【文徒】2015年(平成27)9月18日(第3巻178号・通巻623号)

Index------------------------------------------------------
1)【記事】安保法案反対運動に「追いつけない」マスメディア
2)【記事】「講談社ノンフィクション賞」など三賞の贈呈式・祝賀会(9月17日)
3)【記事】鬼怒川水害報道「ヘリが救援活動の邪魔」論争から見えてくるメディアの傲慢
4)【本日の一行情報】
5)【深夜の誌人語録】

                                                                            • 2015.9.18 Shuppanjin

1)【記事】安保法案反対運動に「追いつけない」マスメディア(岩本太郎)

安全保障関連法案が昨日17日の夕刻に参議院の平和安全特別委員会で可決された。以後も18日中の本会議での可決・成立をめぐる攻防が続くことになる。
これまで「特別委の議会中継をほとんどやろうとしない」と批判されてきたNHKですらも国会内、さらには国会外での抗議行動の様子を生中継もまじえて報じるようになっていた。
今回の反対運動がこれまでの日本の運動に比べて「参加者の質がまったく新しいこと」がようやく意識されるようになってきた。さらに、いまや参加者自身がネットを通じて「当事者=取材者」として情報発信をリードしているのだ。本来「新聞」「ニュース」であるはずのマスメディアは少しも新しくなく、「後から遅れて追いかけてくる」か「追いつけない」あるいは「はなから追いつこうともしない」姿勢にもっぱら終始している感が否めない。
政府寄りの産経新聞や読売新聞が、できるだけ小さく扱うか黙殺したり批判的に報じることは意外ではないが、その文脈や黙殺の仕方に何やら姑息で「感じ悪いよね」感を禁じをえない。
例えば産経が9月14日に掲載した「FNN世論調査で分かった安保反対集会の実像「一般市民による集会」というよりは…」などは、FNN独自の世論調査による抗議集会の参加者の支持政党が共産・社民・生活など法案反対側の野党に偏っていることを示す結果が出ているとして「『一般市民による』というよりも『特定政党の支持層による』集会という実像が浮かび上がる」と報じた。
http://www.sankei.com/politics/news/150914/plt1509140020-n1.html
この記事が、統計数字を使った印象操作(いわゆる統計の嘘)であると指摘したのは、毎日新聞である。
http://mainichi.jp/feature/news/20150917mog00m070001000c.html
こうした論旨のもっていき方の背景にあるのは、いわゆるネトウヨが気に食わない相手をすぐにアカだ左翼だと決めつける心象とさほど変わらないものだろう。「朝日新聞慰安婦報道第三者委員会」の岡本行夫は、多くの朝日記者が記事に「角度をつける」と発言したことに驚いたというが、左も右も自分が同じ病気に罹っていることに無自覚なのだ。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11520795.html
実際に国会前に集まるのがどんな種類の人間がメインであるかは、現場に来た経験のある産経の記者ならよく知っているはずだ。こうであるに違いないという固定観念により見たいものしか見えないというのは、いわゆる陰謀論(ファンタジー)の基礎をなす。
ちなみに私は、既成の政党や運動団体と一緒に見られるのを避けてわざわざ「一般市民」と大書きした幟をこしらえて抗議行動に参加した男性に現場で話を聞いたことがある。
https://twitter.com/whatsdemocracy/status/644344698690240512
東京新聞が掲載しているコラム「知りたいコトバ 知っている?言葉」が9月8日付で「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」の表記方法における各紙のごとの違いに言及した記事の中にこんな一節がある。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/education/nie/CK2015090802000190.html
「最近の紙面をみる限り朝日は『SEALDs(シールズ)』と横ルビで表記。毎日と産経は『SEALDs(シールズ)』になっています。読売では…探しましたが見つけられませんでした」。
つまり読売新聞は「SEALDs」についてはほとんど報じないどころか、その名前すらも、この9月初旬の時期まで報じてこなかったということらしい。法人格の読売新聞という人格には目の前にいるものが見えないというわけだ。
さすがにSEALDsの中心メンバー・奥田愛基氏が出席して15日に行われた参議院特別委員会の中央公聴会についての記事では「野党が推薦する学生団体『SEALDs』」と報じていた。
テレビについてもやはり「追いつけずにいた」感を受ける。中央公聴会の翌日、16日に横浜市内で行われた地方公聴会の様子は、参議院のインターネット中継はもとよりNHKやテレビ局の中継もなく、ライブ映像で伝えたのはインターネット放送局のOurPlanet-TVとニコニコ動画だけだった。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1978
http://live.nicovideo.jp/watch/lv235135908
安保法案の是非が社会的にも大きな関心事になっている最中にも関わらず、テレビ局のこの機転の利かなさは何なのか……。
そんな中でNHK労働組合日放労」は9月16・17日になって局内で「放送現場からあがる様々な声を聞こう 緊急集会『NHKヤバいよね』は誰でも言える」を局内で開催した。
https://twitter.com/KiyoseKouki2015/status/643621285302431744
これに対しても「遅い!」との声がネット上のあちこちから上がっていることは言うまでもない。
メディア力の解放は必然であり宿命なのだ。

