【文徒】2016年(平成28)5月10日(第4巻84号・通巻771号)

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1)【記事】雁屋哲が「鼻血問題」で沈黙を破り公の場に登場
2)【本日の一行情報】
3)【深夜の誌人語録】

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1)【記事】雁屋哲が「鼻血問題」で沈黙を破り公の場に登場(岩本太郎)

大型連休も終盤の5月7日(土)夜、あの雁屋哲が埼玉県与野市で行われる原発問題関連の公開講座に出席し、一昨年の『美味しんぼ』における「鼻血問題」について語ると聞き、会場(与野本町コミュニティセンター)まで見に行ってみることにした。
承知の通り雁屋は『ビッグコミックスピリッツ』の2014年5月19・25日号(合併号)以降に掲載されたマンガ『美味しんぼ』の「福島の真実編」第22〜24話(連載最終話)の内容をめぐって起こった大論争についてはこれまで沈黙を守ってきた。
唯一、翌2015年2月に遊幻舎より上梓した自著『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』において、作中の鼻血描写(主人公の山岡士郎や、原発被災者である福島県双葉町の前町長・井戸川克隆が「鼻血が出た」という、雁屋自身も福島での現地取材を経て得た実体験をもとにした描写)について「風評被害をあおる」といった批判を、それこそ国会議員や首相からも受けたことに対して一冊まるごとを費やしてまで反論はしている。
ただ、一年の多くをオーストラリアに住んでいるという雁屋自身がインタビューや講演などの公の場に出てきてこの問題について語る機会というのは、過去2年間おそらくなかったはずだ。
そんな雁屋が公開シンポジウムの場に現れた。しかも、講演後には上記の前双葉町長の井戸川克隆と対談を行い、会場からの質疑応答を行うというのだから、本来ならば一大イベントのはずである。
ところが約200名の参加者(主催者発表)が埋めたものの、その多くは見たところ主催者である地元の市民有志による団体「原発リレー講座・さいたま」からの告知で受けてやってきたと思しき人々(全体的には中高年層が多く、雁屋も会場を見渡しながら「若い人があまりいないのは残念だ」と語っていた)で、テレビや新聞などのマスメディアから来た報道関係者らしき姿は絶無。
私(岩本)にしてからが、さいたま市在住の映像作家である知人の堀切さとみがfacebookで2日前にチラシの写真をシェアしていたのを見て初めて知り、慌てて駆けつけた次第だ。
https://goo.gl/z5WquG
ちなみに堀切は映像作家と言っても本職はさいたま市の給食調理員。もともと原発問題には「3.11」前から関心があって祝島などへのビデオ取材には通っていたものの、震災後に埼玉県内に逃れてきた双葉町民たちを本職を活かした炊き出しのボランティアとして支援しているうちに井戸川らと知り合い、以後も県内の旧高校に避難した双葉町民らを密着取材のうえドキュメンタリー映画原発の町を追われて』などにまとめてきたという女性だ。
http://genpatufutaba.com/
そんなわけで「これは俺の独占取材かな?」と職業物書きの色気丸出しで息巻いたものの、会場に来ていて井戸川や雁屋にも最初から密着していたらしいフリー記者の鈴木博善が翌日にはさっそく『美味しんぼ雁屋哲さんが憂慮する生産者の内部被曝。〝鼻血騒動〟には「嘘つきはどっちだ」と怒り』という記事を自身のブログにアップしていた。
http://ameblo.jp/rain37/entry-12158112214.html
以下、そこから当日の雁屋や井戸川の発言個所を引用してみよう。私も同じ会場で聞いていたから、ほぼその通りだ。井戸川もわざわざ壇上まで鼻血を詰め込んだティッシュのゴミを袋に入れながら持参のうえ、かなりテンションをあげながら語っていた。
《雁屋さんの静かで低い声が会場に響いた。「嘘をついているのは誰なのでしょうか」。
週刊ビッグコミックスピリッツ2014年4月28日号に掲載された「美味しんぼ」を巡り、激しいバッシングを受けた。福島第一原発の取材から戻った主人公が鼻血を出すという場面。井戸川さんも実名で登場し「同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」「疲労感が耐え難い」と語っている。
「あれは僕の実体験です。福島から帰ると異様な疲労感に襲われる。地べたに引きずり込まれるような感じです。そして鼻血が大量に出た。内部被曝の典型が鼻血なのです」》
《井戸川さんは、雁屋さんとの対談形式で登場。(略)安倍晋三首相は2014年5月の記者会見で、安全保障に関し「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を政府は最大限尊重しなければならない」と語っているが「私たちは(国民に)含まれていない。棄民ですよ」と批判。「原発事故では地元町村を含めずに全て中央だけで決めてしまった。熊本地震では地元が物を言うべきです。そもそも、緊急事態条項など無くても災害には対応できます」と語った》
もとより鼻血と内部被ばくとの因果関係については疫学的な調査などを進めたうえで判断しなければならないところだろうが、現時点でも、そうした現地からの訴えが黙殺圧殺ないしはバッシングされる状況があることの不当性は提起されるべきだろう。
そのうえで、メディア業界関係者にとって気になるのは『美味しんぼ』の今後だ。鼻血問題後、それ以前からの予定通りだったとはいえほどなく休止した『美味しんぼ』の連載は、あれから2年が経過した今も再開されていない。
雁屋自身もこの日の講演や対談では自らそこには触れなかったので、休憩時間中に会場から募られた質問用紙(質疑応答では挙手ではなく事前に提出された質問項目をスタッフが整理のうえ講師にあてる形がとられた)に私も記入のうえ質したところ、さっそく休憩明けの一発目で雁屋自身が次のように答えてくれた。会場で録音した音源をもとに再現する。
「まず『美味しんぼ』の連載についてですが、これは今は休止という形になっています。その理由というのは、『美味しんぼ』という漫画は私と漫画家と編集者と三者でいろいろ(判読不能)。
ただ一つだけ申し上げておきたいのは、決して鼻血問題、あるいは反原発の姿勢が批判されて、それに怯えてといいますか、それに怯んで連載を休んでいるわけではないということです。まったく、これは、本当に、プライバシーに関わることなので、私としては言えません。で、もっと、ある程度時間がたったら、小学館からきちんとしたアナウンスがあると思います。
それまで、是非お待ちいただきたいと思います。大変難しい問題で、やはり個人の問題に関わってきますので、それは私の口からは言えないものです。ですから、これはご勘弁いただきたいと。小学館からのアナウンスをお待ちいただきたいと思います」
それにしても何でそういう公開イベントがさいたま市で実現したかというと、上記の主催団体「原発リレー講座・さいたま」が昨年夏にドキュメンタリー『日本と原発』を上映した際に井戸川も招かれるなどのつながりが、まずはあったらしい。
http://goo.gl/kHwkKl
そうした中でのスタッフとの話の中で、旧知の雁屋の話題になったところ「そういえばしばらく会っていない」と井戸川が言い、なおかつ話を振られた雁屋も「井戸川さんとの話なら何でも」と即座に応じたという、二者間での話からそもそも始まったイベントだったようだ。
ただしその周辺にマスメディアの関係者がおらず、開催日が連休後半でサラリーマンジャーナリストたちが取材に来なかったということだろうか。
もっとも、井戸川と親しい前述の堀切に私が「もっときちんと告知したらよかったんじゃない?」と聞いたところ「告知したってもうマスメディアは取材に来ないんです。話題としてもう風化していて関心も薄れているし。それに井戸川さんが来ると言うだけで何か『ああ、また』みたいに思われるようで……」
ようするにそういうことなんだろう。

