報道と隠蔽 出版の歴史から「美しい顔」を消さないために 第1回

「〈盗作〉の文学史講談社
一度目はぐうの音も出なかった。何しろ、丸写しだったそうである。栗原裕一郎の『〈盗作〉の文学史』(新曜社)によれば、『講談倶楽部』一九五九年六月号に発表された講談倶楽部賞を受賞した有城達二の「殉教秘聞」が寺内大吉の「女蔵」を丸写ししていたのである。神坂次郎や西村京太郎を蹴落としての受賞であった。
「女蔵」と違ったところはたった三か所! 本筋と無関係な人名などわずか三か所であったという。選考委員には錚々たるメンバーが並んでいる。海音寺潮五郎山岡荘八源氏鶏太有馬頼義がそうだが、誰も見破れなかったそうだ。しかも、この有城は確信犯中の確信犯であった。何しろ「受賞の言葉」までもが盗用だったのである。オール新人杯を受賞した松浦幸男の言葉をパクッていたのである。
『講談倶楽部』は七月号に次のような謝罪文を掲載したそうである。最近の講談社から発表される多くの文章がどこか居丈高なのとは違って、こちらは低姿勢に徹している。
《小誌六月号に発表しました、第十二回講談倶楽部賞当選作品〝殉教秘聞〟は、その後、各方面からのご指摘により、調査の結果、〝小説春秋〟(昭和三一年八月号)所載の〝女蔵〟を盗作したことが判明しましたので、ここに受賞を取消し、第十二回講談倶楽部賞は〝該当作なし〟といたします。
尚、今回の不祥事につきまして、読者の皆様を始め、寺内大吉氏、ならびに関係各位にご迷惑をかけました不明を、深くおわび申し上げます》
この「殉教秘聞」の「盗作」を基準に置くのであれば、小幡亮介の「永遠に一日」は佐々木基一が言い張るように「盗作」(著作権法的にいえばということである)ではあるまい。ただ、開高健との因縁が絡んでいることに注目しておきたい。
さあ二度目である。
一九五七年下期の芥川賞開高健の「裸の王様」であった。大江健三郎の「死者の奢り」との争いであった。「裸の王様」を強く推したのは中村光夫佐藤春夫に加え、丹羽文雄であった。大江健三郎は半年後の一九五八年上半期の芥川賞を「飼育」で受賞している。
開高健は遅筆であったという。芥川賞を受賞したことによって遅筆によるトラブルも発生した。その頃、芥川賞を受賞すると、受賞第一作は『文學界』(文藝春秋)に掲載することになっていた。ところが遅筆の開高はこれを仕上げられなかった。そこで開高は『群像』(講談社)のために書いた原稿を『文學界』に回してしまう。これが講談社の怒りを買ってしまう。〝文学の鬼〟なる異名を業界中に轟かせていた大久保房男が激怒し、以後16年もの長きにわたって『群像』から干されてしまったそうだ。開高が小説においても、またノンフィクションにおいても講談社から代表作を発表していないのは、このためである。小説で言えば『日本三文オペラ』は文藝春秋であるし、『ロビンソンの末裔』は中央公論社であり、『輝ける闇』『夏の闇』は新潮社である。ノンフィクションでは『ずばり東京』『ベトナム戦記』ともに朝日新聞社の刊行である。
北康利は『佐治敬三開高健 最強のふたり』のなかで次のように書いている。周知のように『佐治敬三開高健最強のふたり』の版元は講談社である。
《当時の文壇には掟があったのだ。芥川賞を受賞すると、受賞後の第一作を『文學界』三月号に載せなければならない。
発売日は二月七日。読者も期待している。必死に机にかじりついた。締め切りは迫るが、どうしても書けない。またぞろ鬱が頭をもたげてくる。
そしてついに事件が起こる。
これより少し前のこと、講談社の『群像』編集長の大久保房男が開高に原稿を依頼してきていた。
大久保は文壇きっての強面で知られた名物編集長だ。断るわけにはいかない。開高は苦しみがらも「なまけもの」と題された一二〇枚の原稿を書きあげて大久保に渡した。みずからの体験が濃厚に投影されている、闇市世代の貧乏学生の煩悶を題材とした作品だった。
〈こういう作品をそのころに私はけっして書きたくなかったのだけれど受賞後のマスコミ攻勢にたまりかねて、ついせっぱづまってしまって、書いたのだった〉(「夏の背後(8)」『開高健全作品 小説7』)