                                                                                                                        • -

2)【記事】「講談社ノンフィクション賞」など三賞の贈呈式・祝賀会(9月17日)

平成27年度の講談社ノンフィクション賞(第37回)、講談社エッセイ賞(第31回)、講談社科学出版賞(第31回)の贈呈式・祝賀会が、9月17日(木)18時より東京・一ツ橋の如水会館で開催された。
今回の受賞者は、ノンフィクション賞が眞並恭介氏の『牛と土 福島、3.11その後』(集英社)、エッセイ賞がジェーン・スー氏の『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)、科学出版賞が宮原ひろ子『地球の変動はどこまで宇宙で解明できるか 太陽活動から読み解く地球の過去・現在・未来』(化学同人社)の三作品。それぞれに賞状と記念品、副賞(金100万円)が贈られた。
『牛と土』著者で、主に医学・医療分野の雑誌や書籍の出版に従事している眞並氏は、昨年まで毎日新聞大阪本社の特約記者。原発事故後、大阪から福島まで通いながら警戒区域内に取り残された家畜の牛を、国から出た安楽死処分に逆らって飼い続ける人たちを取材してきた。
現地での取材中、車中泊した夜にふと窓を叩く音に目を覚ますと化け物(実は猿)に覗かれてぎょっとしたものの、「実は化け物は生き物を食い散らしたり、あんな事故を起こした人間のほうではないか」と感じた、などのエピソードを挨拶で披露。
『貴様――』のジェーン・スー氏は、「他の二賞の受賞作が後々まで残る作品なのに『貴様』で始まる作品が受賞していいのか」とか、「エッセイストとしての出発点は、昔つきあった彼氏と一緒に外国人向け某ツアーに参加するために作った偽名でSNSの「mixi」に書き始めたことだ」といった軽妙かつユーモアに溢れたスピーチで、会場を埋めた参加者を笑わせた。
『地球の変動は――』の宮原氏は武蔵野美術大学の准教授。専門の宇宙線物理学の論文を発表する際「学会発表なのに3人しか来ませんでした」などと苦笑しながら、研究予算等の問題で苦境が続く専門分野の研究者として、今回の受賞がとても励みになったと語っていた。
三賞いずれの受賞者とも、この2010年代における出版のノンフィクション・エッセイ・アカデミズムの状況をそれぞれ象徴する作品・著者であると感じられた贈呈式だった。

                                                                                                                        • -

3)【記事】鬼怒川水害報道「ヘリが救援活動の邪魔」論争から見えてくるメディアの傲慢(岩本太郎)