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2)【本日の一行情報】(岩本太郎)

◎菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書)をめぐる騒動がますますジワジワときている。
5月1日の発売開始から間髪を置かずに2刷が出たにも関わらず、相変わらず都市部の大書店以外ではなかなか入手できないとの声があちこちから聞かれるが、そんな中で紀伊国屋書店本店では何と平積みされた同書の脇に「お一人様のご購入 5冊までとさせて頂きます」と“数量規制”のPOPが立つに至った!? 店頭での大掛かりな「買い占め」が行われているということか?
https://twitter.com/machiboni/status/728521239694712832/photo/1
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/16742

◎取次会社出身で、出版社・取次・書店の三者の機能を融合させたプロジェクト「HAB」を主宰する松井祐輔が昨年11月、台東区蔵前にオープンした「H.A.Bookstore(エイチ・エー・ブックストア)」も、昨日紹介したTSUTAYA三軒茶屋店におけるカリスマ店員・栗俣力也の仕事と同様、出版業界と書店に訪れる客とが一緒に盛り上がれるプラットフォームとしての書店を志向しているようだ。「浅草経済新聞」が店内の様子を交えながらレポートしている。
http://asakusa.keizai.biz/headline/556/

◎一方、アメリカで編集者たちが出来高制で働く“ハイブリッド出版社”ベンチャーとして3年前にスタートしたワシントン州のBooktrope社は、これまで1000近い作品を送り出すことに成功したものの、11名の常勤スタッフを維持できるほどの売上は期待できないとの判断からこの5月、サービス停止に向けた準備作業を契約作家たちに告知したらしい。
https://hon.jp/news/1.0/0/8461

