WBCにプロ野球選手会が不参加を決定!ベースボールについて考える

スポーツ新聞各紙によれば阪神タイガース新井貴浩を会長とする労組日本プロ野球選手会は7月20日大阪市内で臨時大会を開き、来年3月に開催が予定されている第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に参加しないことを全会一致で決議した。この一報に接したとき多くの野球ファンは「何故なんだ!」と思ったに違いない。野球ファンからすれば、日本が二連覇をしている大会であり、その際にはナショナリズムに酔い痴れることができた大会である。選手たちが不参加を決めたことに首を傾げたに違いない。しかし、選手会の言い分を聞くと、なるほどと肯いた野球ファンも多かったのではないだろうか。要するにWBCは不平等条約であると選手会は告発したのである。WBCは、第1回、第2回大会とも、約1800万ドル(日本円の当時のレートで約16億円〜20億円)にも及ぶ多額の利益をあげ、興行的にも十分に成立しているにもかかわらず、収益配分ではアメリカの大リーグに偏っているというのだ。選手会の公式ホームページには、こう書かれている。

WBCでは、かつてのオリンピック野球日本代表では、参加国の固有かつ当然の権利として認められていた、代表チームのスポンサー権、ライセンシング権を、全てWBCIに譲渡することを参加条件としています。その上、大会のスポンサー収入の半分以上は日本企業からの収入であるにもかかわらず、WBCの利益の66%は、アメリカのMLBとMLBPAが独占する形となっており、日本は、わずかな利益分配(13%)を受けるのみとなっています。
つまり日本代表の運営や練習試合に要する多大なコストなどを考えれば、優勝して多額の賞金が入ってこない限り、採算がとれない状況を強いられているのです。

つまり、WBCは参加国が平等に扱われていないのである。本来であれば昨年12月のオーナー会議でWBCに参加を決めた日本野球機構が問題にして、アメリカと交渉し、解決を図るべき問題であるが、球団のオーナーや日本野球機構の不作為にも選手会は異議を唱えたことになる。選手の立場からすれば、表向きは「サムライジャパン」を謳いながら、舞台裏におけるあまりの「対米従属」ぶりに腹を据えかねたのであろう。そんな現状で「サムライ」を名乗るなど恥ずかしいというわけである。プロ野球のオーナーや日本野球機構コミッショナーは選手たちの日本代表という「誇り」を甘く見積もっていたのかもしれない。そんな選手会明治維新の志士たちを重ね合わせることも可能である。日本や旧機構は幕府にほかなるまい。日刊スポーツのホームページ「ニッカンスポーツ・コム」がこの問題で緊急アンケートを実施したところ、何と不参加支持の回答が68・3%と約7割にも達した。選手会の「オリンピックやFIFAワールドカップのような、国際スポーツイベントと同様の参加国平等を認めていくべき段階に来ている」という認識はファンにも支持されているということである。しかし、私はベースボールをサッカーやオリンピックと同じ土俵で論じてはならないと思う。アメリカはオリンピックで野球が正式種目であった際に大リーガーを代表として一人も派遣していなかったことを私は思い出す。日本人はオリンピックから野球が消えて淋しい思いをしたが、アメリカ人は屁とも思わなかったに違いない。何故なのか。
サッカーはナショナリズムを刺激してやまないスポーツだが、野球はそうではない。何故なら、サッカーには「世界」があるが、野球には「世界」など存在しないのだ。いや、もう少し正確に言うと野球にとって「世界」とはアメリカの範疇を出るものではないのである。アメリカこそが野球にとっての「世界」なのである。だからメジャーリーグと言うのだろうし、そこでの覇者を決める大会はワールドシリーズと呼んでいるのである。ベースボールにワールドカップは存在しないし、アメリカが野球のワールドカップなど認めるはずもなかろう。そもそもアメリカに野球など存在しない。存在するのはベースボールにほかならない。アメリカを唯一の「世界」とするベースボールにナショナリズムに陶酔できる余地など最初から用意されていないのである。
アメリカからすればWBCはベースボールにおける世界一を決める大会ではないということだ。WBCを通じてアメリカという「世界」に通用するプレイヤー、つまり大リーグで通用するプレイヤーが誰なのかを見定めることができれば、それで十分なのである。実際、WBCを運営するWBCiは大リーグと大リーグ選手会によって設立された企業なのである。サッカーのワールドカップを運営するFIFAのような国際的な組織ではないのである。アメリカが唯一の「世界」であるベースボールにとってFIFAのごとき組織など必要としていないのである。アメリカ人からすれば、ベースボールはアメリカ以外に「世界」を求めてはならないスポーツなのである。WBCに参加国平等はあり得まい。そのくらいベースボールはアメリカンフットボール同様にアメリカという国家と一体化した文化にほかならない。ベースボールに認められる平等はアメリカを「世界」とした平等にしか過ぎないのである。
日本の立場から言えば、野球がWBCを受け入れるということは、野球が大リーグを頂点とするベースボールの一部になるということであり、もし野球にナショナリズムの余地を残しておきたいのであれば、WBCには参加すべきではなく、ベースボールとは別の「世界」に生きるべきなのである。私たちは野球を日本が世界一になれる可能性を孕んだスポーツであると決して幻想を抱いてはなるまい。ベースボールにとって世界一はあくまでワールドシリーズの覇者なのである。だからアメリカはWBCで最強チームを編成するということは未来永劫あり得ないのである。映画『フィールド・オブ・ドリームス』でジェームス・アール・ジョーンズの「野球はこの国の歴史の一部だ」という台詞を私は改めて噛みしめている。