北条裕子『美しい顔』刊行 講談社広報室を劣化させたのは誰か!?

 私は4月9日付「文徒」に次のような内容の「【記事】 東北学院大学教授の金菱清が講談社に『お知らせ』の撤回訂正を求める」を掲載した。

3)【記事】 東北学院大学教授の金菱清が講談社に「お知らせ」の撤回訂正を求める

講談社が4月4日付で発表した「群像」編集部名義の「『美しい顔』刊行についてのお知らせ」には、確かに「著者の北条裕子氏ならびに編集部は、発表時の参考文献未掲載の過失を反省するとともに、各位からのご指摘を真摯に受け止めて文献の扱いについて熟慮し、文献編著者および関係者との協議と交渉を経て」と記されている。

https://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/pdf/2019/20190404_utsukushiikao.pdf

これについて「3.11慟哭の記録」の編者である東北学院大学教授の金菱清は4月7日に次のようにツイートしている。

「『美しい顔』の出版について談話だと当方が協議や交渉を経て改訂稿を認める形になっています。そのような事実はなく、改訂案が一方的に送られてきました。原作者が『剽窃』の疑われている作品の改訂への関与など断じてありえません。編著者の関与について撤回訂正を求めます」

https://twitter.com/kanabun0711/status/11146984062

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このツイートに対するリツイートを集めてみた。

「当事者の経験から生まれた言葉をかすめ取って、自分の『作品』として世に出す。

有名で口うるさそうな一人とだけ手打ちをして、多数の一般人は知らん顔ですか。やはり『#美しい顔』は、そうした小説なんだ、と認識を強くした。今度こそ、講談社も同罪だ」

https://twitter.com/BlackcatWhitec4/status/111515744

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「円満解決と思っていたのでびっくり!!」

https://twitter.com/barasyojo/status/11151271925627

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「盗作しておいてほとぼりが冷めた頃に盗作元の同意を得たかのように装って一方的に出版って最低最悪では??講談社のモラルってどうなってるの?銭湯絵師といいこれといい大きな裏がありそう」

https://twitter.com/ca_limumu66/status/111488293289

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「2度ドジッ子ぷりを発揮しされおられる。大丈夫か。いやつまりあれかな。もう該当箇所直したんだからつべこべ言うな的な感じなのか。電話くらいしておけばいいのに」

https://twitter.com/lotushouse/status/11150685310395

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「『美しい顔』はもうひと波乱ありそう。そもそもそんなに無理して刊行するほどの作品かどうか疑問ですが、まあ出すのは自由。しかし、剽窃された側が納得していないとすると、問題は大きくなるかもしれませんね」

https://twitter.com/kikumaco/status/111472922033942

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「金菱教授が改訂稿を認めたわけでもないのに『美しい顔』が出版されることになったのか。北条裕子氏ならびに群像編集部の相変わらずの無責任な姿勢にはあきれるばかり」

https://twitter.com/0707tarutaru/status/111472024246

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AERA in ROCK クイーンの時代」や「私の夢まで、会いに来てくれた」(金菱ゼミ編・朝日新聞出版)の編集にかかわったフィルモアイーストは次のような呟きを投稿しながら、あっという間に削除していた。

講談社が強硬に出版にこだわった理由が分からない。炎上商法でも売れると踏んだんだろうか。新潮社はどうしたんだろうという疑問も浮かぶし。謎すぎる」

https://twitter.com/Fillmore_Eastjp/status/1115178810

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金菱清は昨年7月17日に「『美しい顔』に寄せて――罪深いということについて」を発表し、その文章を次のように閉じていた。

「・・・否応なく小説の舞台設定のためにだけ震災が使われた本作品は、倫理上の繋がり(当事者/非当事者の溝)を縮めるどころか、逆に震災への『倫理的想像力』を大きく蹂躙したのだと私は述べておきたい。その意味において罪深いのである」

http://shin-yo-sha.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-4c87.html

https://teru0702.hatenablog.com/entry/20180820/153

4728701講談社は金菱との見解の相違について丁寧に説明する必要があるのではなかろうか。まさに「広報」の質が問われている場面である。

この記事を配信した4月9日の当日に講談社の乾智之広報室長から電話がかかって来た。まず、何故、広報室に当てなかったのかと激しい勢いで詰め寄って来た。私としては、こういうツイートがあり、それについて、こういう反響があると紹介した記事だから、広報室に当てなかったし、当てる必要はないと判断したと説明したはずだ。そうすると乾広報室長は事実誤認だとか、名誉棄損だという言葉を激しくぶつけて来た。いつものことだが、乾広報室長の話し方は私にとって「言語明瞭 意味不明」なのである。仕方なく私としては、記事そのものを何度か読み上げることにした。名誉棄損があるとすれば具体的にどういう表現が良くなかったのか、事実誤認があるとすれば、どこが事実誤認のか明示してもらわなければ、記事の訂正もお詫びのしようもあるまい。そうしたやりとりの末、乾広報室長は講談社として正式に抗議するという旨を述べて電話を切った。

