【文徒】2018年(平成30)7月9日(第6巻126号・通巻1300号)

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1)【記事】新潮社、金菱清が 『美しい顔』についての見解を発表
2)【本日の一行情報】
3)【深夜の誌人語録】

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1)【記事】新潮社、金菱清が 『美しい顔』についての見解を発表

講談社の文芸誌「群像」6月号に掲載された 群像新人文学賞「美しい顔」の全文 がインターネットで公開されている。
http://book-sp.kodansha.co.jp/pdf/20180704_utsukushiikao.pdf
「雑誌の人格 」(文化出版局)でお馴染みの能町みね子も読み始めたようだ。
「北条裕子「美しい顔」まだ読みかけのところで、例の剽窃箇所すら出てきてない状態なんだけど、この時点ですでに各選考委員が絶賛しまくっていることに納得がいかない。文章がヘタだと思う。文章がヘタでも内容や展開がよければ絶賛されるものなんだろうか。わからない」
https://twitter.com/nmcmnc/status/1014859290438320128
「美しい顔」の場合、冒頭部分に置かれた「被災地は撮ってもタダか。被災者は撮ってもタダか。どのように持って帰ってもタダか。この男も、マスコミも、みんなそうだ」に始まり、性的な喩をもって展開される告発の表現についていけないと、能町のような評価になるのかもしれない。能町は、こうもツイートしている。
「『美しい顔』中盤まで読んだ(仕事の間に読んでるうえに元来かなり遅読です)。冒頭部はひどく稚拙な文体だったけど中盤で少しマシになってきた。ただ相変わらず、同じ意味の文を何度も繰り返す癖と、全然改行しないだらだらした文章になじめない。その表現が筆者の意図通り機能してるとも思えない」
https://twitter.com/nmcmnc/status/1014910343368171520
東浩紀小谷野敦は全文公開される以前に「美しい顔」を読んでいたのだろう。
「話題の群像新人賞・北条裕子さん『美しい顔』。文学性の評価はそれぞれだと思いますが、ぼくはあまり震災を主題にした作品だと感じませんでした。作家さん本人も被災地に行ったことがないと言っているようだし、この作品の登場はむしろ、震災経験が物語の舞台にできるほど遠くなった現れなのかなと。。」(東浩紀
https://twitter.com/hazuma/status/1014183337013927937
「まあ参考文献は忘れたんじゃなくて隠したんだろうし、もうその点で私はこの作者は嫌いだし、それ以前に読んだ時もうさんくささを感じた 」(小谷野敦
https://twitter.com/tonton1965/status/1014461617650556928
東は鋭いと思った。そう「美しい顔」は震災を主題にした作品ではないのである。しかし、「被災地は撮ってもタダか。被災者は撮ってもタダか。どのように持って帰ってもタダか。この男も、マスコミも、みんなそうだ」という表現が「予示」しているように震災文学としてしか消費されないのである。いずれにしてもツイッターなどを見ていると「テクスト論」派が「美しい顔」を評価していることが理解できよう。逆に山崎行太郎など昔気質の批評家の評価は厳しいようだ。
「ほぼ文章の丸写し。私の基準では、これはアウト。私も、某所で、小説講座の講師を勤めているが、参考文献からの引用や、素材を参考にすることは問題ないが、文章の丸写しは駄目だと指導している。丸写しには、引用マーク(「・・・」)を使え、と。」
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=2037800799628103&id=100001946089895
講談社が「美しい顔」の全文公開に踏み切ったことを問題視したのは作家の津原泰水である。
講談社の姿勢が謎過ぎる。「小説『美しい顔』の評価を広く読者と社会に問うため」の公開との事だが、では群像新人文学賞の審査員はなんの為に居るのだ? 」
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1014665316163452928
「むかし講談社宇山日出臣という編集者が居た。「新本格」ムーヴメントの生みの親だ。自分では評価しきれない作品について「では読者に問いましょう」と決断するのが常だった。読者が問われたのは、その作品の為の経済的・時間的出費を望むか否かだ。このたび読者は何を問われているのだろう?」
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1014670354017497090
図書新聞」7月14日号で岡和田晃 の「反ポリティカル・コレクトネスの終焉 」が「美しい顔」について、次のように書いているのが印象的であった。
「第一五九回芥川賞候補作となった北条裕子「美しい顔」(第六一回群像新人文学賞受賞作、「群像」二〇一八年六月号)は、3・11東日本大震災を『被災地に行ったことは一度もない』立場から描いた作品という触れ込みだが、遺体安置所の描写が、石井光太『遺体――震災、津波の果てに』からの、出典もとを明示しない無断引用になっていると、『朝日新聞』ほか大手新聞が報じている。通常、この時評では大手文芸誌の新人賞受賞作はできるだけ取り上げることにしているが、『美しい顔』に評者はどこか引っかかりを感じて、言及を避けていた。今回、不安が嫌な形で的中してしまった格好である。