そう告白しているほどで、彼はもう一度書きなおそうと講談社に赴いて原稿を持ちかえった。
ところが、そうこうするうちに『文學界』の締め切りが迫ってきた。なかば錯乱状態におちいっていた彼は禁断の行為に走る。なんと「なまけもの」の原稿を『文學界』に渡してしまったのだ。
当然のことながら大久保は激怒し、絶縁状を叩きつける。それから十六年もの間、開高は講談社に何も書かせてもらえなかった》
谷沢永一が『回想 開高健』(新潮社)を刊行したのは一九九二年のこと。同書で谷沢は「…開高健が、逝った。以後の、私は、余生、である」と書いている。開高と谷沢は無名の頃より、言ってみれば文学における同志であった。大阪天王寺中学で開高の一年上だった谷沢が主宰していた同人誌『えんぴつ』に開高は加わっている。『開高健青春の闇』(文藝春秋)の向井敏も『えんぴつ』の同人だった。開高が壽屋宣伝部(現サントリー)に入社するのが一九五四年二月。向井敏電通に入社するのは一九六〇年四月。この三人とも本の虫であった。
『群像』が新人文学賞を設けていることは、よく知られている。第二一回(一九七八年度)の新人文学賞には、中沢けいの「海を感じる時」と小幡亮介の「永遠に一日」の二作品が選ばれた。中沢けいの「海を感じる時」は、講談社から単行本として刊行されているが、小幡の「永遠に一日」は遂に単行本として刊行されることなく今日に至っている。「永遠に一日」は今や忘れられた小説である。ある意味、呪われた小説というべきかもしれない。何故に「永遠に一日」が歴史から消えてしまったのか? いわゆる「盗作」が問題とされたのである。
すなわち小幡亮介の「永遠に一日」は開高健の代表作である『夏の闇』に酷似した部分があったと新聞などで指摘され大騒ぎとなったのである。
当時の『群像』新人文学賞の選考委員は佐々木基一佐多稲子島尾敏雄丸谷才一吉行淳之介という顔ぶれであった。丸谷を除けば全員が絶賛しての受賞であった。選考委員を代表して佐々木は『群像』一九七八年八月号に「『剽窃』を考え直す」を発表している。ここで「永遠に一日」を擁護するとともに「永遠に一日」に対する『群像』新人文学賞の授賞を取り消さないことをはっきりと明記している。
しかし、これにて一件落着とはならなかった。開高の盟友でありつづけた谷沢永一が黙ってはいなかったのである。佐々木の「『剽窃』を考え直す」を厳しく批判する文章は『読書人の園遊』に収められている。
谷沢永一の『回想 開高健』を読めばわかるように佐々木基一は『えんぴつ』時代から開高を高く評価していた。開高が『夏の闇』を発表した際にも、開高と佐々木は『夏の闇』をめぐって対談もしている。谷沢にすれば、そんな佐々木が小幡の「剽窃」に気がつかなかったこと自体が信じ難かったはずである。それだけ谷沢の佐々木に対する口調は厳しさを極めた。こんな具合だ。
《それはともかく佐々木基一のこの文章は、もしこれを現代国語の入学試験に問題文として出題すれば全受験生を当惑させるに違いないほど、文章としての矛盾に満ちている》
栗原裕一郎の『〈盗作〉の文学史』は、次のように書いている。
《作家・開高健の生みの親ともいうべき佐々木が、開高の代表作といっていい『夏の闇』からの剽窃に気づかぬばかりか、わかったようなわからないような理屈で問題の所在を曖昧にしている様に対する怒りこそが、谷沢を批判に差し向けたのではないか》
大岡昇平の『最初の目撃者』(集英社文庫)に収められた「盗作の証明」は、この「永遠に一日」事件に大岡がインスピレーションを受け書き上げた短編である。小幡は小説にはなったが、作家としては消えてしまったのである。
栗原の『〈盗作〉の文学史』の調査によれば、その後、小幡亮介は『群像』一九八一年七月号に「欲望」を発表し、それから約十年にわたり沈黙を守り、『群像』一九九一年九月号に「森の奥で」を発表している。ただし、単行本として一冊にまとめられることはなかった。小幡に文学的才能がなかったかといえば、そうではないようである。三田誠広は『新しい書き手はどこにいるか』(河出書房新社)で「欲望」を取り上げ、次のように評価している。
