【文徒】2019年(令和元)8月7日(第7巻141号・通巻1561号)

Index------------------------------------------------------
1)【記事】「表現の不自由展」中止と芸術監督・津田大介の「当事者性」
2)【本日の一行情報】
3)【深夜の誌人語録】
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1)【記事】「表現の不自由展」中止と芸術監督・津田大介の「当事者性」

「週刊春デジタル」は国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が展示中止公表当日の8月3日(土)から8月5日(月)まで、「慰安婦』少女像の展示に賛成ですか? 反対ですか?」と読者に問う緊急アンケートを実施したところ、回答者の74.9%が「反対」と答えたそうだ。中止になっていなければ「反対」の数字はもっと高かったかもしれない。
https://bunshun.jp/articles/-/13292
そうした「空気」が社会に充満するなかで国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」という場で「表現の不自由展・その後」という企画展を実施するには、相応なリスクがともなうことを主催者サイドは覚悟していたのだろうか。有本香ではないが芸術監督をつとめる津田大介の矜持が問われるのは当然のことである。確かに津田大介のこの間の「言論」は丹治吉順がツイッターで指摘しているように評価されて然るべきだろう。
津田大介さんとは20年近い友人だし、ツイッターをするよう勧めてくれたのも彼なので(果たすべき義務を果たしたうえで)気持ちをケアしてほしいと思う。
少なくとも彼がいなければ、著作権保護期間は2006年段階で延長されていた可能性大だし、ダウンロード違法化ももっと安易に導入されていたはず。》
https://twitter.com/tanji_y/status/1157862073226842112
しかし、私には何か物足りなかったのである。私が物足りないと感じた部分を恐らく百田尚樹は次のように見ているのだ。
《愛知トリエンナーレの事件に対して、津田大介に対する非難の声が大きいが、私は彼は確信犯ではなく、反日左翼に利用されただけだと思う。
で、なければ、会見であそこまでうろたえて、半泣きにはならなかったはずだ。
アホのお飾りがいいように使われたのだろう。哀れや。
もっとアホは大村知事。》
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1158193709516595200
《ふと津田大介の身になって考えた。
朝日などの左翼メディアに持ち上げられてはいるが、twのフォロワー200万以外、何の実力も業績もないことは自分が一番知っている。今のうちに何か実績を残さないと、いずれ化けの皮が剥がれて食えなくなる。
今回はそんな彼の焦りが反日組織に利用されたのだろう。》
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1158232973189079041
百田は、この間の津田大介の言動を踏まえて、こうしたツイートを投稿しているのだろうが、百田には津田の芸術監督としての言動と行動が「確信犯ではなく、反日左翼に利用されただけ」のように見えたというのである。「表現の不自由展・その後」というコンテンツと津田の間に距離感があることを百田は「反日左翼に利用されただけ」と了解したのではないだろうか。私には、そのような消し難い疑問がある。
確かに「三角大福中」の時代であれば、たとえ大衆の74.9%が「反対」のイベントでも、保守政権党の側から過剰な反応を諫める動きが出て、開催中止を騒ぐ声を収集する役割を果たしたことだろうが、情況は大きく変わってしまっていた。「春オンライン」は8月5日付で「「政治と芸術」の密接な関係を議論する好機を逸してしまった 『慰安婦少女像アンケート』辻田真佐憲氏コメント」を公開している。
《それでも、与党の政治家からも「表現の自由は守る」「必要な手段は講じる」「脅迫には屈しない」などと強いメッセージが発信されれば、ここまで早期に中止とはならなかったかもしれません。しかし、現実はそうした発言は少なく、あってもたいへん弱々しいものでした。日本社会の成熟度は、遺憾ながらその程度ということなのでしょう。今後、芸術祭以外のさまざまなイベントに波及は必至です。》
https://blogos.com/article/395951/
最近の与党政治家の言動を見れば、辻田真佐憲が期待するようなメッセージなど発信されないであろうことは、充分に想像がつく。何しろ大村章愛知県知事の「行政や役所など公的セクターこそ表現の自由を守らなければいけないのではないか。自分の気に入らない表現でも、表現は表現として受け入れるべきだ」という常識的な発言が突出したものに見えてしまうほどだ。
そうした空気が社会を覆っているからこそ、「表現の不自由展・その後」は企画されたのではなかったのだろうか。「あいちトリエンナーレ2019」はテーマに「情の時代」を掲げているのは、そうした空気に「芸術」を対置させようとしたからではなかったのだろうか。
私が気になってならないのは津田大介の「当事者性」である。この「当事者性」が津田には脆弱であるように思えてならないのである(20代の私であれば「当事者性」などと乙に澄ますことなく「党派性」と書くだろう)。
次に掲げるのは「表現の不自由展・その後」の中止が決まって以降の津田のツイートである。