さすがに私は納得できなかった。そこで講談社の渡瀬昌彦常務取締役にスマホでメールを送った。4月12日付文徒に掲載した「社告」でも既に紹介しているが、私はこう書いた。

「御社の広報室長から、今朝の文徒の記事で正式に抗議すると電話がありましたが、ただただ驚くばかりです。あまり弱い者イジメはなさらぬようお願い申し上げます」

これに対して渡瀬常務からは次のような返信があった。

「金菱氏の言説は事実と異なるものであり、大変遺憾です。抗議は、社としてのものです。そう受け取ってください。渡瀬」

ここで渡瀬のいうところの「金菱氏の言説」とは、私が記事で紹介した東北学院大学教授の金菱清が4月7日に投稿した「『美しい顔』の出版について談話だと当方が協議や交渉を経て改訂稿を認める形になっています。そのような事実はなく、改訂案が一方的に送られてきました。原作者が『剽窃』の疑われている作品の改訂への関与など断じてありえません。編著者の関与について撤回訂正を求めます。http://bit.ly/2VmwJRL」というツイートを当然、指すのだろう。渡瀬常務は、このツイートについて、はっきりと「金菱氏の言説は事実と異なるものであり、大変遺憾です」と断定しているのである。私は渡瀬常務に次のようなメールを送ることにした。

「事実と違うという情報発信をされるのですよね」

この私の問いに対して渡瀬常務は、こう応じた。

「この件に関して現時点で公式リリースはいまのところ流していません。金菱氏の出方によります」

私は、このメールには次のように返信しておいた。

「しっかりと背景を踏まえて、出来る限り丁寧な決着を期待しております。文徒でも書きましたが質が問われているかと思います」

このメールのやり取りの後、私は取材のため事務所を出た。

次のようなメールが乾広報室長から送られて来たのは翌4月10日のことであった。

今井様

お世話さまです。

何度かお電話いたしましたが

ご不在のようでしたのでメールにて失礼いたします。

昨日、

御社のメールマガジン・4月9日付「出版人・文徒」記事、

【3)【記事】 東北学院大学教授の金菱清が講談社に「お知らせ」の撤回訂正を求める】

について弊社として正式に抗議をいたしました。

現在までに、

本件について特段のご返答はいただいておりません。

そのような状況ですので、

つきましては、

あす4月11日の吉川賞贈賞式につきまして

ご来場をお控えいただきますようお願いいたします。

このことは

わたし個人の判断ではありません。

もう一点、

役員会での判断事項がございますが、

別途書面にてお知らせ申し上げます。

よろしくお願いいたします。

正直に言おう。私は、このメールを一読して変なメールだと思った。もっとはっきり言えばビジネス文書として失格なのではないかと思った。講談社のような高額の給料が保証された会社のサラリーマンにして、この程度のメールしか書けないのだろうか。私が「変」と感じた理由を書いておく。

最初に「今井様」とあるが、内容が食事や酒精の誘いでないのであれば、ここは「今井照容様」とフルネームで書くべきなのではないだろうか。あるいは私の会社名と私の役職を添えたうえで、フルネームで書くのが常道だろう。

また「御社のメールマガジン・4月9日付『出版人・文徒』記事」と書いているが、私たちのメールマガジンの名称は「文徒」であって、「出版人・文徒」ではない。逆に言えば、「文徒」というメールマガジンについて、その程度の認識しか持っていないということなのだろう。ごく普通のビジネス感覚の持ち主なら、相手の媒体名を間違えるのがどういうことかわかるだろうし、間違えないよう注意を払うはずだろう。

さて、もっとも解せないのは次のような件だ。

「【3)【記事】 東北学院大学教授の金菱清が講談社に『お知らせ』の撤回訂正を求める】について弊社として正式に抗議をいたしました」

正式に抗議する? しかし、前日にかかってきた電話にしてもそうだが、具体的に記事の何が問題であり、何に抗議するのかという「具体」を全く欠いているのだ。この文章の書き手である広報室長は「週刊現代」の編集長経験者であるが、自らの言説に全く疑問を感じないのだろうか。問題となる記事をもう一度読んでもらいたい。

現時点で、私はこの記事を読んでも「抗議される内容ではない」と思っている。そもそも、私は事実誤認など記事に何らかの瑕疵があった場合、どんなに小さなことでも訂正を出して来た。すなわち、どこそこが間違っているというのであれば、抗議に積極的に対応し、「お詫び」なり何なりを即座に配信する用意がある。具体的にどこが問題なのか、具体的な指摘がないのであれば、話にすらならないのではないか。