《それにしても、うますぎると、と私は思う。そして、うますぎる、とひとに感じさせるのは、結局は、表現がうまくいっていないのではないか、という気がする。だが、怖ろしいほど才能のある人だ。次作を、期待する》
怖ろしいほどの才能をもってしても、デビュー作における「盗作」の汚名は雪げなかったのである。二度あることは三度ある。果たして北条裕子には、どのような運命が待ち受けているのだろうか。
今度が三度目ということになる。
激賞された北条裕子「美しい顔」
「美しい顔」は新聞の文芸時評では絶賛されていた。例えば東京新聞では佐々木敦が褒めちぎっている。こんな具合だ。
群像新人賞受賞作の北条裕子『美しい顔』(『群像』6月号)は、大変な力作だ。「選考委員激賞」とあるのを横目で見つつ、どれどれお手並み拝見といった気分で読み始めて、すぐさま瞠目した。そのまま熱に浮かされるようにして一気に読み終えてしまった。これはちょっと相当に凄い小説である。力作と書いたが、まさに言葉に宿る「力」が尋常ではない》
選考委員が激賞しているからといって別に驚くには値しない。「永遠に一日」のときもそうだったし、完全盗作の「殉教秘聞」にしてからが錚々たる選考委員は寺内大吉の「女蔵」とたった三か所を除いて同じものであっても、誰も気づくことなく激賞したと言われている。佐々木敦は、こうまで書いている。
《しかも、作者は実は被災者ではないのだ。北条裕子は東京都在住であり、あの日も、あの日からも東京に居て、これまで被災地に行ったことさえないのだという。しかし、それでも彼女はこの小説を書いたのだし、書けたのだ。書く必要があったのだ。このことはよくよく考えてみるにたることだと思う。これは才能の問題ではない。なぜ書くのか、何を書くのか、というのっぴきならない問題なのだ。小説を書くことの必然性の問題なのだ》
佐々木ばかりではない。毎日新聞が掲載している田中和生文芸時評は「マイッタ」で始まる。批評家としてテキストに切り込むことを放棄して、テキストを前に降参してしまっている? 昨今、文学界において批評家は絶滅危惧種なのだろうか。参ってしまうのは私たち読者である。
《マイッタ。
第六十一回群像新人賞を受賞した、北条裕子の長篇「美しい顔」(『群像』)を読んだ感想だ。新人賞受賞作であることを忘れ、気がつくと作品に強く引き込まれて、激しく感情を揺さぶられた。ついに二〇一一年に起きた東日本大震災を「表現」する作品が登場したと言っていい》
《フィクションこそ現実にかぎりなく接近できる、という小説の起源以来の逆説を証明しているがゆえに、震災後における小説の可能性を示す作品になっている》
群像新人賞受賞のスピーチで北条裕子は文学をほとんど読まないと発言したようだが(本来、ここいら辺りから首を傾げても良いと思うのだけれど)、「週刊読書人ウェブ」で坂口周はこの発言を踏まえて次のように書いている。
《スピーチでは、文学をほとんど読まない、と言っていたが、「書く」側だけの文学との付き合い方をすると、ベタな問題意識に絡め取られて気が付かない場合も多い。例外はいくらもあるだろうが、私の経験則に基づけば、読まない人は書き続けること(書くべきことを生み続けること)が難しい》
しかし、この文章につづくのは、
《誤解なきよう付け加えるが、当選は当然の出来だと思った。同じ語尾を反復して叩き付ける文体や、虚構の「私」に憑依した語りの熱量に抗いがたい魅力がある。読書していた機中で涙したくらい。また、気が動転していく描写を一人称で平気で書き切る蛮勇をみると、小説形式の本来的な自由さを再認させてくれもした》
という文章である。それでも、これに「が、書くことで「憤り」を昇華した今、なお書き続けられるのか、ということである。余計な心配に終わればいい」と加えたのは、坂口の批評家としての最低限の「抵抗」なのだろう。