《行政の化事業の場合、説明責任も生じるため安易なコールセンター化もできず、現場はジレンマの塊でした。特設電話作っても大きな事業だと問い合わせがまず本体に来るし、そこから誘導する形だと電話が塞がり本来の業務ができないという問題は解決しないという……。この脆弱性どうするかですね。》
https://twitter.com/tsuda/status/1157803866122903552
《もちろん公開する選択肢もありましたしあのFAX以外にも脅迫やテロ予告と取れるものはありましたが、それを丸々公開すると犯人や見た人を刺激して更に危険が高まるためやめた方がいいと警察に止められているんです。FAXはネット経由で匿名化されて送られていましたね。手段をよく知ってる人の犯行です。》
https://twitter.com/tsuda/status/1157805658554527744
《「表現の不自由展・その後」は全体企画の1つでしかなく、事務局に確認した正式な予算は420万円です。この部分に対し、民間の方から寄付の申し入れがあり、寄付で全額賄うこととしております。》
https://twitter.com/tsuda/status/1157839533116837889
《あいちトリエンナーレ2019の参加作家72組から声明が発表されました。本来は作品に焦点が当たらなければならない局面で政治問題化させたことの責任を痛感しています。残りの会期で「芸術祭の回復と継続と安全が担保された上での自由闊達な議論の場」を作りたいと思っています。》
https://twitter.com/tsuda/status/1158566227012276224
津田のツイートを読んでいて私がイラつくのは、津田の書きっぷりからすれば、企画展「表現の不自由展・その後」はどこか「他人事」なのである。「自分事」として捉え、自らの見解を述べることは一切していない。これが津田の流儀なのだろう。ある意味、津田は「プラッテフォーマーの時代」の申し子であるのかもしれない。
大塚英志事務所が連続ツイートを投稿している。このアカウントは津田にはプラットフォーマー的な発言が目立ち、自分の表現の自由が損なわれたという感覚に乏しくないかと疑問を呈しているのだが、私もこの一連のツイートに同意する。
《1 「不自由展」問題整理。今回毀損された「自由」は①個別の作者②この展示を直接立案した人々③②にオファーし自分が芸術監督を務めるイベントに組み込んだ津田大介の3つのレイヤーからなる。津田は①②の表現を守る責任があるが③として自分の表現の自由守らねばならない。》
《2 しかし発言を仄聞する限り「議論の場を提供」的なプラットフォーマー的な発言が目立ち、イベント自体の責任が今は前に出ているのかもしれないが、事態を「想定外」という当事者性のない人が繰り返した言葉で形容するなど、自分の表現の自由が損なわれたという感覚に乏しくないか。》
《3 津田が会見で菅・河村の発言は影響なく中止の原因は脅迫としたが背後にある「この空気」を彼らは異論を抑えるため利用してきたのであり彼らに屈してないと言いたいのかもしれぬが、津田があくまでセキュリティーの問題に集約することで「公権力と表現の自由という一番の本質論が損なわれている。》
《4 エロ表現の自由が原則論として守られるべきなのは、表現の公権力からの自由は民主主義を担保する以上、いかなる条例や刑法で規制され処罰の対象になるのは正しくないということ。「芸術ゆえの自由」「二次創作だけは自由」は「表現に自由」論の前提をかく。》
《6 「表現の自由」を制限するのは「ほかの人の人権との衝突を調整するための原理」としての「公共の福祉」。ヘイトが制限されるのはそれ故。しかし「人権」を根拠とする「公共」に対し「国家」「日本」という「公」(と称するもの)が「公共の福祉」にとってかわりつつある。これが大きな問題。》
《7 今回の不自由を容認すると政治的言論や思想の公権力による制限が可能になる。恐らく今の時点でも世論の何割かは「反日」思想を処罰・制限する法律が出てきても容認するのではないか。何もそこまで広げなくてもと思うかもしれないが、「表現の自由」問題は常に「そこまでの問題」。》
《8 ウェブ以前なら「表現に自由」は学者や芸術家や思想家など「作者」という特別な人々の問題に見えたがSNSで誰でも表現できる以上、「表現の自由」は建前や綺麗事でなくあなたの問題。かつて作家やメディアに求められた表現をめぐる権利と責任が否応無く付いてくる。》
https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1158190641949507585
https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1158190643350364160
https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1158190645955067904
https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1158190647334981632
https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1158190648631025666
https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1158190649872490496
https://twitter.com/MiraiMangaLabo/status/1158190651063713798
(引用者注・上記ツイートは非公開で、承認フォロワーのみに表示される)
8月5日に「8.2『表現の不自由展』粉砕行動声明」が発表されている。こっちは何と「なごやトリエンナーレ」だぜ!
