雑誌について―池田美樹のツイートに触発されて

私は別に若者ではないが新聞を取っていない。といって新聞を読まないわけではない。会社では朝日新聞日本経済新聞を取っているので、これには目を通しているし、通勤電車では東京新聞産経新聞という最低でも二紙に目を通すのが日課である。雑誌に関しても主要な週刊誌は購入するかどうかはケースバイケースであるにしても、毎号目を通している。しかし、私の仕事が新聞や週刊誌と全く関係のない商売であれば、果たして私は新聞や雑誌に目を通すだろうか。残念ながらイエスとは断言できない。私は煙草を吸うという習慣を絶対にやめられないが、新聞や雑誌に目を通すことをやめられないほどメディア中毒ではない。もちろん、書籍は紙であるかどうかは別にして読み続けることになるだろうから、活字中毒ではある。活字中毒ではあってもメディア中毒ではないということだ。「情報」を獲得するだけであれば、インターネットで十分である。わざわざ新聞や雑誌を買う必要はあるまい。これは私だけに限った事情なのだろうか。そんなことはないと思う。実際、新聞を取らない人が増えつつあるのは周知の事実であり、紙の新聞は雑誌から滅亡を何度か予言されている。雑誌にしても、雑誌を定期的に買わない人が増えているのは当然として、雑誌を全く買わない人も増えているのではないだろうか。雑誌売り場がガラーンとした書店を見れば一目瞭然のことである。コンビニの雑誌スタンドにしても全盛期の活気はとうに消え去ってしまっている。マガジンハウスの編集者・池田美樹がツイートで語っている次のような事態は別に驚くべきことではあるまい。

先日、30代前半の男性に「BRUTUS…って何ですか? 雑誌? そういえば見たことがあるような…ビジネス誌でしたっけ? 興味持ったことがないものですから…スミマセン。というか、雑誌って興味持ったことなくて…」といわれた。

「アンアン」は知ってますか? と聞いたところ「あ、ジャニーズが表紙のイケメン雑誌ですね! 見たことはありませんが知ってます」と。(まあ、間違いではないが)

20代後半の女性の友人は「雑誌は生まれて一度も買ったことがない」と言う。「立ち読みで済ますの?」と聞くと「立ち読み? そんなことしないよ。だって別に何か知りたいことが載ってるわけじゃないもん。そんな面倒なことはしない」と。

「売れる雑誌を作れ」という号令自体がもう間違っているんじゃないかと思うね、強烈に。

ないパイは奪い合えないからね。戦うのは「他の出版社」じゃない。

しかし、だからといって雑誌が絶滅するわけではあるまい。インターネットと雑誌の関係は一時のテレビと映画の関係に似ているのかもしれない。それは無料と有料の関係でもあるが、テレビが「撮影所映画」に終止符を打ったような事態が雑誌にも起こるのかもしれないし、映画で五社体制が崩壊したように雑誌でもプレイヤーの数が減ることになるのかもしれない。しかし、だからといって映画は今に至るも絶滅してはいないし、テレビがコンテンツ確保のために映画に出資するということが今や不思議でも何でもなくなっている。こうした歴史の教訓を踏まえれば、インターネットの成功者が雑誌に出資するということもあり得るはずである。私としては心密かにATG映画のような雑誌や日活ロマンポルノのような雑誌の出現も期待したいところである。確かに次のような池田の危惧はその通りであろう。

一番遅れてるのは出版社、ってことにならないだろうかという懸念がだんだん現実に。

現在、出版社に最も欠けているのは「絶望」であると私は思っている。もっともっと「絶望」して、その「絶望」の果てに安易に「希望」を抱くよりも、「絶望」しない生き方を選択すべきなのである。