結論は急がないが、坂口の心配とは別の意味で、北条裕子は「なお書き続けられるのか」という問題に直面することになる。
参考文献未掲載と言い張る天下の講談社
最初に気がついたのは読売新聞であった。読売新聞は二〇一八年六月二九日付で「芥川賞候補作に参考文献つけず、掲載誌おわびへ」を掲載したのである。講談社群像新人文学賞を選考委員に激賞され受賞し、芥川賞候補にもなった北条裕子の「美しい顔」に関して、「講談社は、同作を掲載した文芸誌「群像」6月号に参考文献の一覧をつけていなかったなどとして、7月6日発売の同誌8月号におわびの文章と参考文献を掲載する方針」なのだと読売新聞は書いたのである。
《震災直後の被災地や遺体安置所の様子などについて、石井光太さんのノンフィクション『遺体』(新潮文庫)や、被災者の体験記をまとめた金菱清編『3・11 慟哭の記録』(新曜社)などを参考にしたとみられる部分があり、参考文献が示されていなかったという》
講談社では「参考文献をつけなかったことに加え、被災地の描写にほかの著作物と類似した表現があったことを著者とともにおわびしたい」としている》
「被災地の描写にほかの著作物と類似した表現があった」とは、つまり「類似」の程度によっては「盗用」の可能性が部分的にではあれ、あるということではないのかと私は読売新聞の記事を読んで思った。新聞の文芸時評で絶賛されていることからすれば、北条裕子の「美しい顔」が小説として並々ならぬ「力」を持っていることは間違いないにしても、参考文献の一覧とお詫びを発表しなければならないような事態を何とか事前に避けることはできなかったのだろうかとも思った。佐々木基一が小幡亮介の「永遠に一日」を擁護するにあたって、多様な語彙を動員してみせた「『剽窃』を考え直す」を思い起こしていた。その点を谷沢永一に揶揄されることも含めて……。
朝日新聞デジタルは「芥川賞候補作、参考文献示さず類似表現 掲載誌でおわび」を掲載し、「参考文献は以下の通り」だとしている。
《『3・11 慟哭の記録』(金菱清編/東北学院大学震災の記録プロジェクト、新曜社)▽『メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大震災』(丹羽美之、藤田真文編、東京大学出版会)▽『ふたたび、ここから 東日本大震災石巻の人たちの50日間』(池上正樹著、ポプラ社)▽文藝春秋 2011年8月臨時増刊号『つなみ 被災地のこども80人の作文集』(森健取材構成)》
新聞は抑制した表現を選択していたがネットメディアやソーシャルメディアは違った。かつて佐野眞一の盗用疑惑を徹底的に追及したことのある荒井香織は次のようなツイートを連続して投稿していた。
《北条裕子(芥川賞候補)の盗作&剽窃疑惑、『群像』編集部は問題部分の対照表を自主的に作り、速やかに発表したほうがいいだろうな。そして新人賞も速やかに返納したほうがいいだろう。グズグズしてると、どこかのライターが盗用対照表とか作って大騒ぎし始めるかも》
芥川賞事務局は北条裕子の候補作を取り下げたほうがいいんじゃないかなあ。あるいは群像編集部から申し出て辞退したほうがいいのでは。盗用が発覚した小説を選考会にかけたってしょうがないだろ》
《しっかし、芥川賞候補作が盗用ってスゲー話だな。北条裕子とかいう作家は厚かましいにもほどがあるなあ。石井光太氏は大震災直後から被災地でハードな取材して作品を書いたわけで、被災地に一度も足を運んだことがない作家がその人の文章をパクるなんて、開いた口がふさがらないぜ》
『群島と大学―冷戦ガラパゴスを超えて』『〈群島〉の歴史社会学小笠原諸島硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界』『近代日本と小笠原諸島―移動民の島々と帝国』で知られる石原俊は次のようなツイートを投稿していた。
