村上春樹の言う通り!安酒に酔うのはやめたい

村上春樹ではないが、安酒に酔っ払わないほうが良いだろう。村上の言う通りである。9月29日付朝日新聞に掲載された村上春樹の寄稿「魂の行き来する道筋」には、こうある。

領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。

日本、韓国、中国の「政治家」や「論客」は民衆に「安酒を気前よく振る舞」うだけでなく、自らも安酒の酔いを加速させている。「いやな頭痛」が残ることなど忘れて、われもわれもと安酒の杯を次々に重ねてゆく。日本の「政治家」や「論客」であれば、海上保安庁の正気の職員がとんでもないストレスにさらされていることを少しは想像すべきなのに安酒の酔いはそのような想像力さえも奪ってしまう。
日本の新聞では報道されなかったが、朝鮮日報が9月29日に掲げた社説によれば、「 ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏など日本の知識人約1300人が昨日、韓国・中国・日本間の領土問題について声明を発表した」らしい。朝鮮日報は、次のように続け、この声明を評価している。

北東アジアの領土紛争で冷静さと自制を失わないことを呼びかけてきた私たちは、「いかなる暴力行使にも反対し、平和的な対話による問題解決を主張する。各国の政府とメディアは自国のナショナリズムを抑制し、冷静に対処する責任がある」という声明内容に共感する。
特に、独島(ドクト、日本名・竹島)と尖閣諸島(中国名・釣魚島)に関し、「ともに歴史(近代日本のアジア侵略歴史)問題を背景にしているという点を忘れてはならない」とし「韓国、中国が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった中で日本が領有した」と指摘した部分は意味深い。

「声明」の内容について言及はしまい。その「声明」の全文を私は読んでいないし、読む気も起こらない。9月29日付産経新聞黒田勝弘が書くように「声明は尖閣諸島竹島も過去の日本による侵略の歴史が背景にあるとして中韓の立場に理解を示している。領土紛争に伴う民族主義感情への批判や否定も主に日本に向けられていて、結果的に中国や韓国の反日民族主義を容認するものになっている」からなのか。否である。何故なら、作家なり知識人が個人としてナショナリズムや歴史について自らの見解を述べるのではなく、個人としての創造力や想像力を放棄して、1300人だかが束になって声明を出すことなど安酒をかっ食らわずしてできないと思うからである。安酒に酔っ払って書かれた声明など読む気も起こらないということだ。この1300に及ぶ「知識人」は「進歩派」「良心派」などともてはやされた時代から一貫して、自らの思考なり、思想を日本に生き、暮らし、死んでゆく民衆の生活ナショナリズムに接続して鍛え上げてゆくという努力を私に言わせれば安酒を飲むのに忙しくてサボりつづけて来た連中なのだ。村上春樹の「魂の行き来する道筋」が私の胸を打つのは、束になったり、群れたりしての発言ではないからである。村上の発言は作家として自立しているのだ。原稿料を飯のタネにするのであれば、村上のような覚悟が最低限でも必要なのではないだろうか。
今日の昼のテレビ番組『サンデー・スクランブル』でも紹介されていたが、「在日特権を許さない市民の会 東京支部」が主催する「史上最大の反中デモ!」が9月29日に「シナ人排斥」や「国交断絶」を叫びながら池袋で繰り広げられた。YouTubeで「在特会」と検索すれば沢山の映像を見ることができるが、安田浩一の『ネットと愛国』によれば、「ゴキブリ朝鮮人を日本から叩き出せ!」とか「シナ人を東京湾に叩き込め!」といった彼らの排外主義を煽動するシュプレヒコールの余りの品の無さに私などは閉口してしまう。彼らは「行動する保守」を自称しているが、実は彼らの安酒に煽られての行動の品の無さや主張の底の浅さと「進歩派」やら「良心派」が安酒を飲みながら酔った勢いで署名してしまう「声明」の薄っぺらさは相互に逆立した像を映し出す鏡なのである。ともに日本しか見ていないにもかかわらず、日本の民衆の生活ナショナリズムには見事に接続し損なった「歪み」を両者は共有している。ともに「市民」という言葉が大好きなのは「市井」に自らの立つ場所を確保できずにいる証拠である。「市井」において浮いた存在であるということだ。そもそも安酒に慣れていないにもかかわらず、安酒に手を出してしまった悲劇とでも言おうか。
安酒の誘惑を断ち切るには、この程度のことに自覚的であるにこしたことはないと私は考えている。