評者自身も被害にあった経験から言うが、無断引用か、はたまた盗作かというのは、された当人には自明だが、対外的な立証は難しい部分がある。ただ、『美しい顔』に関しては、そもそも『引用』元をはっきり明記したほうが完成度は上がったに違いない、と自信をもって言える。応募時点で3・11から七年もの年月が経過しているのだから、震災に相応の距離感は生じているはずで、距離そのものを批評的に思考すべきだった。そのような視点が採られなかったのは、本作がどこまでも『抒情』の産物として書かれ、受容されたからだろう。今こそ、『これからは抒情との戦いだ!』(向井豊昭)という言葉を想起すべきではないか」
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3359&syosekino=11647
「美しい顔」が「抒情」の産物であればこそ、経験の無さを補うべく、参考文献を明示せず、他の作品の「抒情」を丸ごと借りて来てしまったのかもしれない。
新潮社が「『群像』8月号、『美しい顔』に関する告知文掲載に関して」を発表した。抑制のきいた良い文章である。
「5月7日発売の『群像』6月号で上記の問題が生じたことを認識した講談社から、5月14日にまずは石井光太氏へ、両作品を比較した類似箇所のリストの提示、それを元にした事情説明と謝罪がありました。また『遺体』の版元であり、石井氏の代理人である弊社には、5月29日に同様の事情説明と謝罪がありました。29日の協議で、代理人である弊社が講談社に要望した主な点は以下の5点です。
(1)発端となった『群像』の誌面で、何らかの回復措置を講じて頂きたい。
(2)参考文献掲載は当然のこととして、実際に複数の類似箇所が生じていることに関しては、今後の『美しい顔』の単行本化の際、参考文献を記載すれば済む話ではなく、類似箇所の中でも、特に酷似した箇所の修正が必要と考えている。
(3)『遺体』は、石井氏が取材をした被災者に、掲載の許諾を取るなど丁寧な手続きを経てまとめた作品。石井氏との信頼関係があったからこそ話し、文章化を許可して下さった内容のはずが、単なる参考の域を超え、酷似する箇所まで生じてしまっている。石井氏を信じて取材に応じてくださった被災者の方々への対応を考えて頂きたい。
(4)北条氏自身からは、未だ何の説明もない。ご本人から書面などで説明頂きたい。
(5)講談社は、類似箇所が生じてしまった経緯、類似箇所に対する認識も含めて、今回の件についての社としての見解をまとめて頂きたい。
この弊社からの要望をもとに、5月29日以降、講談社と協議を進めました。講談社には前向きに弊社の要望を検討頂いたことで、問題は徐々に解決に向かいました。
(1)については、7月6日発売の『群像』8月号に告知文掲載の対応を頂きました。内容についても、講談社、石井氏、弊社の間で協議を済ませた内容となりました。
(2)については、『美しい顔』の単行本化が可能であれば、今回生じた複数の類似表現の修正を、石井氏に確認しつつ進めたい、との対応を頂きました。
(3)については、まずは「群像」告知文にて対応頂きました。一方で、『遺体』の主たる登場人物である2名に対し、手紙または面会の上で説明をする機会を頂きたいとの、講談社側から示された対応等については、積み残しとなりました。
(4)については、6月13日に石井氏と弊社にあてた北条氏の謝罪文を受け取りました。
(5)については、何度かのやり取りを経た後、6月27日付で、『群像』編集長から石井氏へあてた『お詫びと経緯のご説明』という形で、見解とお詫びを頂きました。
協議が進んだ結果、『群像』8月号が発売される7月6日を見据えつつ、北条氏と講談社、石井氏と弊社の間に残された着手すべき課題は(2)と(3)の積み残しとなりました。この時点で、こうした協議を続けなければならない課題はありましたが、講談社と弊社との間で大きな見解の相違はなかったという認識でした。『版元間かみ合わぬ議論』『新潮社は反発』との一部報道も後に見受けられましたが、そのような状況ではなかったと認識しております」
7月3日に講談社より発表された強い口調が印象的な「群像新人文学賞「美しい顔」関連報道について及び当該作品全文無料公開のお知らせ」についても、次のように述べている。
「しかしながら、7月3日、突然、講談社より「群像新人文学賞『美しい顔』関連報道について及び当該作品全文無料公開のお知らせ」と題したリリースが発表されました。そしてその中で、『6月29日の新潮社声明において、『単に参考文献として記載して解決する問題ではない』と、小説という表現形態そのものを否定するかのようなコメントを併記して発表されたことに、著者北条氏は大きな衝撃と深い悲しみを覚え、編集部は強い憤りを抱いております』と記されるなど、弊社に怒りの矛先を向けた内容でした。
この講談社のリリース内容に、弊社はただただ驚くとともに困惑するばかりでした。弊社のコメントを再度お読み頂ければお分かりのように、「小説という表現形態そのものを否定する」記述などどこにもありません。また、講談社が怒りの矛先を向ける「単に参考文献として記載して解決する問題ではない」という弊社の見解も、5月29日以降の協議ごとに講談社側にはお伝えしてきたもので、今回のコメントではじめて弊社が表明したものではないことは、これまでの経緯からご理解頂けると思います」
http://www.shinchosha.co.jp/news/article/1317/