芥川賞候補者の「剽窃」問題。文系研究者間の「剽窃」は著作権法上違法でなくても厳しい制裁を受ける。リファレンスのルールが厳格だからだ。他方、その基準が甘いノンフィクションや評論等のジャンルの作家が、研究者の長年の調査成果を上手に「剽窃」する事例を何度もみてきた。ええかげんにしとけよ》
《実にセコいやり方で研究者の地を這うような調査成果をお上手に「奪って」いく「剽窃」まがいに手を染めてきたノンフィクションライターや評論家は、Twitter上を含め、そこらへんに何人もいますよ。「左派」「リベラル」「良識派」とみられている人物も含めてですね》
これは文化人類学者の磯野真理のやはりツイッターにおける指摘だ。
《改ざんは意図的にやらないと起こらない。一方盗用は、「このくらいならいいや」という著者側の甘さに起因し、それを放置すると、もっと派手な盗用が次から次へと起こることがあるという。
これは学問の世界の話だけど、小説はどうなんだろう。
ちなみに私は、人との会話から得たインスピレーションも必ず参考文献に入れなさいというトレーニングを、修士の時に受けました。
他の研究者のアイデアや言葉を無断で、もしくは適切な表示なく流用することも盗用
ちなみに悪気がなかった、というのは理由にならないそうです。なぜならこれは研究者として当然身につけておくべき心得だから》
「文学」は「盗用」「剽窃」に甘く、「学問」は厳しいのだろう。
東京新聞が6月30日付で掲載した「芥川賞候補作 複数の類似表現 講談社『群像』におわび掲載へ」は、こう書いている。
芥川賞直木賞を主催する日本文学振興会は「対応を検討中で、候補から外すかどうかも含めて何も決まっていない」としている》
毎日新聞は6月29日付で「芥川賞候補 北条さん小説、他作品と類似表現 出版元謝罪」を掲載し、こう書いている。
芥川賞の選考会は同月18日に開催。賞を主催する日本文学振興会は「現在対応を検討中」としている》
共同通信文芸時評を連載し、「美しい顔」を奥行きある震災文学として評価している阿部公彦のツイートである。
《北条裕子さん「美しい顔」(『群像』6月号)の無断借用問題。この作品、私も共同通信文芸時評でとりあげています。作品の芯となる「いらいら」「怒り」の部分が借用でなければいいな、と思っています》
『旅』の元編集者にして紀行エッセイストの竹内正浩はただ一言ツイートしている。
《まるっきり剽窃じゃないか》
講談社によれば石井光太のノンフィクション『遺体』(新潮文庫)に大きな示唆を受けていたということだが、石井のノンフィクションは小説家を刺激するようだ。石井自身がこんなツイートをしている。
《『ウェンディのあやまち』(美輪和音)という小説が送られてきた。幼児置き去り餓死事件を題材にしたミステリー。拙著『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』が参考文献だとか。わざわざこう記してくれるのは嬉しい。ストーリーも面白いです》
石井は今回の件をどう考えているのだろうか。朝日新聞デジタルは6月29日付で「新潮社『修正を含め対応要望』 芥川賞候補作の類似表現」を掲載している。
《石井さんは北条さんと講談社から謝罪文を受け取ったとし、「東日本大震災が起きた直後から現地に入り、遺体安置所を中心として多くの被災者の話を聞き、それぞれの方の許諾をいただいた上で、まとめたのが『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)です。北条裕子氏、講談社には、当時取材をさせていただいた被災者の方々も含め、誠意ある対応を望んでいます」と書面で述べた。
新潮社ノンフィクション編集部は「複数の類似箇所が生じていることについては、単に参考文献として記載して解決する問題ではないと考えています。北条氏、講談社には、類似箇所の修正を含め、引き続き誠意ある対応を求めています」とした》
ちなみに、石井光太の『遺体』について講談社ノンフィクション賞選考会選評(同作は落選)で野村進はこういって痛烈に批判している。
