飛び込んできただけで、東日本大震災以後に醸成されはじめた真面目な空気にNHKは耐えられなくなってしまい、その真面目さに同調し、その真面目さに流されてしまう。そのようにしてNHKは「自由な言論」をいとも簡単に捨ててしまったのだ。NHKという「公営ジャーナリズム」の限界でもある。「自由な言論」「自由な表現」はエロ(=性)、グロ(=暴力)、ナンセンス(=笑い)の下世話でくだらない領域から刈り取られていくものである。その先頭に立つのが「良識派」というインテリかぶれのバカどもであると昔から相場は決まっているのだ。
だから「@NHK_PR」は「単なるジョークではなく、少し皮肉と啓蒙的な要素を混ぜたのが、うまく伝わらず、あまりよくない結果になったのだなと反省しています」などと極めてNHK的なツイートしてはならないはずである。ツイッターで「N=ナカノ、H=ヒトハ、K=カタイ」と言い放ったソーシャルメディアとしての責任というものであろう。