「新世紀ゾンビ論」の藤田直哉は新潮社の対応を次のように評価している。
「冷静な対応。特に、被災した当人たちとの信頼関係の問題や、書くのがどれだけ大変なことかに力点が置かれている箇所が重要。『3.11慟哭の記録』の場合も同様で、参考文献や修正という「出版業界の法や慣習・仁義」の問題としての手打ちよりも、そっちが注力すべき問題 」
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1015261952388444161
「ビッグストーンブログ」も「小説『美しい顔』について。」をエントリし、次のように書いている。
「新潮社のコメントには、冷静な筆致で好感を持った。怒り丸出しの版元のコメントとは格が違うと思ったのが、正直なところである 」
「越えてはならぬラインを越えているな、というのが率直な感想であった。出版元が強調する「作品の根幹に関係ない」は免罪符にならないだろう。また「被災地に行っていない」云々が問題でもない。枝葉末節も含め「その人の作品」たることが大事である」
https://blog.goo.ne.jp/maishinomiya/e/1d1d83f54890976cef4b0076dfba030e
ブログ「illegal function call in 1980s 」の存在を知ったのは大月隆寛ツイッターによってである。
https://twitter.com/kingbiscuitSIU/status/1015386372662648833
「illegal function call in 1980s 」は「新潮社のコメントを読む ― 北条裕子『美しい顔』に寄せて」や「或文学的態度表明」をエントリしている。
「文体や声が確立している書き手ならば、他人の文体は自ずと咀嚼して取り入れることになる。そのようにして取り入れられたものは「わが文体」であります。また、自己が確立しているから他者との境界を明確にする意識の働きが生まれる。このときの、咀嚼に代わる作家作法のひとつが引用です」
「企業対応として講談社が明らかにすべきは、今回の行為に関して担当編集者はグルであったのか、語調をやわらかくして申せば、認識、黙認、追認をしていたのかどうかです。そのことを抜きにむやみに強い調子をひけらかすから、あのような威勢、空威張りだけのプレスリリースになります。
http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/pdf/2018/180703_gunzo.pdf
過失を認めることと強い調子の間には甚だしい飛躍がある。平たくいえば、ただの脅しではありませんか。それも足元が揺らいでいることにも気づかないで嵩上げをした台座の上からの」
http://dk4130523.hatenablog.com/entry/2018/07/06/230856
http://dk4130523.hatenablog.com/entry/2018/07/04/041520
仲俣暁生フェイスブックで次のように述べていた。正鵠を射た発言ではなかろうか。
講談社は基本方針がぐらつき過ぎてる。
1)新人作家を守る。
2)作品は最善のかたちで発表する。
3)新人作家が執筆時に参考にした著作の扱いと原著者への説明に誠意を尽くす。
4)ネットの誹謗中傷には毅然と対処する。
これだけでよかったはず。新潮社の「参考文献では済まない」というコメントにブチ切れて「小説という表現形態そのものを否定する」云々と開きなおったのは、あとから開示された経緯を見る限り余計なことで、あそこですべてがおかしくなった。
芥川賞のノミネートを辞退し、時間をかけてリライトした完全版を単行本にすれば、これほどの酷いことにはならなかった。いまの編集部が危機管理のノウハウに欠けており、作家と作品を守れなかった」
https://www.facebook.com/NakamataAkio/posts/10216626887965484
ジャーナリストの石戸諭は新潮社の発表した文章を読んで次のようにツイートしている。
「『美しい顔』問題。新潮社の説明を読む。6月13日に石井光太さん宛に北条氏と講談社から謝罪文があり、さらに講談社は単行本段階で類似表現の修正も進めたいという話があったことが明かされている。講談社も例の『挑戦的』な無料公開予告リリースとは異なり、問題を認識していたのではないかな〜。」
https://twitter.com/satoruishido/status/1015175669280436225
石戸は、こうもツイートしている。
「作家は被災地に行ってない「私」が小説を書くことを「罪深い」という。僕はそれが罪深いとはまったく思わない。シーンを想像から作り上げて、リアル以上のものを書くことは小説家の役割でしょう。問題は、個々人の思いが詰まった言葉を奪うことにあるでは?という記事です」
https://twitter.com/satoruishido/status/1015437074348965888
石戸諭は「ヤフー!ニュース個人」に「芥川賞候補『美しい顔』は『彼らの言葉を奪った』被災者手記・編者の思い」を掲載している。この記事で「3.11 慟哭の記録 71人が体感した大津波原発・巨大地震」(新曜社)を編んだ金菱清は次のように語っている。
「学生のレポートで参考文献をただコピペするのではなく、コピペしたものの表現を一部だけ変えたものをよく見かけます。私はこういうことはしてはいけないと学生に指導しています。『美しい顔』のディティールはそれと同じです。