◎5月3日の憲法記念日に「時代の正体・憲法特集」と題して神奈川新聞が行った「特別紙面」が話題になっている。
木村草太、樋口陽一、奥田愛基らへのインタビューのほか、最終面には「委縮しない」「『なめんなよ』の精神を」という、プラカードにもなるメッセージを全面自社広告(?)で大きく掲載。さらにウェブサイトの「カナロコ」では、デモなどへの参加者が上記2つのメッセージを実際にプラカードとして持参できるようにということで、PDFでファイルをダウンロードできるようにしたのだ。
http://www.kanaloco.jp/sp/company/release_20160503/
http://spotlight-media.jp/article/278695734827804167
敢えて「偏る」姿勢を自ら標榜している神奈川新聞だが、偏るよりさらに路上での運動に参加する人々との「共犯」にまで踏み込んだこの展開、はたして日本新聞協会加盟の地方紙で首都圏最大の部数を誇る同紙が今後どこまで突き進めることができるか、見ものではある。

熊本地震でもさっそく県内に4つの臨時災害FM局が立ち上がるなど、今回も被災地における重要な情報発信手段としてのラジオの役割が称賛されている。ただ過去の大災害でもそうだったように、それがローカルエリアの、激甚災害下に自治体や他県からの救援の動きが複雑に絡み合う中で立ち上がるという状況下で、必ずしも美談だけでは語れない事態が今回も生じているようだ。
例えば震源地の益城町で4月27日に開局した益城町災害FMは、当初は茨城県水戸市のコミュニティ局「FMぱるるん」のスタッフが現地に入って開設の手助けを行い、5月1日付で地元に運営が全て移管されたが、この件について地元熊本出身のフリーランスラジオパーソナリティで、同局の運営に関わった村上隆二がFacebook上で「とにかく話を聞いて欲しい。誰でもいいです」と、内情を知るゆえの怒りをぶちまけている。
《経緯は後日お話しするとして、結局災害ビジネスじゃない? 全く関与せず現場は放棄。FMぱるるんは「下請け」と言ってますから、お金が発生してます。あまりの杜撰さに、お引き取り頂きました。協働プラットフォームの記事は都合良く書かれて憤慨しています。
町の許可なく、勝手に「自分たちが立ち上げた」と喧伝し、新聞やWEBのニュースに出ていて、何だかなって感じです。そこには「志」も「使命」も「責任感」もなかったです》
https://www.facebook.com/djmurakami/posts/1120262598038146
http://www.platform.or.jp/kumamoto/index.php?module=blog&eid=10109&aid=10415
「FMぱるるん」は昨年9月に茨城県などを見舞った豪雨の後にも、被災地となった常総市で臨時災害FM局の立ち上げをサポートするなど、かねてよりこの分野の実績ではよく知られる。上の記事だけでは今一つ実態がつかみづらいところもあり、はたして現場では何が起こっていたのか気になるところだ。

アイヌ民族では初の国会議員となった萱野茂が亡くなってから去る6日で10年。萱野の地元・北海道の平取町二風谷では、萱野の息子の志朗が二風谷アイヌ文化資料館を館長として運営している。没後10年にあたって毎日新聞が志朗に取材したところでは、現在も同館には茂が生前にアイヌの古老たちを訪ねて収録した民話や叙情詩などの音源が約650時間分所蔵されている。
http://mainichi.jp/articles/20160507/ddr/041/040/008000c
ちなみにこの二風谷アイヌ文化資料館には、志朗が代表として運営する、おそらく世界で唯一のアイヌ語放送を行うミニFM局「FMピパウシ」がある。正規のラジオ局ではないが放送はインターネットでも配信され過去の番組もライブラリーより聴取可能。アイヌの古老のほか、2001年4月の開局時に萱野茂アイヌ語で行った開局挨拶の音声(およびその文字起こし)もここから聴ける。たとえばこんな具合だ。
《ヤイクレカラパ。ク・イェ イタク ヌ ロク クニ クタリ ネ ロク、ニシパ ウタラ、カッケマッ ウタラ、オッカイポ ウタラ、メノコポ ウタラ、シネ イキンネ コンカミ ナ》
(日本語訳=私の言葉をお聴きくださる私の仲間である紳士の皆様、淑女の皆様、そして若者たち娘たちご一同にご挨拶を申し上げます)
http://www.geocities.jp/fmpipausi/menu.html
http://www.geocities.jp/fmpipausi/IIPN-A.T1.html

