核燃料サイクルの「政治学」 核燃料サイクル推進派によって仕掛けられた可能性のある毎日新聞スクープ

何かを報道するということは、何かを隠蔽せずには成立しない。ともに英語ではcoverである。つまり、報道から読み取るべきは、その報道から何が隠蔽されているかにほかならない。報道の「過剰さ」は報道から隠蔽を発掘されないための装飾なのである。報道が隠蔽を伴う限り、その報道を担う記者個人の意志にかかわりなく、報道は絶えず権力と癒着(「交尾=cover」でもある!)しかねないのである。記者からすれば意図せざる意図が実現されてしまうのだ。現実を放棄させられ、自らの報道が矮小化されているということに彼は遂に気がつかないのである。さて―。
私の立場をまず鮮明にしておこう。核燃料サイクルは放棄すべきだというのが私の立場である。しかし、だからこそ言っておきたいことがある。それはここ数日にわたって繰り広げられた核燃料サイクルにかかわる報道についてだ。「誤報」だとは言うまい。とはいえ、民衆の意思を核燃料サイクル放棄の方向に誘導しようという前のめりな姿勢が透けて見える「偏向」を私は感じないわけにいかなかった。その「前のめりな姿勢」をマスメディアならではの歪んだ「権力意識」と断じても間違いないだろう。マスメディアがボルシェビズム的小児病を発症させたとも言えよう。しかし、真に恐るべきは一見すると核燃料サイクル放棄にとってプラスになるようなスキャンダルの発覚のように偽装しながら、底流では核燃料サイクル推進に加担するような屈曲を孕んだ報道であったということである。事の発端となったのは5月24日付毎日新聞の一面を飾ったスクープであった。見出しには「秘密会議で評価書き換え 核燃料サイクル報告原案 再処理を有利に」である。

内閣府原子力委員会原発の使用済み核燃料の再処理政策を論議してきた原子力委・小委員会の報告案を作成するため4月24日、経済産業省資源エネルギー庁、電気事業者ら推進側だけを集め「勉強会」と称する秘密会議を開いていたことが分かった。表紙に「取扱注意」と記載された報告案の原案が配られ、再処理に有利になるよう求める事業者側の意向に沿って、結論部分に当たる「総合評価」が書き換えられ、小委員会に提出された。政府がゼロベースの見直しを強調する裏で、政策がゆがめられている実態が浮かんだ。

原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会が正式名称のこの小委員会は5月23日に「総合評価」を「新大綱策定会議」に報告し、現在は事実上解散しているが、毎日新聞が問題にしているのは小委員会が4月27日に論議する予定の「報告案」の原案を事前に核燃料サイクルの推進にかかわる関係者に資料として配布し、「勉強会」と称する「秘密会議」を開いたことによって、「報告案」の「総合評価」が推進派にとって有利になるよう書き換えられたというのである。しかも、この秘密会議に小委員会側から出席したのは小委員会の座長をつとめる原子力委員会の委員長代理でもある鈴木達治郎一人だけであったというのだ。「総合評価」がどのように書き換えられたかといえば毎日新聞によれば、こういうことになる。

総合評価の表記は、仮にウラン価格が30倍に上昇しても全量直接処分が経済的に優位であることから、原案では「(再処理や併存より)総費用において優位」と言い切っていた。しかし、変更後は「ウラン価格が現状のままなら」などと条件付きで「優位になる可能性が高い」と後退する一方、併存について「全量再処理より経済的に多少有利」などと利点を強調する記述が増えていた。

毎日新聞が「秘密会議」と称した「勉強会」は朝日新聞5月25日夕刊によれば4月24日に開催されただけではなく、昨年11月から23回も開かれており、原子力委員長の近藤俊介も12月開催の勉強会には出席していたという。近藤は毎日新聞に「(報告案を配っているなら)度を越えている。私の監督責任にかかわる問題」と述べたことから考えるならば「秘密会議」の開催には問題はないが、その席上で報告案を配ったとすれば、それは問題だと言っているのだろう。一方、鈴木達治郎は毎日新聞に対して「出席したかもしれないが、結果的に小委員会の議論に影響はなかった」と発言している。
昨年から23回も開催され、開催の発覚を恐れている節もさして見当たらない以上、隠れたところで重要な決定をしてしまうというニュアンスを孕む「秘密会議」という言葉が果たして妥当なのか疑問がわく。それは文字通り「勉強会」であったと考えるべきなのではないだろうか。しかし、何故、こうした勉強会を23回も開催する必要があったのか。鈴木達治郎のツイートによれば「残念ながら核燃料サイクルのコスト関連データを持っているのが事業者だけ」であったからである。この「関連データ」がない限り、定量評価の作業は進められないわけだ。つまり、小委員会には「関連データ」を事業者から強制的に提出させる権限を持っていないということである。だから通算23回も「勉強会」を開かなければならなかったのだと推測できる。
では、毎日新聞の主張するように「総合評価」に4月24日の「勉強会」がどれだけ影響を及ぼしたかである。原子力委員会のホームページを見るならば、誰でも4月27日に開催された小委員会の「会議資料」と「議事録」を閲覧することができる。5月8日と5月16日に開催された小委員会に関しては「会議資料」を閲覧できるが、「記事録」は作成されていない。しかし、どのような内容の議論が交わされたかは音声で確認できる。これらを読んで、聞く限り、鈴木が次にツイートしている通りだろう。