『慟哭の記録』は被災者、個々人が感じたとてつもない不条理に対する怒りや憤りを綴った手記です。その中には『美しい顔』で描かれたマスコミ批判も含まれています。彼らが発した言葉は彼らのものです。
少なくとも10数箇所にわたり手記に類似した描写が見つかりました。私が読んだら『あぁこれは〜〜さんの手記だ』『ここは〜〜さんのエピソードを使ったな』とすぐわかるものです。
私がこの小説に批判的なのは、彼らの発した言葉に対する敬意を欠いているからです。単に小説のネタとして、彼らの言葉を使っただけではないでしょうか」
「美しい顔」をインターネットで全文公開したことについても金菱清は次のように語っている。
「私からはコメントのしようがない、に尽きます。
事実として言えるのは、被災者本人にしか書けない、帰属しない言葉を利用して彼女が作品を書き、その事実を伏せていたということだけです。
その態度と作品の質だけが全てでしょう。私は敬意が欠けていると思ったということです」
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20180707-00088468/
金菱は石戸のインタビューに別に強い口調で応じているわけではない。しかし、その怒りの重量を「美しい顔」は真摯に受け止めねばなるまい。HONZ副代表の東えりかが次のようにツイートしている。
「ノンフィクションを素材にする場合、小説家は作品に敬意を持たなくてはならない。参考文献としてつければ赦されるのか。作家も編集者も未熟だし勉強不足だ。候補にしたことも問題だと思う」
https://twitter.com/erkazm/status/1015173042643689472
ジャーナリストの今井一も石戸の記事を読んでツイートしている。
講談社は『甚大なダメージを受けた著者の尊厳を守るため…』などと書いている。彼女は反省していないのか?
浅薄、傲慢、下劣……いろんな言葉を北条裕子とかいう著者に浴びせたい 」
https://twitter.com/WarszawaExpress/status/1015460632211087360
新曜社通信」が「東北学院大学 金菱清 『美しい顔』(群像6月号)についてのコメント」を掲載した。金菱はこう主張している。
「小説『美しい顔』(以下、本小説)において『3.11慟哭の記録』(以下、慟哭)との類似箇所が見られたわけですが、当初情報として類似箇所は何かを知らされていないなかで、本小説を拝読しました。では、50万字にものぼる慟哭の文字量のなかからどのようにして10数箇所の類似箇所が判明したのか。その作業は実はまったく難しくはありませんでした。
といいますのも、本小説を読みますと、慟哭を詳細に照らし合わせるまでもなく、すぐにああ、これは慟哭の手記のこの方やあの方からモチーフを採ったものだとわかるレベルでした。その意味では、内容の成熟度に関わらず、学生のレポートでもネットから情報を採って自分の文章として加工してくる手法と大差がありませんでした。一般的に教育の世界では、こういうことをしないようにと学生に教えています。ですので、その程度の執筆のルール違反の問題だと考えています。それは小説だけ例外として看過するわけにはまいりません。慟哭の記録は単なる素材ではありません。
それよりも、今回問題になっている表現の一言一句ではなく、ことの本質はその当時の『人間の体温』や『震災への向き合い方』にかかわるものだと感じました。
慟哭の中でも最も多くの箇所が参照されている手記は、まさにその当時避難所で物資も情報もない中で、無神経に取材にやってくるマスメディアに向けられた『怒り』を表したものであったわけです。このモチーフは本小説でも踏襲されていると感じられました」
http://shin-yo-sha.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-3546.html
https://www.shin-yo-sha.co.jp/pdf/180706comment.pdf
このように書く 金菱清に講談社は「 小説という表現形態そのものを否定するかのようなコメント」だと批判できるだろうか。「群像」編集部は金菱清と新曜社に強い憤りを抱けるのだろうか。金菱清の指摘に大きな衝撃を受けるべきは誰なのか。深い悲しみを覚えるべきなのは誰なのか。
元テレビプロデューサーの福原伸治は、こう反応している。
「とても重い重い言葉。『表現する』とはどういうことかという重い問いでもある 」
https://twitter.com/shinjifukuhara/status/1015228324308664320
フィルモアイーストの角田奈穂子 は一時、削除していたブログを復活させた。
「金菱先生のコメントを読んで、出版に関わる人間としての姿勢を厳しく問われました。胸に刻み、できうる限りの真摯な姿勢で取材と原稿に取り組まなければと思い知らされました。下記の記事も時間の経過もあり、書き直したい部分は多々あります。とくに震災から7年の歳月が経っても、未だ、いえ、もしかすると、よりつらく、哀しく、苦しい思いをしている被災地の方々への配慮が足りなかったことは反省しています。東京で安穏と暮らしているにもかかわらず、被災地に近い人間だから、という傲慢さがあったことは否めません」
http://fillmore-eastjp.com/2018/06/post-28.html
「俺俺」で大江健三郎賞を受賞している星野智幸は「美しい顔」も「3.11 慟哭の記録」もともに読んでいないことを認めたうえでフェイスブックに次のように投稿している。