先日の鬼怒川水害において、報道のヘリが自衛隊のヘリなどによる救援活動の邪魔になったのではないかとの批判が上がっている。
これに対し、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊は「『視聴率が欲しいので騒いでいた』というのは確かに否定しきれません」と認めたうえで、「『自衛隊の邪魔に〜』は誤解です」「我々マスメディアの撮影ヘリにはある一定の規制があり(高度制限など)、自衛隊のヘリの救出作業の邪魔になるようには出来ていません」と反論した。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/45413815.html
http://www.j-cast.com/2015/09/16245429.html
そのうえで長谷川は、テレビ局の取材クルーが災害現場で引き起こす一番の「迷惑行為」として「むしろヘリなどよりも、コンビニの『買占め行為』の方でしょうか」と述べている。確かに一局あたり4〜5人のスタッフが現場で何日も留まり、しかもそれをライバル局や新聞各社が横並びでやったりすれば、もともと商店が少なく、かつ災害で物流も含めたインフラも寸断された被災地に暮らす人々の食料がたちまち枯渇してしまうことにもなりかねない。
もっとも、一方で長谷川は「地元の方々からは、意外なもので結構ウェルカムされることも多いです。タクシーの運転手さんなど、事件が起きてしばらくたって落ち着いた後に事後取材に行くと、悪気はないのでしょうが、『また事件でも起きてくれないかと思うよ』と語ってくれたこともありました。それくらい売り上げが跳ね上がるそうです」とのエピソードも紹介する。
そして、「メディアが一斉に事件現場や災害にたかる姿は、『メディアスクラム』と言って非難されがちですが、実際に現場から見た範囲では、いい面と悪い面が両面あるように思います」と末尾で述べている。
この長谷川の意見を間違いだとは私は思わないが、災害発生時におけるマスメディアの取材や報道のあり方が孕む問題の本質までには切り込めていないとも考える。
というのも、被災地において重要な「n×n」でのコミュニケーション(被災者によって抱えた問題は一様ではなく、それぞれに必要な情報源と的確にアクセスできるようにする必要がある)を、一斉同報のまさに「送りっ放し」、すなわち「1×n」の関係において成立してきた放送などのマスメディアがそこへ一斉になだれ込むことによって生じるコミュニケーションの「目詰まり」こそが本質的な問題ではないかと思うからだ。
長谷川が挙げたタクシーの例にならって、私が取材現場で遭遇したわかりやすい事例(少々古くなるが)を挙げよう。2003年に兵庫県豊岡市で発生した台風による河川氾濫水害では地元のタクシーが「メディアスクラム」された。
つまり、やってきたマスメディア各社の報道陣が、ただでさえ台数の限られた地元のタクシーをほとんど借り切ってしまったのだが、普段から生活の足となってきた自家用車が水につかって使用不能になってしまった地元の市民からは大いに不興を買ったらしい。
「しかもみんな同じところにしか取材に行かないの」と地元の主婦は言っていた。
「どの会社も堤防が決壊した場所の対岸の土手にみんなずっと立って三脚を置いて撮影しているだけなのよ。その間、土手の下に止まったタクシーの中で運転手さんが暇そうに新聞を読んでるんだけど、ああいうのはまとめて一社の取材ということにできないのかしら?」
テレビ映像にはカメラの裏側が映っていないことは昔も今も同じである。ポスト構造主義すら葬送されつつある現在に、そこに"生権力"が内在していることくらい常識にしてもよいのではないか。

                                                                                                                        • -

4)【本日の一行情報】(岩本太郎)

◎上の記事でも触れた鬼怒川水害の地元・常総市の市役所内に14日、臨時の「常総災害FM放送局」が開局した。被災地の住民に必要な災害情報の発信を目的に、地元自治体が主体となって総務省に口頭で申請すれば簡単な手続きを経て期限付きで開局が認められるもので、東日本大震災でも東北地方を中心に24局が開設され、その後も地元からの要望を受けてコミュニティFM局へと移行のうえ存続したケースがいくつかある。
http://www.asahi.com/articles/ASH9G44JCH9GUTIL01W.html
http://www.city.joso.lg.jp/kinkyu/1442136968877.html
上の記事では災害時にマスメディア、主にテレビが批判されているという話を紹介したが、ラジオに関してはむしろ逆で、地震や台風などによる大規模災害が起こるたびに危機耐性や地域社会におけるコミュニケーション手段としての有効性が再評価・再認識されている。
局の数もコミュニティFMを中心に、このご時世にあって増え続けている。もちろん、一方では経営的に行き詰まって廃局に追い込まれるケースも多い。
近年ではインターネットでのサイマル(同時)放送でのラジオ番組リスナーが増えるなどして「ラジオ復権」などと言われることが多いが、実は案外こうした再評価・再認識によって「復権」が下支えされている部分も多いのではないだろうか。

◎ラジオよりももっとシンプルな音声メディアが被災者を救っていた。鬼怒川水害で、ともに浸水で孤立した二軒の隣り合う家に分かれて住んでいた40〜50代の姉妹が、避難した2階から互いに連絡をとりあっていた手段は、子供の頃によく遊んだ「糸電話」だったそうだ。これなら電話が不通になり停電もし、ラジオや乾電池もないという極限状況下でも何とか連絡が取れる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150914/k10010234281000.html