《我々は、津田氏からの超芸術的連携の打診を受け、「表現の不自由展」粉砕行動を決行した。それによって、「表現の不自由展」超芸術的に完成させるためである。「表現の不自由展」は、率直に言って人民の「情」を煽る政治的プロパガンダであろう。だが、それが美術館の展示に留まる限り、表現の問題に再び収斂されてしまう。弾圧された「騒音の夕べ」を「表現の不自由展」に展示してしまっては、それがいかに高度であっても再びアートに取り込まれるだけなのである。我々はそれを拒否する。我々は、「表現の不自由展」そのものを弾圧することで、「表現の不自由展」を我々の超芸術的プロジェクトの一環とする。真の意味で「情」を打ち破り、無上/無情の時代をこの地に降臨させるために。》
https://www.nagoyatriennale.info/8-2-kogi
こういう「当事者性」が津田大介には欠如しているのである。「なごやトリエンナーレ」は早くも粉砕する対象を失ってしまったのである。嗚呼!

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2)【本日の一行情報】

◎「あいちトリエンナーレ2019」に参加する国内外72組のアーティストが声明を発表した。「ウェブ美術手帖が全を掲載している。
《私たちは以下に署名する、あいちトリエンナーレ2019に世界各地から参加するアーティストたちです。ここに日本各地の美術館から撤去されるなどした作品を集めた『表現の不自由展・その後』の展示セクションの閉鎖についての考えを述べたいと思います。
津田大介芸術監督はあいちトリエンナーレ2019のコンセプトとして「情の時代」をテーマとして選びました。そこにはこのように書かれています。
「現在、世界は共通の悩みを抱えている。テロの頻発、国内労働者の雇用削減、治安や生活苦への不安。欧米では難民や移民への忌避感がかつてないほどに高まり、2016年にはイギリスがEUからの離脱を決定。アメリカでは自国第一政策を前面に掲げるトランプ大統領が選出され、ここ日本でも近年は排外主義を隠さない言説の勢いが増している。源泉にあるのは不安だ。先行きがわからないという不安。安全が脅かされ、危険に晒されるのではないのかという不安。」(津田大介情の時代』コンセプト)
私たちの多くは、現在、日本で噴出する感情のうねりを前に、不安を抱いています。私たちが参加する展覧会への政治介入が、そして脅迫さえもが──それがたとえひとつの作品に対してであったとしても、ひとつのコーナーに対してであったとしても──行われることに深い憂慮を感じています。7月18日に起きた京都アニメーション放火事件を想起させるようなガソリンを使ったテロまがいの予告や、脅迫と受け取れる多くの電話やメールが関係者に寄せられていた事実を私たちは知っています。開催期間中、私たちの作品を鑑賞する人びとに危害が及ぶ可能性を、私たちは憂い、そのテロ予告と脅迫に強く抗議します。
私たちの作品を見守る関係者、そして観客の心身の安全が確保されることは絶対の条件になります。その上で『表現の不自由展・その後』の展示は継続されるべきであったと考えます。
人びとに開かれた、公共の場であるはずの展覧会の展示が閉鎖されてしまうことは、それらの作品を見る機会を人びとから奪い、活発な議論を閉ざすことであり、作品を前に抱く怒りや悲しみの感情を含めて多様な受け取られ方が失われてしまうことです。一部の政治家による、展示や上映、公演への暴力的な介入、そして緊急対応としての閉鎖へと追い込んでいくような脅迫と恫喝に、私たちは強く反対し抗議します。
私たちは抑圧と分断ではなく、連帯のためにさまざまな手法を駆使し、地理的・政治的な信条の隔たりを越えて、自由に思考するための可能性に賭け、芸術実践を行ってきました。私たちアーティストは、不透明な状況の中で工夫し、立体制作によって、テキストによって、絵画制作によって、パフォーマンスによって、演奏によって、映像によって、メディア・テクノロジーによって、協働によって、サイコマジックによって、迂回路を探すことによって、たとえ暫定的であったとしても、それらさまざまな方法論によって、人間の抱く愛情や悲しみ、怒りや思いやり、時に殺意すらも想像力に転回させうる場所を芸術祭の中に作ろうとしてきました。
私たちが求めるのは暴力とは真逆の、時間のかかる読解と地道な理解への道筋です。個々の意見や立場の違いを尊重し、すべての人びとに開かれた議論と、その実現のための芸術祭です。私たちは、ここに、政治的圧力や脅迫から自由である芸術祭の回復と継続、安全が担保された上での自由闊達な議論の場が開かれることを求めます。私たちは連帯し、共に考え、新たな答えを導き出すことを諦めません。》