「盗作・引用の問題で揺れている『美しい顔』について、引用されたとされる『3.11 慟哭の記録』を学生たちと共に聞き取り・記録集としてまとめた、東北学院大、金菱清さんの、疑義。
『果たして、本小説の作家や出版社、あるいは今回の件で報道するメディアの方々はこのような未だ言葉にも出せず、一人で黙して涙している人々に対して、フィクションであれなんであれ言葉を与えることになったのでしょうか?
そのような向き合い方をされているのか問いたいと思っています。』
両方とも読んでいない身としては、判断する立場にないが、文学の原則として、金菱さんの意見には深く共感、同意する。
また、盗作・引用の境界は曖昧であり、どこで線を引いてどのように判断すればよいかは、さまざまなケースが起こるたびに、出版界があれこれ迷うながら、その線引きを探ってきた。私がデビューしてからのこの20年ちょっとの間にも、たくさん起こった。文芸家協会が見解をまとめた冊子も、10年ぐらい前だったか、会員に配布されている。
もちろん、正解はないから、いつでも異論のある中での対応とはなるだろうが、私の印象では、今回の講談社の対応は、過去の出版界の積み重ねてきた経験と知見を、あまり考慮していないものに感じられる」
https://www.facebook.com/tomoyuki.hoshino.54/posts/1474218886017760
講談社が「『美しい顔』に関する経緯のご説明」を発表した。この文章は「群像」の佐藤辰宣 編集長名義のものだった。こんなところを抜粋しておこう。
「 4 月 20 日 北条氏の著者校正済みのゲラ刷りを受け取るため、編集部員がご自宅へ伺いま した。このとき、『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)、『3.11 慟哭の記録 71 人が体感した大津波原発・巨大地震』(新曜社)を始めとする主な参考文献について北条氏 から提示され、編集部員が机上のそれらの本を目視しました。
しかし、この時点での北条氏にとって『参考文献』の認識が十分ではなく、また初めての自作の小説雑誌での掲載・発表であった北条氏に対する編集部の確認も不足していたため、編集部と北条氏双方で問題を認識できませんでした。さらに、この時点での北条氏の記憶から、執筆時に参考にした文献の詳細と、応募時から半年以上経っていた自作の『美しい顔』の表現との関係について、整理して思い出すための時間が必要だと編集部員が認 識しました。そして、出産を目前に控えた北条氏に対し、3日後の校了までに詳細をつめ てゆくことは困難だと判断し、そのまま適切な対応ができずに 23 日の校了を迎えてしまい ました」
「5 月 10 日 編集部の調査で、『遺体』については 5 点の類似とみられる箇所を確認しまし た。また別途『3.11 慟哭の記録』についても、類似とみられる箇所を確認しました。 そこでまず、類似箇所のうち、より同一に近い記述を含んでいると認識した『遺体』の著者である石井光太氏にご連絡をさせていただき、直接事情をご説明申し上げてお詫びす るため、面会の希望をお伝えしました」
「 6 月 25 日 『3.11 慟哭の記録』の版元である新曜社から群像編集長宛の 6 月 22 日付けお手紙をいただくかたちで、「美しい顔」の中に同書の記述と類似しているとみられる箇所のご指摘を受けました。同書は、『遺体』と並んで被災地の記述にあたり北条氏が示唆を受けていたことを編集部で認識していながらも、編者である金菱清氏に対するご連絡が遅 れておりました。結果として先方からご指摘を受けるかたちとなり、編集部としては直ちに金菱氏と新曜社にお詫びを申し上げ、以後、現在も協議中です 」
http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/pdf/2018/180706_Gunzo.pdf
4月20日の時点で「問題」は認識しており、石井光太には素早く対応を開始したが、「 3.11 慟哭の記録」の版元や同書の編者たる金菱清に対しては講談社から二カ月にわたって一切連絡を入れず、 新曜社から6 月 25日に手紙をもらった時点で、初めて対応を開始したという理解で良いのだろうか?加えて疑問に思ったのは北条裕子が妊娠していたということは情報公開する必要があったのかということだ。いずれにしても北条裕子は金菱清の言い分を木っ端微塵に粉砕しない限り、「美しい顔」は文学としての生命を絶たれてしまうことになるのではあるまいか。ちなみに金菱清が背負っているのも「文学」なのである。柳田国男の「遠野物語」が文学であったように金菱清の「3.11慟哭の記録」や「呼び覚まされる霊性の震災学」「私の夢まで、会いに来てくれた」 も文学なのである。
7月18日、ニコニコ動画は「第159回 芥川賞直木賞発表&受賞者記者会見生放送」を配信するが、解説委員として登場する一人が「〈盗作〉の文学史」の栗原裕一郎であることを文藝春秋の社員から教えてもらった。「〈盗作〉の文学史」の版元も新曜社である。
http://live.nicovideo.jp/gate/lv313918944
これは栗原のツイート!
「これはたしかに『編集部の過失』だ。北条さんは大変な時期に騒動になってしまいましたな。産後2ヶ月のお母さんって本当に大事だからみんなあんまり無体なことを言うんじゃないぞ」
https://twitter.com/y_kurihara/status/1015229928525070336