東京五輪エンブレム問題に関して、テリー伊藤が「佐野さんも含め、広告の世界で活躍しているデザイナーは、『アートディレクター』というより『アレンジャー』といったほうがいいんじゃないか」としたうえで、次のような見解を述べている。
「聞くところによると、佐野さんは人柄がよく、資料集めもうまくて世界のデザイン事情にも通じているという。さらに、しゃべり方にもソツがなく、スポンサーの意向もきちんと把握し、プレゼンもうまいんだとか。プロモーション能力があるんだね。広告業界には、こういう人たちが数多くいる。
企業は広告に億単位のカネを出すわけだから、どんな作品になるのか具体的なイメージを知りたいもの。プレゼンで日本や世界の過去の作品を混ぜつつ、『だいたいこんな感じですよ』と示せば、わかりやすくて、スポンサーも安心する。
広告マンは、こういうやり方で仕事をしていた。だから、デザイナーというよりアレンジャー。これ、広告の世界では成立するかもしれない。しかし、今回のように、ゼロからエンブレムのデザインを創造するということになると、話は違ってくる。
広告界には頭のいい人たちが集まっているのだろう。しかし、頭のいい人の中からは、岡本太郎ピカソは現れない。頭のいいことと、天才を見つける能力、天才の作品を評価する能力は別問題。エンブレムの審査に広告の方法を持ち込んでいいのだろうか。広告に骨までつかった審査員が、多数決で決めたものが、いい作品なのだろうか」
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150916/enn1509160830005-n1.htm
佐野研二郎氏のみならず、広告デザインにおけるクリエイティブのスキルそのものが、この件では社会から壮絶なダメ出しをくらってしまったような印象は確かに受ける。

◎そのエンブレムやスタジアム問題を含めた一連の東京五輪騒動について、かつて1980年代半ばのロサンゼルス五輪放映権獲得騒動の渦中にあった人物で、「五輪の流れなら裏のシステムまで知っている」と語る国際暗黒プロデューサーの康芳夫氏が縦横無尽に斬りまくっている。
http://tocana.jp/2015/09/post_7305.html
http://tocana.jp/2015/09/post_7306_entry.html
「これは非常に厄介な問題ですね。ただ……僕はね、基本的に、佐野(研二郎)さんは盗作はしてないと思う。非常に難しい問題だけどね」
「もう死んじゃったけど、山口洋子って知ってる? 元々は銀座の高級クラブのママをやってた大ヒットメーカーの作詞家で、彼女が作詞した『よこはまたそがれ』って歌が昔大ヒットしたんです(1971年/作曲は平尾昌晃、歌は五木ひろし)。ところが、当時の『週刊文春』でそれがパクリじゃないかって記事が出て、大問題になったの。
この当時の記者は現在『WiLL』の編集長を務める花田紀凱君で、自らのコラムでも大々的に指摘している。ちなみに花田君は今から40年前の、小生が最初に出版した『虚業家宣言』(双葉社)のゴーストライター。今やタカ派を代表する大編集長だけど、当時は文春の社員で、25、6歳のチンピラ記者だった。
彼女は文春を訴えて、やがて和解したんだけど、僕は彼女と付き合いがあったので、ある時こういうふうに彼女が言ってきたの。"もしかしたらあの歌ね、誰かの作詞したフレーズが頭にインプリントされていたのかもしれない"って。そういうことは、大いにあり得るんです。これがそもそもの問題」
後段は五輪からはやや脱線気味だが、お宝話的にも興味深い。ちなみにチンパンジーと人間の間に生まれたとするオリバー君来日(1976年)の仕掛け人だ。

IKEAの「さあ、ダイニングを変えよう。」と題した広告のシリーズをめぐってウェブ上で炎上騒動が起きている。
http://togetter.com/li/871870
「彼が部屋に来たいというのを断った。実家から持ってきたちゃぶ台のせいで。」「タカシくんのお誕生日会はおうちなのに、どうして僕はファミレスなの?」などが、物議を醸しているそのコピー。
確かに、特に秀逸なコピーとも思えないが、「突っ込みどころが満載なのは炎上商法的なアレだろうか」とのツイートもさっそく上がっている。