中堅出版社の経営を担ったことがあり、現役時代は週刊誌や月刊誌で活躍して来たOB出版人に、このメールについて感想を求めたところ、次のような返信があった。

「『出版人』と講談社の間にトラブルがあったことを、今朝、知りました。

一言でいえば、残念なことです。

講談社広報室長によれば、『・・・について弊社として正式に抗議いたしました。』とあり、そして、『現在までに、(改行)本件について特段のご返答はいただいておりません。』とありますが、今回の事件のキイは、講談社から『出版人』に対する抗議がどのようなものであったかを知ることにあります。ぜひその抗議文の全文を公開していただきたい。

抗議文は、講談社から『出版人』への、いわば”私信”に当たり、公開は憚るという判断もあるでしょうが、この”私信”の公開なしには、第三者には、なぜ講談社がかくも強硬な姿勢をとるのか判断できません。

それにしても、招いておきながら前日になって、吉川賞贈賞式への出席を断るという講談社の姿勢は、大いに疑問です。役員会の判断事項というのは何でしょうか。広告出稿も絡むのでしょうか。

『美しい顔』の刊行と吉川賞贈賞式は、まったく別なことと思います。

贈賞式の会場での当事者同士の応酬を避けようとしたのでしょうか。

これまでに小生がもっている情報(ほとんどは『出版人』からですが)によれば、今や大学生の就職希望の最上位にランクされる講談社の判断にしては、今回の事件は解せない部分が多すぎます。

是非、両者の間で交わされた文書の公開をしていただきたいと思います」

このOB出版人の指摘する通り、「今回の事件のキイは、講談社から『出版人』に対する抗議がどのようなものであったかを知ること」にほかならないのだが、具体的な抗議は何もないのである。講談社広報室は、抗議文一枚、私に送って来なかったのである。実は、吉川賞の前夜、講談社の元編集局長と旧交を温めていた。

「オレと一緒に吉川賞、出よう。一緒であれば大丈夫だから」

そう言ってもらったが私は講談社OBにまで迷惑が及んでは済まないと思い、この申し出は辞退することにした。「話をでっち上げるんじゃない」と言われそうだから、予め釘をさしておくが、この日、私は二人きりで酒精を交わしてはいない。こうしたやり取りの証人はいるということだ。

私の書いた記事を踏まえて次のようなメールを送って来た、やはり週刊誌編集長を経験したOB出版人がいる。

「結びの、まさに『広報』の質が問われている場面である。

ここに過剰反応したのでしょうな。

講談社の抗議というより、広報室長本人の怒りからではないのでしょうか。

海賊版問題など、講談社など大手出版社のやり方に批判的な論調を、一度堰き止めようという意思が感じられますね。

しばらく様子を見て、貴社への広告費を打ち切るなどの暴挙に出てくれば、全面戦争も面白いでしょうな。

応援します」

これも週刊誌の編集長経験者からもらったメールである。

「一読して仰天、しかる後う~ん、やっぱり、あの広報室長だな、という感想です。私に『知恵』はありませんが、『お互い、短気起こさず、うまくやってよ』と言いたいです。『言論の自由』と『広報の立場』がぶつかった典型的な事例ですが、何より相手の言い分を虚心坦懐に聞き、自分の真情もしっかり伝える、というコミュニケーションを大事に考えることが最も肝心だと思います。『断交』は簡単ですが、そこから止揚された『新しい可能性の人間関係』は生まれませんからね。取り急ぎ、感想まで」

むろん、私も「相手の言い分を虚心坦懐に聞き、自分の真情もしっかり伝える、というコミュニケーションを大事に考えることが最も肝心」だと考えている。しかし、私が「文徒」で社告を掲げた4月12日、講談社広報室から速達で送られて来た簡易書留の内容は次のようなものであった。正確にスケッチしておこう。

封筒の表には「千代田区神田神保町二―二〇 大池ビル五階」「株式会社 出版人」「今井照容様」とあり、会社の封筒が使われており、裏の差出人は「広報室」とあり、ここに人名は入っていなかった。さて内容だが、それは次の通り。金額だけは、私のビジネスの根幹にかかわることなので伏字にしておく。

株式会社 出版人

月刊 出版人・広告人

編集発行人

   今井照容 様

拝 啓

日頃は弊社の出版物に温かいご支援を賜り、まことにありがとうございます。

このたび弊社役員会にて、下記のように決定がなされたことをお伝えいたします。

これまで御社発行の「月刊 出版人・広告人」に対して雑誌掲載料として××××××円(税込)を毎月お支払いしてまいりましたが、今月のお支払いを持ちまして御社へのお支払いを終了させていただきます。

ご理解のほど、何卒お願いいたします。

末筆ではございますが、今井様のご活躍をお祈りいたします。

敬具

平成31年4月11日

株式会社 講談社

                                                常務取締役

                                                渡瀬昌彦

 