                                                                                                          • -

2)【本日の一行情報】

◎日本代表はサッカーW杯ロシア大会で一勝しかしていないんだけれども、それでも「奇跡」になっちゃう。オレも決勝トーナメントに出場できたことを奇跡だと思う「共同幻想」に加担したし、ベルギーを追いつめた試合に感動したクチなんだよ。でも、客観的に振り返ってみるならば、たった一勝なんだよね。朝日新聞出版は、7月6日、アエラ増刊「ロシアW杯 サムライブルーの奇跡」を緊急発売した。
https://dot.asahi.com/info/2018070300026.html?page=1
サッカーは私たちの「攘夷」の共同幻想に火をつける。「攘夷」の共同幻想とは横文字で言えばパトリオティズムであろう。更に橋川文三の口吻を真似て言えば、特定の政治勢力ナショナリズムの求心力と凝集力を高めるためにパトリオティズムを利用するのである。橋川文三の「ナショナリズム その神話と論理」は、当時、紀伊國屋書店の嘱託をしていた村上一郎が橋川に依頼して実現した企画である。村上は1975年、自刃する。

香川大学が筧善行学長名義で「教員個人twitterにおける不適切な発言について」を発表。
「本学教員によるtwitter上での不適切な発言が一部のメディアに掲載され、インターネット上で情報が拡散している状況です。
当該教員に確認したところ、本人が行ったツイートであることが判明いたしました。
このツイートは少なくとも教育上の観点からは不適切な内容であり、当該教員がそのような表現を行ったことは誠に遺憾であります。関係者および地域の皆さまにはご迷惑、ご心配をおかけしたことを大学としてお詫び申し上げます。
今後は、本件の事実内容を更に調査した上で学内規則等に照らして適切な対処を行うとともに、再発防止を徹底して参ります」
https://www.kagawa-u.ac.jp/topics/other/22034/
香川大学によって問題とされた「本学教員」とは三原麗珠教授。三原が4月に投稿したツイートがネット民に批判され、炎上し、一般のメディアでも取り上げられるに及んで香川大学が謝罪するに及んだわけである。問題となったのは次のようなツイート。
「しかしタイムラインに深刻なセクハラの話題が増えてくると,『僕の趣味はセクハラです.気持ちいいじゃないですか』とか言いたくなってくる.笑
言うこととやることはひとまず別.一部の『私はセクハラをしません』宣言とほとんど同様な無意味な言明と受け取られていいし,」
https://twitter.com/reiju21jp/status/987402779512586240
「僕の趣味はセクハラです.気持ちいいじゃないですか」という部分のみがネット民に取り上げられ、炎上し、マスメディアにも延焼していったのである。むろん、マスメディアもネット民による「印象操作」を尊重し、次のように書いてしまう。
〈大学によると、男性教授は財務省事務次官によるセクハラが問題になっていた4月下旬、自身のツイッターに「『僕の趣味はセクハラです。気持ちいいじゃないですか』とか言いたくなってくる」などと投稿〉(毎日新聞)
〈男性教授はことし4月、ツイッターに「『僕の趣味はセクハラです。気持ちいいじゃないですか』とか言いたくなってくる
などと書き込んでいたということです〉(NHK)
https://mainichi.jp/articles/20180704/k00/00m/040/084000c
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180704/k10011507991000.html
この件についての三浦自身のツイートを二つほど紹介しておこう。
「発言の真意や大学発表について取材の申し出が相次いだ.大学発表ってこれか.遺憾だ.教員個人の発言に対して大学が謝罪するのは,瞬間的にはどうであれ中長期的には大学の信頼をそこなうよ」
https://twitter.com/reiju21jp/status/1014495032424853506
「何ら違法性のない発言がネット上で批判され大学に通報された.報道ではセクハラをやっているように印象操作された.教員に対する処分が,そういったレベルの批判や悪意ある報道に左右されるようであれば,大学自治のレベルもそういうのと同程度なんだねと思われるだろう」
https://twitter.com/reiju21jp/status/1015082528250531842