《この人は、社会的弱者への共感ではなく、むかしの見世物小屋的な指向で題材を選んできたような気がします。しかも徹底的に取材しているわけでもない。とりわけ、海外にいて反論できない社会的弱者を晒し者や作り話のネタにしてもいいのかと私は思いますね。
第一、題材がこんなに重いのに、内容はなぜこんなに類型的で予定調和的なのでしょうか。このようなテーマでのノンフィクションの量産は事実上不可能なのに、なぜ次から次へと出せるのか。ようするに単なるネタ扱いで苦しむ人々に正面から真筆(引用記事の誤植ママ)に向き合っていないためではありませんか》
石井光太の『遺体』は、そもそも批判の目を向けられがちな、フィクション傾向の強い作家による作品であるということも含めて考える必要があるかもしれない。選考会では野村進のみならず、高村薫立花隆といった選考委員から『遺体』はノンフィクションとして否定されてしまったが、芥川賞候補にまでなった小説の圧倒的リアリティを支えるパーツの役割を果たしているという事態をノンフィクションの側はどう考えるかという問題も今回の件を通じて浮上して来ているはずである。
『3・11 慟哭の記録』(新曜社)の金菱清は、こうツイートしている。
《社会科学の場合はアウトなのですが、小説の場合はかなり難しい問題だなと思いました。今回当事者として関わって、どちらに転んでもあまりスッキリしませんね》
フィルモアイーストの角田奈穂子は『私の夢まで、会いに来てくれた』(朝日新聞出版)で金菱清と仕事をしているが、「芥川賞候補『美しい顔』(北条裕子さん作)の参考文献問題について」を同社のホームページで発表している。次のような指摘を踏まえるのであれば、これは著作権の侵害があったかどうかという問題に矮小化してはならない問題であるのかもしれない。
《今回の問題で注目すべきは、『遺体』は石井さんが取材を重ねて書いたノンフィクションですが、『慟哭の記録』は、震災を経験した71名の「手記集」ということです。『遺体』は石井さんの取材力があってこそ、ですが、ある意味、起こった事実を吸い上げて文章化した、という点では、フィクションとノンフィクションの違いはあっても、「美しい顔」と同じ土俵であると言えないことはないと思います。
が、手記は違います。その人にしか書けない文章なわけで、一字一句がその人自身です。『慟哭の記録』の価値はそこにあるわけですし、他の震災本とは違う稀有な存在だと思っています。その本から、たとえ一部であっても、手記の書き手が心情を語った言葉を使って小説を書くというのは、やはり許されないのでは?と思うのです。
場所や日付け、科学的データなど、公に認められている事実関係ならともかく、人の心の中を借りてきて書くというのは、アリなんだろうか。小説なら許されるのだろうか、と、私は文芸の出版には門外漢なので悩むのですが、やはり今回の件については、過去の事例とは違って許されないだろうと思ってしまうのです》
小谷野敦のツイートも紹介しておこう。
《北条裕子は「小説を書くのは罪深いことだ」とか書いていたが一般的には罪深くはない、あんたが罪深いだけだ》
ツイッターには、こんな声も投稿されていた。
講談社って、新人の小説家を育てる気がないんだろうね。今回の北条裕子さんの小説「美しい顔」だって、参考文献は本人に聞けば分かることだし、そもそも被災地に行ったことがない人間が震災を題材に小説を書くって、参考文献があるに決まっているじゃないか。なぜ群像編集部はその確認を取らない》
《そんなに手間のかかること?一流出版社の一流社員はそんなことも想像できないの?》
問われていたのは、北条裕子の作家としての倫理であり、講談社の版元としての見識にほかならなかったのである。
権力を身にまとった言葉を振り回す
講談社は、六月二九日以降つづく群像新人文学賞当選作である北条裕子の「美しい顔」についての各社報道等に関して、次の通りコメントを発表した。
