「決められない政治」という言葉が政治ジャーナリズムの世界で盛んに使われていた。首相の野田佳彦が国会で1月24日に行った施政方針演説の際に使ったフレーズである。大阪市長の橋下徹が盛んに「決める政治」を主張していたことを意識して、野田は「決められない政治」からの脱却を訴えたわけである。新聞やテレビを根城とした政治ジャーナリズムは、大半が消費増税を支持していたことから、これを逆手にとって、ことあるごとに野田に対して「決められない政治」というフレーズをぶつけることで、野田政権の掲げる消費増税を煽ったのである。野田を「決める政治」へと誘導していったと言っても良いくらいである。事実、先週、野田は次々に決めていった。
6月15日午後、「原子力規制委員会」設置法案をの衆院本会議で賛成多数で可決し、同日深夜には民主党、自民党、公明党の3党は「税と社会保障の一体改革関連法案」なる建前で消費増税を実施する法律を修正協議を通じて今国会での成立を図ることに合意した。休む暇もなく翌土曜日の16日午前、野田佳彦首相は枝野幸男経済産業相ら関係3閣僚が会合を開き、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を正式に決定した。
もともと民主党は原子力の安全規制を担う新組織に関しては環境省の外局に「原子力規制庁」を設置するという考え方であったが自民党案を丸飲みした。大飯原発の再稼動の決断も自民党路線を踏襲した結果であろう。野田が首相として政治生命を賭けると豪語していた「税と社会保障の一体改革関連法案」にしても、自民党案を軸に修正が進んでいった。
そのようにして野田佳彦はものの見事に「決められない政治」から脱却してみせたのである。その事実は認めるべきであると思う。それがたとえ総選挙で掲げたマニュフェストを反故にしての「勝手に決める政治」であっても。民主党に政権を託し、「国民の生活が第一」の政治を夢見た選挙権を持った国民の選択が挫折したのである。
民主党に騙されたなどと泣き言を弄してはなるまい。明治の世にあって自由民権運動の中心にあった板垣退助にしても(制限)選挙の結果を裏切って、結局、伊藤博文と合流し、立憲政友会を創立したし、日本を戦争の泥沼に引き摺り込んだ近衛文麿の大政翼賛会に先頭を切って合流したのは社会民主主義勢力といって間違いのない無産政党であった。わが国の民主主義の伝統からすれば野田佳彦のしでかしたことは少しも珍しくないのである。
権力は国民を騙すし、裏切るものなのである。権力が国民に「道徳」を共用するのは権力の生理現象にほかならないが、国民が権力に「道徳」を求めても無意味なだけである。国民主権といったところで、国民の権力行使は予め「法」によって定められた選挙に限定されてしまっているのである。
国民はいつものように政治のくだらなさの表象としてペシミズムに放置される。結局、どの党が政権を担っても同じだし、誰が首相をつとめても同じなのである。これもまた歴史において、さして珍しい光景ではあるまい。世論調査で支持政党なしが最も多いのには、一票を投ずることなく国民主権(限定的で非力な国民主権!)を行使しなかった人々も含めれば、国民の圧倒的多数を占めるはずである。
このような情況で政党政治が機能すねことのほうが奇跡的であろう。言っておくが私はニヒリストではないし、日々の生活に汗をかく民衆もまたニヒリストではない。私はただ日本の現在を忠実に「写生」しようとしているだけの話であるし、民衆も自由から逃走しようなどとは微塵にも思うまい。民衆の自由への闘争が始まったのだと権力は驚愕すべきである。
総選挙で民主党は大幅に後退するだろう。国民にできることは次の総選挙で民主党の議員に一票を投じないことなのである。そのようにして民主党は次の総選挙で政権の座を引き摺り下ろされるに違いあるまい。その結果、自民党がたとえ第一党になろうとも、それは自民党に対する支持ではなく、民主党だけには絶対に一票を投じないという国民の意志であると見るべきである。国民からすれば自民党に対しても、とうの昔に愛想をつかしているのである。もし大阪市長の橋下徹が国政に進出するならば、相当の票が集まるだろう。別にだからといって橋下の政治哲学や政治手法を支持しているというわけではあるまい。
私は政党を信頼しているわけではないし、政治家を信用しようとも夢にも思わない。どんなに素晴らしい未来を語ろうとも、政治に手を染めるということはニヒリズムに汚染されることにほかなるまい。そう、ニヒリストなのは民衆ではなく、権力の周辺で生計を立てる連中こそニヒリストなのである。彼らはニヒリストであればこそ「言葉」を平気で裏切れるのである。そういう意味からすれば選挙とは民衆のリアリズムと政治家のニヒリズムが奇妙な調和を果たす場なのである。その瞬間の均衡に権力は免罪符を得る。ただし、その効力は次の選挙までに過ぎない。これが間接民主主義の本質である。
もし政治の歴史に次の段階があるとすれば、民主主義の脱「間接民主主義化」に他なるまい。間接民主主義の様々な局面に直接民主主義を介入させる「制度」を間接民尾主主義を通じて実現していくことである。民主主義が政治の最高形態であったとしても、間接民主主義が民主主義の完成形態などでは決してないのである。民衆の自由への闘争がそうした針路を取ることは、これからの歴史が証明することになろう。たとえ、どんなに時間がかかっても、だ。