昨日、hatenaが落ちた―プラットフォームの公共性を考える

それは昨日のことであった。私がブログのエントリを書いている最中に事件は起きた。私の場合、ブログを一気に書き上げるのではなく、仕事の合間を縫って書いているのだが、昨日も書きかけのエントリを「下書き保存」しようとしたところ、グーグルクロームはhatenaと接続できないという旨の表示が出た。しかも、何回やっても同じ表示が出る。あれっ?と思った。私はiPadで自分のブログにアクセスしようと思ったが、これもできない。パソコンでhatena系のブログに何件かアクセスを試みたが、これもできない。iPadで利用しているアプリ『はてなB!』も立ち上がらない。私はツイッターを立ち上げ、「hatena」を入力してみることにした。すると私同様にhatenaを使えないユーザーが沢山いるではないか。私のパソコンやiPadには問題はないことがわかったのである。そこで私もいくつかのツイートをもって「hatena」に事故で困っていることを伝えた。

hatenaにグーグルから接続できなくなってしまったぞ!何らかのトラブルが発生したのだろう。hatenaさん、何とかして下さい! 4月22日午後3時5分

@hatena_bookmark hatenaにグーグルからも、iPadからも接続できないのですが、事故でしょうか?  4月22日午後3時13分

hatenaが「はてな?」状態。これからどうなるのだろうか? 4月22日午後3時21分

実際、hatenaが「落ちた」のは午後3時5分よりも前の時間であろう。私が「hatena復旧!」とツイートしたのは4月22日午後3時33分のことだから、30分強にわたってhatenaを使えなくなったということだろう。復旧したことにより、私も「下書き保存」をできたわけだが、それでも解せないのが、hatenaの対応である。
例えば交通機関であれば30分であれ電車がとまってしまったならば、どこどこ駅で人身事故があったため、安全点検のため停車されている旨のアナウンスがある。マスメディアのテレビでも一時的にでも視聴が不可能になったならば、視聴可能になった時点でテロップが流れることだろう。
しかし、hatenaから、そうした類のメールは届かなかった。hatenaの場合、ブログを立ち上げるのに一銭もお金がかからず、私もまたそうしたhatenaのサービスをタダで使わせてもらっている。hatenaからすればタダのサービスだから事故があってもアナウンスしないで良いと考えているのだろうか。だとすれば、それは間違いではないのか。もちろん、私はhatenaのサービスをタダで使っているけれど、そのかわり私は私のブログを広告媒体としてhatenaに提供している。広告効果など殆どないに等しいのだろうが、私のようなブログに通しで広告を掲載するのであれば、それなりの広告効果はあるはずであり、そういう意味で私はhatenaのサービスをタダで享受しているけれど、hatenaのビジネスに協力しているのである。当然、サービスが「落ちた」ことに対する何らかのアナウンスがメールであっても良いのではないだろうか。
インターネットはhatenaのブログサービスもそうだし、ツイッターフェイスブックでもそうだが、プラットフォームビジネスが立ち上がることで、誰でも自分のメディアを持てるようにした。マスメディアという「旧大陸」が情報を独占するという時代に終止符を打ち、「新大陸」においてソーシャルメディアの時代が幕を開けた。私はこのことを評価し続けてきたし、その評価に変わりはないが、ソーシャルメディアを支えるプラットフォームを運営する企業に「公共性」が問われているのだということも付言しておきたい。
鉄道でも、メディアでもコミュニケーションという「交通」を担う以上、自らの「公共性」を強く自覚していないのであれば、大衆からの支持が失墜してしまうことであろう。ソーシャルメディアという「交通」はプラットフォームなしには存立できないことを考えるのであれば、プラットフォームもメディア同様に「公共性」が問われているということだ。しかも、「公共性」を看板にしてきたマスメディアが実は自らの「公共性」を毀損、摩滅させてきたことが3.11以後、ソーシャルメディアが露にしつつあることを考えるのであれば尚更のことではないのだろうか。ソーシャルメディアの時代とは、プラットフォームが様々な「私」を支え、かつ様々な「私」に様々な「私」をつなげるという、誰でもメディアを自在に駆使できる時代にほかならないのである。そういう意味ではプラットフォームは「公共財」であるのだ。