《『群像』2018年6月号に掲載した第61回群像新人文学賞当選作、北条裕子氏の「美しい顔」における小誌の参考文献未表示の過失についてお詫びいたします。本件については7月6日発売の同8月号巻末に告知を掲載します。告知文面は別紙の通りです。
6月29日以降の一部報道により、本作と著者について中傷、誹謗等がインターネット上等で散見され、盗用や剽窃などという誤った認識を与える文言まで飛び交う事態となりました。
これらの不当な扱いによって、本作と著者およびそのご家族、新人文学賞選考にあたった多くの関係者の名誉が著しく傷つけられたことに対し、強い憤りを持つとともに、厳重に抗議いたします。
今回の問題は参考文献の未表示、および本作中の被災地の描写における一部の記述の類似に限定されると考えております。その類似は作品の根幹にかかわるものではなく、著作権法にかかわる盗用や剽窃などには一切あたりません。
石井光太氏著『遺体 震災、津波の果てに』との類似点は弊社の調査により発見し、石井氏に事情説明に赴きました。以後、石井氏および同氏の代理人である新潮社に対して、著者とともにできうる限りの誠意を尽くして協議を行ってまいりました。
しかし、協議を続けている中で、6月29日の新潮社声明において、「単に参考文献として記載して解決する問題ではない」と、小説という表現形態そのものを否定するかのようなコメントを併記して発表されたことに、著者北条氏は大きな衝撃と深い悲しみを覚え、編集部は強い憤りを抱いております。
北条裕子氏の作家としての将来性とその小説作品「美しい顔」が持つ優れた文学性は、新人文学賞選考において確たる信により見出されたものです。上記の問題を含んだ上でも、本作の志向する文学の核心と、作品の価値が損なわれることはありません。
今後弊社としては、甚大なダメージを受けた著者の尊厳を守るため、また小説「美しい顔」の評価を広く読者と社会に問うため、近日中に本作を弊社ホームページ上で全文無料公開いたします。
なお、他の参考文献の著者および関係者の方々に対しても、誠意をもって協議させていただく所存です。
また本件に関する詳細な経緯説明も、追ってご報告させていただきます》
「群像」8月号の巻末に掲載される告知は次のようなものである。
《【群像八月号告知】
小誌二〇一八年六月号P.8〜P.‌75に掲載した第六十一回群像新人文学賞当選作「美しい顔」(北条裕子)において描かれた震災直後の被災地の様子は、石井光太著『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)に大きな示唆を受けたものです。主要参考文献として掲載号に明記すべきところ、編集部の過失により未表記でした。
文献の扱いに配慮を欠き、類似した表現が生じてしまったことを、石井氏及び関係各位にお詫び申し上げます。
また、東日本大震災の直後に釜石の遺体安置所で御尽力された方々に対する配慮が足りず、結果としてご不快な思いをさせたことを重ねてお詫び申し上げます。
本作の主な参考文献は以下の通りです。
北条裕子「美しい顔」群像二〇一八年六月号 主要参考文献
『遺体 震災、津波の果てに』石井光太(新潮社)
『3・11 慟哭の記録 71人が体感した大津波原発・巨大地震』金菱清編/東北学院大学 震災の記録プロジェクト(新曜社
『メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大震災』丹羽美之/藤田真文編(東京大学出版会
『ふたたび、ここから 東日本大震災石巻の人たちの50日間』池上正樹ポプラ社
文藝春秋二〇一一年八月臨時増刊号『つなみ 被災地のこども80人の作文集』(企画・取材・構成 森健/文藝春秋)》
毎日新聞記者でBuzzFeed Japanも経験している石戸諭は「リスクと生きる、死者と生きる」(亜紀書房)の著者であるが次のようにツイートしている。
《「お詫び」はしているけど、かなり挑戦的は(註 な、が正しいと思われる)発表文。要するに法的には問題ないし、新潮社が求めた「修正」要求に反論したいということ→疑惑の芥川賞候補作「美しい顔」講談社が全文公開へ 「盗用や剽窃にあたらない」》