村上春樹であれば「やれやれ」とでも書き始めるのかもしれない。私は4月9日付文徒の「【記事】 東北学院大学教授の金菱清が講談社に『お知らせ』の撤回訂正を求める」を「まさに『広報』の質が問われている場面である」と結んだが、私のもとに送られて来た、この書面は講談社の広報の現在の質を如実に物語っているのではないだろうか。

安倍晋三総理が「云々」を「でんでん」と、麻生太郎副総理が総理だった際に「未曾有」を「みぞゆう」と知ったかぶりしたりして、メディアの顰蹙を買ったことがあるが、講談社にとっては決して笑えないことなのではないだろうか。

その典型的な例が「今月のお支払いを持ちまして」という言い回し。所謂「解約通知」の文面においてはキモとなる部分のはずだが、ここで漢字の「持」を使うとは、私からすると驚きを禁じ得ない。「もちまして」は最近よく聞く表現だが、「以て」(もって・もちて)を丁寧に言った俗用で、文法的には存在しなかった使い方ではなかろうか。とするとここは、せめてひらがなで「もちまして」と書くべきではないだろうか。それとも講談社校閲局編「日本語の正しい表記と用語の辞典 第三版」は「持ちまして」で正しいとしているのだろうか。

「雑誌掲載料」という言い方も私の常識からすれば考えられない用法である。これも通常は「雑誌広告掲載料」と書くべきだと思うのだ。講談社の広報室には日本雑誌広告協会が毎年発行する「雑誌広告掲載料金表」は常備されていないのだろうか。

広告業界的に言っても「今月のお支払いを持ちまして」という書き方は、あまりに雑だ。「4月号(3月25日発行)への出稿をもちまして」ぐらいの表現を使う配慮は必要だろう。校了日直前の申し出も、冒頭に「日頃は弊社の出版物に温かいご支援を賜り、まことにありがとうございます」と書くぐらいなのであれば「失礼」にあたろう。

これも不可解なことなのだが、この書面は総てワープロで打たれていた。広報担当常務の自筆のサインがあるわけでも、広報担当常務の押印がされているわけでも、社判が捺されているわけでもない。普通の企業で言えば社判を捺す場合、社内申請が必要なはず。役員会で決定したのであれば、社判を捺した書面を作成するのが一般的なビジネスにおける常識であろう。

また文責を担う「渡瀬昌彦」は、ドーンと常務取締役と冠がついているが、私の肩書きは、編集発行人とあるのみ。 封筒に至っては私の名前が記されているだけだった。私の名刺には一応「代表取締役社長」と入れているのだが、そんなことは一切無視している。こんなところにも「権威主義」が露呈していると考えるのは、これまた「事実誤認」?何でも「事実誤認」とか「名誉棄損」と言って済ませられるのであれば、広報室なんぞハナから必要あるまい。

そもそも講談社の広報活動において、広報から発信される文章は、どういうチェックを受けているのだろうか。最低限、法務を担当する部門からのチェックがあってしかるべきではないだろうか。まさに広報の「質」こそが問われているのだ。少なくとも経団連に属している企業の広報としては、お寒い限りの「文章力」ではないのだろうか。これも私の事実誤認だと強弁するつもりだろうか。かつて講談社の広報室は少なくとも個人のスタンドプレイを許すことはなかったように思う。

これも週刊誌編集長経験者の発言だが「ホストクラブのホストのようなスーツを着用し、尖がった靴をはいた、尖がった性格の・・・」とまで話せば、誰もが「あいつだ!」と思うそうだ。白いコートの広報室長とも揶揄されている。いやはや。

広報担当常務も、広報室長も、よ~く知っている人物から次のようなメールが送られて来た。

「日ごろの出版人の発信は、仰る様に出版業界の健全な発展のためと理解しています。時には、耳に痛いこともありますが。今回の件については、出版人と講談社広報の問題なので、わたくしからコメントするようなことではありませんが、両社でよく話し合うことが第一では、ないでしょうか」

しかし、講談社広報室から発せられるのは「抗議」の二文字のみである。広報にとって欠かせない「公聴」機能を放棄するかのように、である。

「誰でも犬の吠え声は気になる。しかし、キャラバンは進むのだ。いや、進まなくてはならないのだ。恐ろしいのは、犬の吠え声ばかり気にしていると前に進めなくなってしまうことだ」

今の私の心の支えは次のようなメールを何通かもらったことである。送り主は、この広報担当常務もよく知る出版社の社長である。

「今井さんがこういうメールを出すのですから、ことの重大性は認識します。

ただ、講談社の今井さんへの抗議の内容が分からないので、何ともいえません。

とはいえ、私はあなたを全面的に支持します」

抗議の内容……私が一番知りたいものである。THIS IS NOT KODANSYA !