私はレバ刺しが好物である。行きつけの居酒屋では必ず注文するようにしている。スライスした玉葱とレバーを箸でつまみ、これにごま油とニンニクをつけて口に放り込む。酒精の旨さが一気に加速される。ところが、そんなレバ刺しを国家は私から取り上げようとしているようだ。徳川綱吉の「生類憐みの令」に匹敵するような「レバ刺し禁止令」の愚行を日本低国はしでかそうとしている。厚生労働省が生レバーの販売を禁止する規格基準を食品衛生法につくろうとしているのだ。違反すれば2年以下の懲役もあるって!開いた口が塞がらないとはこのことだ。権力はレバ刺しに嫉妬する。シャレにもならねぇ。6月にも施行だと。6月には居酒屋のメニューから「レバ刺し」が消える!?木っ端役人に箸の上げ下げまで指導されたくはないわな。言っておくが主権者は私たちなのだぞ。クリント・イーストウッド主義者としては黙っているわけにはいくまい。
何故、こんなことになってしまったかといえば実はレバーに罪はないのだ。昨年、「焼肉酒家えびす」が起こした集団食中毒事件が発端である。同焼肉チェーンの富山・福井・神奈川の店舗でユッケなど生肉を食べた客117人が病原性大腸菌O111・O157による食中毒になり、5人が死亡、24人が重症となった事件で厚生労働省は生食用牛肉の提供基準が厳しくなり、検討の対象がレバーにまで及び、レバーからO157が検出された結果を踏まえて全面禁止を決断したというわけだ。
それほど「レバ刺し」は罪深い食い物なのだろうか。厚生労働省の記録によれば、「レバ刺し」による食中毒の報告件数はユッケよりも多いが、死亡例は1998年以降ないという。ユッケは子どもでも食べるが、「レバ刺し」は子どもが手を出すことが殆どないからだと思われる。「レバ刺し」は大人の味なのである。しかも、生カキによる食中毒と比較して「レバ刺し」による食中毒が格段に多いというわけでもない。食中毒全体の1%に満たないそうである。それでも「レバ刺し」を禁止しょうというのは日本経済新聞の4月4日付社説「『レバ刺し禁止令』の愚かしさ」が指摘するように「ただ1つの事業者が引き起こした不祥事を機に『官』による規制が際限なく広がる、典型的なパターン」にほかなるまい。要するに厚生労働省は私たちを「大人」として扱っていないのである。パターナリズムというやつだ。しかし、その裏側に貼りついているのは臆病であり、責任回避の思想である。信濃毎日新聞が4月5日付社説「牛レバ刺し いきなり禁止だなんて」で指摘しているように厚生労働省は「対策を取らずにいて死者が出れば国が批判を受ける」という心配からなのだ。しかし、庶民感情からすれば、そのような心配こそ要らぬお節介である。原発の過酷事故で国民を守れなかった政府が「レバ刺し」から国民を守ろうというのだから笑止千万である。私は日本経済新聞が匿名ではあっても社説で書く次のような件に全面的に同意する。
およそ食べ物から完全にリスクを取り除くのは難しい。魚の刺し身も生卵も、食べる、食べないは、突きつめれば個人の判断だ。食文化というものは、そうした微妙な均衡のもとに育まれてきた。
そこに「お上」が乗り込んでメニューそのものをご法度にするとは、ほかの分野での過剰規制にも増して愚かしい対応と言わざるを得ない。へたをすれば「闇レバ刺し」がはびこることになる。
それこそ「レバ刺し」を食べるかどうかは自己責任に帰すれば良いはずだ。行政(=権力)が介入するのは「レバ刺し」を提供する業者に対してメニューなり何なりに牛レバーを生で食べると腸管出血性大腸菌O157などによる食中毒の原因になり得るということを明示させ、同時に子どもや高齢者には食べさせないよう指導するレベルまでにとどめるべきだろう。忘れてはならないのは、こうした過剰規制こそファシズムやスターリニズムの最も得意とするところであるということだ。私は決して冗談で言っているのではない。