◎「WIRED」日本版の元編集長の若林恵の次のような発言には共感できる。
「そのテクノロジーにふさわしい表現の文法や様式がいきなり開発されるわけではなく、長い時間をかけて徐々にしか発見されないのかなと。例えば、リュミエール兄弟が映画という技術を発明してから、その後の映画の基礎となる文法をエイゼンシュタインが確立するまで、実に30年もかかっています」
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018070224931.html

講談社の女性向けマンガ誌「ITAN」で連載された雲田はるこの「昭和元禄落語心中」がNHKで実写ドラマ化されることになった。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/04/rakugo-shinju_a_23474347/

講談社は未来創造と共同でイラスト投稿サイト「ILLUST DAYS」(イラストデイズ)を開発した。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001772.000001719.html

◎「リアルライブ」が「芥川賞候補作が異例の全文無料公開へ “盗用”疑惑問題、出版社の対応がネットで賛否」を掲載した。
https://npn.co.jp/article/detail/09233162/

カラテカ矢部太郎によるマンガ「大家さんと僕」(新潮社)は「手塚治虫文化賞」を受賞したが、売れ行きも好調で35万部を突破。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/232632

◎アマゾンは、新しいプログラム「Kindleインディーズマンガ」を開始した。このプログラムによって、電子書籍のセルフ出版サービスであるKindleダイレクト・パブリッシング(KDP)の取り組みをさらに拡大し、Kindleストア上でマンガ作家が簡単に無料作品を公開できるようにした。アマゾンでKindle コンテンツ事業本部長をつとめる友田雄介は、次のように語っている。
「このたび、Kindleインディーズマンガをマンガ作家、読者の皆さん向けに発表できることを大変嬉しく思います。Amazonはこの度、マンガ作家に向けた自己表現のためのツールとKindleストア上の読者との出会いの場となる、プログラムを開始いたしました。今後も日本のマンガ作家を応援し、読者に向けてより多くのマンガを提供してまいります」
また、「Kindleインディーズマンガ」の開始に合わせ、アマゾンは総額2,000万円に上る「インディーズ無料マンガ基金」を創設した。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000840.000004612.html

楽天は、広告プラットフォームを開発・提供するLOBを完全子会社化することになった。LOBは2016年に創業されたアドテクノロジー企業で、主に広告プラットフォームの開発と提供を行っている。楽天は同社の持つ技術力と開発力を生かし、グローバル展開も含めた独自の広告プラットフォーム構築に向けて体制を強化する。
https://corp.rakuten.co.jp/news/press/2018/0705_02.html

◎「日経ビジネスONLINE」が有隣堂の松信裕社長にインタビューしている。
「今、契約上、書籍と雑誌だけを売っている店舗が7店ありますが、利益率の低い本だけでは非常に厳しい状況です」
「好調な店舗の一つに先ほど紹介した新宿の「STORY STORY」があります。併設しているカフェには行列ができています。ここはもともと、大手の三省堂書店が入っていたんです。当社に出店の声が掛かったときに、大家さんの小田急百貨店から言われたのが、もっと多様な人が楽しめる売り場にしたいので、本ばかりを置かないでほしいという意見でした。
その結果、三省堂のときと比べて本の点数は3分の1ぐらいになりました。この店がオープンした時に岩波書店の岡本厚社長がご来店になったんですが、この店には岩波の本がほとんどなくて……そういう意味での寂しさはありました。ですが、これも“書店”として発展していくための挑戦なんです」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/269473/070400141/?P=1

青森県八戸市にある1927年創業の老舗「木村書店」の公式ツイッターが話題となっているようだ。「ねとらぼ」によれば「POP担当者が漫画調でつづる絵日記」だそうだ。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/05/news053.html
これがそう。評判通りだ、面白い。
https://twitter.com/kimurasyotenn1

東京メトロでは、「週刊少年ジャンプ」の創刊50周年を記念して「週刊少年ジャンプ×東京メトロスタンプラリー2」を7月17日(火)から 8月31日(金)まで実施する。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000403.000020053.html

◎1995年10月創刊以来、23年間発行してきたセブン&アイ出版の月刊誌「saita」は7月6日(金)発売の8月号を月刊誌としての最終号とし、今秋より「適時刊行誌」となる。
https://www.value-press.com/pressrelease/204261

