朝日流―民主主義が泣いている

民主党の混乱の原因を小沢一郎になすりつけるだけで良しとするのが朝日新聞の民主主義観であるようだ。4月4日付社説「小沢流―民主主義が泣いている」は昨夏の民主党代表選で、消費増税を掲げた野田佳彦が勝利し、首相に就任し、消費増税に関して党内での長い論議と手続きを踏まえて政府案がまとまったのだから、小沢一郎民主党の議員なのだから、これに協力しないのは、「政党として守るべき党内民主主義の最低限のルール」からの逸脱だと主張している。

結論が不満だからといって、あえて党内に混乱を持ち込むやり方は、筋が通らない。これでは民主主義が泣く。
それに、広く国民にリーダーへの協力を求める小沢氏が、いわば身内の国会議員にリーダーへの同調を呼びかけないのは、どうしたことか。

「党内に混乱を持ち込むやり方」とは、小沢グループの約30人が政務三役や民主党の役職の辞表を提出したことを指すようだ。しかし、彼らの辞表提出は小沢一郎の指示であったのだろうか。新聞を読んでいればわかることだが、小沢はそんな指示など出していない。この30人が辞表を提出したのは、消費増税を今の段階で強行することを含めて民主党衆院選で大勝した際に掲げた「国民の生活が第一」というマニュフェストから遠く離れるばかりの現状に対して「否」の意思表示をしたということである。それほど彼らにとってというよりも、民主党の国会議員にとってマニュフェストは重いはずだ。
周知のように民主党は綱領を掲げていない政党である。その原案すらまとまっていない政党なのである。民主党が「綱領検討委員会」を再設置することを常任幹事会で決めたのは、ついこの間の3月21日のこと。民主党にとって綱領の代わりを果たしてきたのがマニュフェストであったと言える。選挙民にとって「民主党=マニュフェスト」であった。民主党は4年間は消費増税しないというマニュフェストによって衆院選では圧勝し、菅直人が突然、消費増税を言い出した参院選では敗北したのである。
それでも消費増税に踏み出すというのであれば、マニュフェストの達成度を高める努力に邁進したうえで国民に理解を求めるのが筋のはずなのだが、子ども手当てでも、障害者自立支援法でも、派遣労働者法でも、マニュフェストに掲げた理念から遠く離れるばかりであったし、歳出削減を実現すべき事業仕分けにしても結局のところ政治ショーに終始してしまった。せめて政治が自ら身を削るべく政治改革を成し遂げた上で消費増税を決定すべきであるにもかかわらず、これもサボタージュして、野田政権は消費増税のみを断行しようとしている。これがニッポンの民主主義の現状なのである。
朝日新聞小沢一郎が今から16年ほど前の著書『語る』で「自分たちで選んだ総理なら、少なくとも任期中は総理のやりたいことをやらせるように協力するのが、民主主義のルールだと思う」と述べている箇所を鬼の首でもとったかのように取り上げる。小沢を言行不一致の政治家として糾弾したいようなのだが、朝日新聞も認めているように小沢が「そもそもの理念、公約に反するような行動をすれば別」と留保をつけていることを軽視してはなるまい。民主党にとって本来であれば「そもそもの理念」が綱領であり、「公約」がマニュフエストでなければなるまい。しかし、民主党が綱領を欠如している政党である以上、マニュフェストこそが「そもそもの理念」であり、かつ「公約」なのだ。だとすれば野田首相が消費増税のみに突き進むのは、「そもそもの理念、公約に反するような行動」そのものではないのか。そういう意味では小沢一郎の政治姿勢は一貫していると言えるだろう。朝日新聞によれば小沢一郎が3月14日にロイターのインタビューに応えて

この国の統治機構、官僚支配の中央集権体制を根本的に変えなくてはいけないというのが、われわれの主張であり、マニフェスト政権公約)だった。それに手を付けないできた結果、民主党政権は、自民党以上に官僚に依存していると言われている。民主党は意識転換ができていない。このままでは、政権交代した意味がない。われわれが公約し、国民が期待した根本的な改革にメスを入れ、改革を進める勇気をわれわれが持つかどうかだ」

と語っているのも、また3月31日に宮崎市での党所属議員の会合で「民主党政権は『国民の生活が第一』を標榜して政権についた。約束した政治を実現しなければ、日本の政治の大混乱につながる」と語っているのも、小沢一郎の政治姿勢が野田佳彦と違って少しもブレていない証左である。相変わらず小沢一郎の「意見は常識に富み、妥当な見解」(吉本隆明)なのである。小沢一郎政党政治に基盤を置く議会制民主主義の原理主義者なのである。蛇足ながら付言しておくと、そこが小沢一郎が理解する民主主義の限界でもあるだろう。小沢が依拠しているのは、どこまでいっても間接民主主義である。間接民主主義は主権者たる国民が選挙においてしか主権を行使できないという点において民主主義としては歪であると私は考えている。直接民主主義を射程に入れていないところが「小沢流」の限界なのである。
いずれにせよ、私は小沢グループの約30人が政務三役や民主党の役職の辞表を提出したことを評価したい。確かに消費増税は避けて通れないにしても、累進課税の強化なども含めて、もっと総合的な視点から増税を図るべきだし、何よりも増税の前にマニュフェストに刻まれた「根本的な改革」にこそ民主党は取り組むべきではないのだろうか。
民主主義が泣いているのは「小沢流」ではなく「朝日流」であることは間違いあるまい。