記述の変化は、検討小委の委員のご意見を反映したもので、事業者の意見を反映したものではありません。 5月24

原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会は昨年、9月27日に発足しているが、構成メンバーは鈴木達治郎を座長にして、東京大学大学院工学系研究科教授の田中知、特定非営利活動法人原子力資料情報室共同代表の伴英幸、モルガン・スタンレーMUFG証券株式会社ヴァイス プレジデントの又吉由香、 東京大学社会科学研究所教授の松村敏弘、財団法人地球環境産業技術研究機構 理事・研究所長の山地 憲治、京都大学原子炉実験所教授の山名元 である。こうした顔ぶれからしても、そう簡単には核燃料推進派が集う勉強会に影響を受けることはないだろう。伴英幸は折り紙付きの「脱原発」派と言えるし、発電・送電分離を主張する松村敏弘は電力会社からすれば目の上のタンコブであることは間違いない。このメンバーであれば報告書にかかわる最低限のチェック機能は果たせるとみて間違いあるまい。
原子力委員会が4月24日に配布した「資料」をホームページで堂々と公開しているのも、事業者の意見を反映し、核燃料推進派に都合が良い内容に書き換えられたものではないことに自信があったのことに違いない。原子力委員会は「原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会の報告書とりまとめに関する報道について(見解)」という文章もホームページで公開しているが、そこにはこう断言している。

4月24日の会合に提出した資料の中に、「総合評価案」と題するものが含まれていたのは事実ですが、これはその後何度か用意された原案の一つです。実際、4月24日の会合の後、小委員会の委員のご意見を踏まえて改めて別の原案が作成・修正された上で会議に提出されました。その過程は以下の通りです。4月27日の検討小委で座長は、5月8日の会合にむけて、「総合評価案」作成のための意見書を5月2日までに提出するよう各委員に依頼しました。その意見書を踏まえて、座長は原案を作成し、会合前の5月7日に小委員会委員にそれを配布し、コメントをいただき、最終原案を5月8日の小委員会に提出しました。
5月8日の会議(公開)では、提出された最終原案の審議が行われ、その後、座長は委員各位のご意見をできるだけ反映した最終報告書案を作成し、全委員に修正内容を確認しています。また、この作業は5月16日の会議の後にも行っています。したがって、この検討小委員会の報告書を、「特定の事業者や立場に有利なように書き換た」ということは事実無根です。

この「見解」においても「素案とはいえ、報告書案と受け止められるものが外部の事業者や関係者に配布されたことが、このような疑念を招いたことを反省」しているように、鈴木達治郎が責められるべきは4月24日の「勉強会」に際して不用意にも資料を配布してしまったことである。事実が公になれば充分に鈴木を原子力委員会の委員長代理という要職から引き摺り下ろすこともできる「落度」である。その「落度」をチャンスとして捉え、これを毎日新聞にリークすることで、自分たちの「利益」を獲得するなり、実現しようと考えた「勢力」が存在したということである。何しろ鈴木は「勉強会」に出席する際にテレビ報道用の「動画」まで撮影されていたのである。この「勢力」こそ核燃料サイクル推進派であると考えることができる。核燃料推進派が集う会議に小委員会向けの「資料」を配布し、「総合評価」を核燃料サイクル推進派寄りに書き換えていたという記事に導くことで核燃料サイクルの議論から鈴木を芟徐することに成功すれば最も利益を得るのは実は核燃料サイクル推進派なのである。この逆説こそが核燃料サイクルをめぐる「政治」の本質なのである。
どういうことかと言えば、小委の座長をつとめる鈴木達治郎の核燃料サイクルに関する立ち位置は「推進派」には当たらない。もちろん「中止派」というわけでもないが、「脱原発派」の飯田哲也のツイートの言葉を借りれば鈴木は「消極派」ということになろうか。核燃料サイクル推進派からすれば、原子力委員会で委員長代理の要職にある鈴木は邪魔な存在にほかならないのである。鈴木が「勉強会」で毎日新聞によれば「表紙に『取扱注意』と記載された報告案の原案」を配ったことは核燃料推進派からすれば肉を切って骨を断つチャンスであったに違いない。ちなみに河野太郎のブログ「ごまめの歯ぎしり」(http://www.taro.org/2012/05/post-1208.php)によれば、原子力委員会の事務局ポストは東京電力関西電力中部電力、日立、東芝三菱重工で分け合っており、「情報のやりとりから意思決定まで、すべて出身法人と一体で運営していると言っても良い」という有り様なのである。飯田哲也はこうツイートしている。

鈴木達治郎原子力委員長代理は再処理消極派だが、ここまで事務局を「原子力ムラ」に固められていたら、さすがに抵抗は厳しいだろう。  5月25日

私は飯田や河野の主張に必ずしも同意できる者ではないし、飯田の「原子力ムラ」という言い方にも違和感を禁じえないが、こうした事務局あり方では原子力委員会原子力の未来を真剣に議論する場として中立性が担保され難い状態に置かれていることに間違いはあるまい。原子力の危険性をできる限り防ぐ方法を考えてゆくには、事務局の「政治」が委員の「科学」(=客観性)を抑圧することが可能になる体制では駄目だということである。