タカラトミーは、カメラ付きの図鑑タブレット小学館の図鑑NEOPad 乗りもの+くらべる編」」(希望小売価格15,000円/税抜き)を発売した。
http://www.takaratomy.co.jp/product_release/pdf/p180704.pdf
小学館の図鑑NEO」は大活躍である。

◎北海道では、この18年間で書店の4割が閉店し、地域に一店もない「書店空白地」は現時点で58市区町村に上るそうだ。
https://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20180706-OYTNT50023.html

◎「ヤフー!ニュース個人」は水島宏明の「『TBSは死んだ』再び。映像の押収を公表せず」を掲載している。2013年に鹿児島市で、鹿児島県警の警察官に取り押さえられた会社員男性が死亡する事件があったが、警察官の24時間に密着すること をテーマにしたTBSの番組は、その一部始終を撮影していた。この映像を警察が押収し、TBSは映像が押収されたことを発表しなかったという。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20180705-00088099/
TBSの「隠蔽」というか、「忖度」は毎日新聞のスクープで明らかにされた。
https://mainichi.jp/articles/20180705/ddm/004/040/020000c

講談社のコミックサービス「コミックDAYS」の連載作品の更新は7月10日から昼の12時になる。
https://comic-days.com/blog/entry/info/0705

◎日販は、自遊人とともに、ブックホテルを中心とした複合施設「箱根本箱」を2018年8月に開業する。「箱根本箱」は、2017年4月に設立した日販グループ会社「株式会社ASHIKARI」が事業を担当し、自遊人が運営する。
https://www.nippan.co.jp/news/hakonehonnbako20180704/

◎日販が6月の雑誌・書籍・コミック売上動向 を発表。雑誌5.3%減、書籍2.6%減、コミック6.5%増、開発品48.1%増 。コミックは2016年5月以来2年1か月ぶりに前年同月を上回った。 雑誌・書籍・コミック合計売上は前年同月比0.7%減 。
https://www.ryutsuu.biz/sales/k070512.html

トーハンは、JAPAN EXPO(パリ)のメインパートナーとして、7月5日(木)〜7月8日(日)の4日間、パリ・ノール・ヴィルパント展示会場で開催される「第19回 JAPAN EXPO」において、日本企業の出展ブースを集めたエリア「SAIKO! JAPAN」の運営・管理 を担う。
http://www.tohan.jp/news/20180705_1235.html

トーハンは、店頭活性化プロジェクト企画として、アニメ化が決定したミステリーシリーズ「京都寺町三条のホームズ」との公式タイアップ企画を7 月6 日(金)〜8月5日(日)まで31日間にわたり、コミックとらのあな池袋店 B、くまざわ書店池袋店、旭屋書店池袋店、三省堂書店池袋本店、ジュンク堂書店池袋本店、くまざわ書店サンシャインシティアルパ店 という池袋駅周辺の6書店で実施する。
http://www.tohan.jp/news/20180706_1237.html

サントリーの飲料自動販売機をはじめとした総合飲料サービスを展開する、サントリービバレッジソリューションは、ぐるなびと共同で、働く人の「食」を豊かにし、より快適な職場づくりをサポートする自販機の法人向け新サービス「宅弁」を、東京都の中央区、港区、千代田区、品川区から、7月より開始する。
「宅弁」とは、職場に設置された「宅弁」仕様の自販機にて、飲料を購入するのと同じ方法でボタンを押すと、ぐるなびが曜日ごとにコーディネートした職場近隣のレストランが作る弁当を注文でき、職場に宅配されるサービス。
https://www.suntory.co.jp/softdrink/news/pr/article/SBF0706.html
https://corporate.gnavi.co.jp/release/2018/20180705-018682.html

◎今年の3月、4年ぶりに最新作が発売されたコンピレーションアルバム「RELAXIN' WITH JAPANESE LOVERS VOLUME 6」から10曲をセレクトしてアナログ化、「〜WE LOVE JAPANESE LOVERS MORE THAN EVER SELECTIONS〜」としてソニー・ミュージックダイレクトのアナログ専門レーベルGREAT TRACKSより8月22日にリリースされる。
実は「RELAXIN' WITH JAPANESE LOVERS」は、マガジンハウスから刊行されていた伝説の雑誌「relax」のラヴァーズ・ロック特集からコラボ企画として誕生したコンピレーション「RELAXIN' WITH LOVERS」シリーズのスピン・オフ なのである。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000135.000020808.html

◎塩顔女子の飯豊まりえにとって書店は、10分でも時間があいたら足を運ぶ場所なんだって。嬉しいじゃないか。「新刊→エッセイ→写真集→詩集をチェックする 」のがパターンだそうだ。この日は古書店だけれど・・・。
https://more.hpplus.jp/fashion/news/38820/3/

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3)【深夜の誌人語録】

過信は堕落を招く。