◎フィルムを壁に接着させる方式をとることによって「台風でも地震でも落ちない」ようにしたという看板を静岡県浜松市の屋外広告会社「キューピック」が開発・商品化した。
http://mainichi.jp/select/news/20150917k0000m040020000c.html
このところ頻繁に起こっている自然災害はもとより、今春の札幌での屋外看板落下による人身事故にも見られたように、建物の老朽化にともなう"危険看板"の増加は、屋外広告そのものに対する社会的なイメージを損ないかねないのも確かだ。
ただでさえ、地方都市の駅前風景が「今やサラ金とパチンコの看板だけになってしまった」などとネガティブイメージ(これは別に屋外広告自体の責任ではないが)で語られているご時世だけに、なるべく妙な問題が起きそうな芽は事前につんでおいたほうがよいだろう。

◎中国文化部が今年6月、国内の動画サイト向けに公表した「公開すると罰則になるアニメ」のリストに挙がった38作品は全て日本のアニメだったという。権利問題よりもっぱらエロ・テロ・グロを理由にしたもののようだが、『進撃の巨人』もこの38作品の中に含まれている。
http://news.ameba.jp/20150916-1062/

ZAKZAKの「ああ懐かしの雑誌黄金時代」に今回登場したのは『FOCUS』。
2001年8月の休刊号にビートたけしが特集企画「FOCUSへの弔辞」に寄せた「私が講談社フライデー編集部に軍団を引き連れて突入したあの事件が、今回の休刊の原因の一端を担っているとのこと、まことにもって心が痛みます」との一文を挙げ、「86年のあの事件が写真報道誌の行き過ぎに歯止めをかけ、徐々に部数低減をもたらし、ついに休刊に至ったというのはよく語られた話である」とまとめている。
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150916/enn1509161140008-n1.htm
しかし、私は同号の「FOCUSへの弔辞」に載っていた、上祐史浩(元オウム真理教幹部。現在は「ひかりの輪」代表)のコメントのほうが印象に残ったけどなあ。
「まさかそちらのほうが先につぶれるとは思ってもみませんでした。今後は、真摯な反省のもとにこれまでの編集方針を抜本的に見直し、ただ名前を変えるだけでなく、新たに再出発できるよう頑張っていただきたいと思います」。
あれだけ社会全体を敵に回して袋叩きにあったオウムのほうが『FOCUS』より長く存続する(しかも分裂して名前も変えつつ今も生き残っている)というのが何か不条理にすら感じられたからだ。
それにしても、そんな思いでこのZAKZAKの記事を読むと何やら本当に「雑誌ってオワコン(終わったコンテンツ=時代遅れで飽きられたもの)になっちゃったのかなあ」などという思いにとらわれてしまう。
『FOCUS』が休刊に追い込まれたもう一つの遠因のように語られる「酒鬼薔薇」事件の元少年Aなどはいまやベストセラー作家(?)で、当時『FOCUS』『週刊新潮』の発売拒否騒動を起こした彼の顔写真はもとより実名すらも今では、大したトラブルにもならず週刊誌に載っている。

◎一方で週刊誌がオワコンどころか久々に存在感を発揮しているのが山口組分裂報道。タイトルの「実話誌記者『我々は妄想で記事は書かないので、夕刊紙が羨ましい(笑)』」からして頼もしい。
http://nikkan-spa.jp/937224

◎最近ではウェブ情報検索にあらかじめ「右翼」「左翼」という単語を打ち込んでおいても「イチロー七番右翼で先発」といったものしか上がってこなかったりしてさびしくなるが、こうしたスポーツの「右翼・左翼ネタ」はなかなか読ませる。
8月17日発売の『欧州フットボール批評special issue03』は、かつて「左翼のフットボールと右翼のフットボールがある」という有名な言葉を発したセサル・ルイス・メノッティのインタビューを、さらに9月7日に発売の『(同)issue07』では、それに触発された西部謙司による「Jリーグにおける右翼と左翼のサッカーとは?」という記事を掲載。どちらも一部抜粋が「サッカーチャンネル」にも掲載された。
http://www.footballchannel.jp/2015/08/20/post102406/
http://www.footballchannel.jp/2015/09/16/post108271/

◎ファッション界の伝説的デザイナーであるヴィヴィアン・ウェストウッドが、シェールガス採掘についてキャメロン英首相に抗議すべく、首相官邸までなんと白い戦車に乗って登場。
http://hpplus.jp/spur/clip/2155681/
http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/15/vivienne-westwood-drives-tank_n_8143328.html
いま日本の国会議事堂前で誰かが(紙でハリボテでも作って)真似したら大変なことになるぞ!

                                                                                                                        • -

5)【深夜の誌人語録】(岩本太郎)

われ信ず。荒唐無稽文化財なるがゆえに。