◎そうした地方にある正規でもないラジオ局の番組が、今や在京の大手ラジオ局などと全くフラットな環境で聴けるようになった背景には、インターネットもさりながら、やはりスマートフォンの普及が果たした役割も大きいだろう。
例えば先に30年に及ぶ放送を終了したTBSラジオ大沢悠里ゆうゆうワイド」の後番組として始まった「伊集院光とらじおと」では、スタート当初から番組のリスナー主導で、Twitterで話題を共有するためのハッシュタグが作られる現象も起きたという。現在でも「♯ij954」で覘くと「これかw伊集院がバイトしてたスーパーってw」「山岸朋美さん、もう天気予報が解んないよ。」などとリスナーが聴きながら内容にツッコミを入れ、それが番組にもフィードバックされている様子がうかがえる。
http://news.livedoor.com/article/detail/11488879/
http://www.tbsradio.jp/ij/
https://twitter.com/hashtag/ij954?src=hash

◎これも熊本地震においてソーシャルメディアが威力を発揮したという事例の報告。LINEの「既読」機能が行方不明者の安否確認に役立ったのだそうだ。
http://mainichi.jp/articles/20160507/dde/001/040/053000c?fm=mnm

◎愛知県の東愛知新聞社を舞台にした義援金不正流用疑惑について、同じ豊橋市に本社を置く東海日日新聞が9日より告発連載レポートを開始。第1回目の表題は「訃報広告と同じだよ」。
《企画は、被災地支援の街頭募金を呼びかける内容の特集記事を掲載し、1社1万円で協賛企業を募る。集めた広告料は、その一部を被災地に義援金として寄付し、残りは新聞社の収益にする、というものだった。
 Aさんはその話を聞いた時、即座に「いやだった。こんな時に1円だってもうけてはいけない」と思った。おずおずと「そういうのはいかがなのものかと…」と言い出した時、自分の言葉を遮るように言い放った藤村本部長の言葉を、今もはっきり覚えている。
「訃報広告と同じだよ」。他人の不幸でも会社の利益にしようというその言葉で、藤村氏は営業局員を納得させた。異論はあっても、圭吾社長と正人本部長の藤村親子に逆らえる雰囲気はない》
http://www.tonichi.net/news/index.php?id=52610

◎かつて「3分間、待つのだぞ」のCMで一時代を築いた大塚食品の「ボンカレー」が、実は3年前からテレビCMより撤退していたことを日経新聞がレポート。今や「たかが15秒のCMで3分待てとか偉そうに言うんじゃねーよ」とか視聴者から言われそうなご時世だけに、さもありなん。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO99341040W6A400C1000000/

◎そしてキリンビールも準主力のラガービールについて、会員制SNSを活用した訴求に変更したのだという。はたしてテレビCM業界はこうした潮流にどこまでついていけるのだろうか。
http://biz-journal.jp/2016/05/post_15001.html

◎報道検証サイト「GoHoo」でおなじみの日本報道検証機構は6月8日に、憲法9条をテーマにそれぞれスタンスの異なる論客を集めての「公開熟議」を開催するとのこと。また、運営資金をクラウドファンディングサイトの「Readyfor?」を通じて集めるという。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160508-00057403/
http://gohoo.org/
https://readyfor.jp/projects/article9jukugi

◎『週刊東洋経済』5月14号の特集「生涯未婚」によると、50歳時点の未婚率は非正規の「著述家、記者、編集者」男性の場合、約75%に達しているのだそうだ。図表ではわざわざ「医者は男女の格差が激しい。男性はフリーライターが未婚」などと見出しで謳っている。確かに筆者(岩本)もその一人だ。
http://store.toyokeizai.net/magazine/toyo/

冨田勲逝く。お茶の間に親しまれた度合いで言えば、やはり『きょうの料理』のテーマ曲だろう。学生時代からNHKに出入りしていた冨田は1957年の『きょうの料理』放送開始の直前になってテーマ曲の製作を急遽頼まれ、手直にあった木琴を使って数時間のうちに、後に半世紀以上も番組で連日使われることになるあの曲を書き上げたそうだ。9年前に同番組が放送開始50周年を迎えた頃、以前にNHK出版(NHKの番組の音楽著作権を管理している)に私が聞いたところでは「そのため今なおあの曲の使用に関わる収入が冨田さんのところへ入り続けているんです」とのことだった。
http://www.asahi.com/articles/ASJ58019HJ57UCLV00T.html

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3)【深夜の誌人語録】(岩本太郎)
激しく憎みあい対立する両者ほど、えてして互いに似通った存在になりがちだ。