フェイスブックの米ナスダック上場とバブル経済

日本にグーグルやフェイスブックのようなインターネットという新大陸を母胎にした新しい産業(その起業自体が文化革命として世界を震撼させてしまうような新しい産業だ!)が生まれないのは、「どう儲けるか」を優先させ、「どれだけ役に立つか」を軽視しているからではないだろうか。日本では起業をビジネスとだけしか考えられない企業文化が支配的なのだ。グーグルの検索エンジンはビジネスとして定着するより以前に人々の生活に入り込み、圧倒的な支持を獲得した。それからビジネスモデルの模索が始まったと言って良いだろう。インターネットでサービスを提供するビジネスは大半が広告依存型のビジネスモデルに帰着せざるを得ないとしても、最初から広告収入を繰り込んでしまうのであれば、そのビジネス自体が旧来型の広告ビジネスという範疇にとどまってしまうのだろうが、グーグルは「どれだけ役に立つか」を高めきったうえで、広告収入を模索した結果、それこそ旧来のメディアほど広告代理店を必要としない、広告においても新しいビジネスモデルを構築してしまったのである。
これが日本であったらどうなるだろうか。新しいアイデアがあったとしてもカネが集まらず起業には至るまい。アメリカあたりで成功したビジネスがあり、これを真似したような企画書にはカネが集まるかもしれない。しかし、インターネットの世界では二番煎じは通用しないから、そうして立ち上げたビジネスが大きく育つことはあり得ない。もし、グーグルやフェイスブックのアイデアが日本で生まれていたら、どうなったろうか。新しいし、面白いとは認められるに違いない。しかし、「どうやって収入を得るの?」と聞かれ、そこで口ごもった瞬間、その企画は間違いなく流産する運命を辿ったのではないだろうか。日本の新自由主義者もどきも「機会の平等」とは叫ぶけれど、この輩にとって「機会の平等」は所詮空念仏、御題目にしか過ぎないのである。日本のビジネス習慣にとっては楽天あたりが許容範囲の限界なのだろう。楽天に革新性はあったけれど、革命性は1㍉もなかったということである。フェイスブックなどチュニジアで「ジャスミン革命」と呼ばれる実際の革命のツール、革命の武器にもなった!最初からカネを儲けることだけを第一義に考えてきたビジネスではこうはなるまい。フェイスブックはアイデアの起点が日本経済新聞の5月18日付社説「フェイスブック上場と新産業創出の道筋」にならっていえば女子学生の美人コンテストといういささか問題の多いサービスであったからこそ革命の武器に進化し得たのである。これがビジネスとして全く問題のないサービスであったとしたら、革命に利用されることすらなかったに違いない。楽天などその典型である。日経の社説にはこうあった。

日本の昨年のベンチャーキャピタルの総投資額は294億円だったが、フェイスブックは1社で昨年1月に15億ドル(1200億円)を調達した。新企業に流れ込むカネの厚みに歴然とした差がある。

新しい才能、新しい産業に流れ込む投資資金の桁が違うのである。フェイスブックの弱冠28歳の創業者マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者は米財務長官の元首席補佐官にあった人物を片腕の最高執行責任者に据えている。かくもアメリカの経済はダイナミックなのである。しかし、フェイスブックのような成功例ばかりではあるまい。人々の役には立つけれどビジネスとしては成立しなかったアイデアや才能にも莫大な投資が集まっているのであり、そのトートルの収支において何とか帳尻が合っているのがアメリカの経済であるということでもある。それは綱渡りのバブル経済と同義ではないのか。人の生活に役に立つというだけでビジネスとしては海のものとも山のものともわからないような新しいアイデアに次から次に莫大な投資資金が集まるということはアメリカの経済が役に立つことは必ず儲かるという幻想を絶えず生産し続けているからに他ならないのである。バブル経済とはそういうことなのである。
ビジネスの実態を踏まえてカネが動くのではなく、あり得るべきビジネスの理想的な未来を妄想してカネが動くのである。経済学的な言い回しをすれば経済の基礎的な条件からみて適正な水準を上回って経済的な価値が形成されるということである。ハイマン・ミンスキーにならって言えば金融的不安定性ということになろうか。それがどこまで行っても現実とかけはなれた妄想でしかなかったことが発覚すると、そうまさに夢から覚めるとバブルは弾けるのだ。市場は少しも効率的ではないのである。むしろバブル経済を胚胎する市場は自らの無矛盾性を証明できない自己言及性に必ず帰着する。市場は本能的に「欲望機械」に他なるまい。恐らくアメリカの資本主義はリーマンショックの教訓など少しも生かしていないのである。確かにリーマンショックは何社かの投資銀行を崩壊させたかもしれないが、バブル経済を常態化させている構造が瓦解したわけではなかったということである。バブル経済はマネーのセックス依存症のようなものである。だからウォール街は絶えず陶酔と熱狂に包まれているのだろう。
ユーザーが遂に全世界で9億人を突破したフェイスブックアメリカのナスダックに上場すると、株式時価総額は約1千億ドル(約8兆1千億円)に達するという。ちなみに日本企業の時価総額ランキングにフェイスブックを位置づけてみるならば、約11兆円で第1位のトヨタ自動車に次ぐ第2位になる。私はフェイスブックの文化的な革命性を支持するが、フェイスブックもまたバブル経済の賜物であることに資本主義の危機を見て取らないわけにはいかないのである。