石戸の「『お詫び』はしているけど、かなり挑戦的は(な)発表文」という言い方は講談社を相当慮ってのことであろう。居丈高な言い回しだし、上から目線も甚だしく、正直に言えば、私は、この文章を読んで吐き気を催したものである。
群像新人文学賞の下読み選考にかかわった仲俣暁生フェイスブックで次のように述べていた。
講談社の説明と抗議は論理的におかしい。他の文献を参考にしたこと、配慮を欠く表現で利用した箇所があること、しかしそこは作品の根幹ではないこと、ここまで認めておいてなぜ、簡単な修正に応じないのか。むしろ作者は自ら望んで手を入れたがるはずではないか。新人作家がその能力ないし意欲を欠くか、あまりにそのような箇所が多くて作品を維持できないか、どちらにせよ、現状の作品をそのままネット公開されたら、新潮社は対抗手段を取らざるを得なくなる。せめて選考委員とは協議したのか。新人作家を盾に背水の陣をいきなり敷いてどうするよ》
次のような投稿がツイッターにあったことを当時、例えば講談社の乾智之広報室長あたりは認識していたのだろうか。
《北条裕子「美しい顔」の参考文献をめぐって講談社が声明発表。その内容が「文学は偉いんだからお前らごちゃごちゃ言うなようるせーな。全文公開してやるからお前らの得意な検索であら捜ししてみろよ。負けねぇから」と完全なマッチョ。平成最後の年はいろいろあるな》
講談社の本音としては「ちっくしょー、文句つけられたせいで美人純文学作家の売出しができねけじゃねえかよ。『ジニ』も思ったより話題になんねーしよ。そもそも文学なんてみんなパクリだろ。サンプリングだとかキュレーションだとかほざいてるだろ。とにかく文学は偉いんだからな!」なのでは》
こんなツイートもあった。
《そもそも小説って、参考文献を表示すれば他人の作品の文章を模写できる分野だったのだろうか?科学の分野だけでなく小説の分野にもコピペで評価を得られると思っていること自体が資質も含めて大きな問題ではないですか?今更謝罪して済む話なんだろうか》
こんなツイートもあった。
《今回わかったことは作者が問題だということだけでなく、講談社がそれ以上に独善的で傲慢主義に満ちあふれた時代錯誤出版社であったということだ。その世間とのズレが結局文学の衰退に繋がり、大きく孤立していく危機感の欠如になっていることさえ理解出来ないようだ》
「足で聴く姿勢」を劣化させた講談社広報室にこうした民衆の声が届けられることはあるまい。
毎日新聞は7月2日付で「芥川賞候補 別の類似の出版社・新曜社『誠意ある対応を』」を掲載している。
芥川賞候補になっている北条裕子さん(32)の小説「美しい顔」の文章の一部が既刊本と類似している問題で、新曜社(東京都千代田区)は2日、同社刊の『3・11 慟哭の記録』と十数カ所似た表現があると指摘し、「誠意ある対応を求めたい」「開かれた議論が求められている」などとコメントした》
毎日新聞によれば『3・11 慟哭の記録』の編者である金菱清は新曜社を通じ「単なる参考文献の明示や表現の類似の問題に矮小化されない対応を、作家と出版社に望みたい」とコメントしていた。金菱の態度は、このときより今日に至るまで一貫している。『3・11 慟哭の記録』の版元は、偶然にも栗原裕一郎の『〈盗作〉の文学史』と同じ新曜社であった。
蛇足ながら、この頃、私は新潮社の「第17回 女による女のためのR-18文学賞」の一次選考通過作品に北条裕子の名前を発見した。北条裕子は「あなたが合コンへ行く件について」をもって、この賞に応募していたのである。「美しい顔」は純文学の系列に属する作品だが、とあるが、さすがに「あなたが合コンへ行く件について」は違うであろう。北条裕子は作家になれるのであれば純文学だろうが、エンタメ文学だろうが何でも良かったのである。そういう器用さが北条裕子の作家としての持ち味だというべきか。こうした資質は「永遠に一日」の小幡亮介には残念ながらなかった……。
(つづく)