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/20295

日本漫画家協会事務局も8月5日付で声明を発表した。
《「表現の自由」とは、本当に天邪鬼な代物です。
大切に掲げ、しっかりとつなぎ止めようとする私たちの手を、時に鋭利な刃物のように、あるいは醜く腐臭を放つ汚物のように振る舞い、胆力を試してきます。
しかし、それはもう一方で、私たちの「知る権利」を照らす礎なのですから、痛みに顔をしかめ、鼻をつまみながらでも手を離すわけにはいきません。
今回のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」において暴力行為の予告により、展示物が撤去されたことを残念に思います
展示物に関して多くの意見や感想が飛び交う事こそ、表現の自由うたわれている我が国の多様性を表すものです。
政治的な圧力ともとれるいくつかの発言も心から憂慮します。
意見や感想、自由な論争以前に、暴力に繋がる威嚇により事態が動いた事が、前例とならないように切に願います。》
https://www.nihonmangakakyokai.or.jp/?tbl=information&id=7971

◎「表現の不自由展・その後」が中止になったことは新聞の社説でも取り上げられた。
京都新聞は8月5日付で「少女像展示中止  悪い前例にならないか」を掲載している。
《観客やスタッフを危険にさらさない、という判断は理解できる。しかし電話をした人の中に、会場で展示を見た人がどれほどいたのだろうか。ネットを通じて不正確で断片的な情報が広がったのが、実際ではないか。
 展示を見ていない人の声で、これから見学しようという人たちの知る権利や学ぶ権利が奪われた、ともいえる。》
https://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20190805_4.html
琉球新報は8月5日付で「愛知芸術祭展示中止 『表現の自由』守る努力を」を掲載。
《日本は戦後、言論・表現の自由が封殺され道を誤った戦前の反省に立ち民主主義の歩みを続けてきたが、その基盤は決して強固ではない。展示中止の経緯を検証し、議論を深めなければならない。》
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-966044.html
沖縄タイムスは8月5日付で「[愛知芸術祭 企画展中止]脅迫こそ批判すべきだ」を掲載。
《2017年にうるま市で開かれたイベントで、米軍機墜落事故をモチーフにし、一時非公開になった「落米のおそれあり」も含まれていた。》
《「表現の不自由展・その後」は15年に東京で開かれた小規模な展覧会「表現の不自由展」が原形である。日本の「言論と表現の自由」が脅かされているのではないか、との危機感から始まった。
今回の企画展は、その続編の位置付けだ。中止になったことで不自由展がまた一つ重ねられ、日本における表現の自由の後退が国際社会に示されたと言わざるを得ない。
主義主張は違っても、作品によって喚起される問題を自由闊達に議論すること。これこそが健全で民主的な社会だ。表現の自由を萎縮させ、奪う社会は極めて危険だ。》
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/454271
毎日新聞は8月6日付で「『表現の不自由展』中止 許されない暴力的脅しだ」を掲載。
《過熱する抗議の電話は、芸術祭の実行委員会だけでなく、愛知県庁や協賛企業にまで広がった。事務局の電話は鳴りやまなかったという。
自分たちと意見を異にする言論や表現を、テロまがいの暴力で排除しようというのは許されない行為だ。こういった風潮が社会にはびこっていることに強い危機感を覚える。
政治家の対応にも問題がある。少女像を視察した河村たかし・名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる行為」などとして、展示の中止を求めた。
また、菅義偉官房長官は、化庁の補助金交付の是非について検討する考えを示した。
暴力によって中止に追い込もうとした側が、政治家の発言を受けて勢いづいた可能性がある。》
https://mainichi.jp/articles/20190806/ddm/005/070/088000c
朝日新聞は8月6日付で「あいち企画展 中止招いた社会の病理」を掲載。
《菅官房長官柴山昌彦部科学相も、芸術祭への助成の見直しを示唆する発言をした。共通するのは「公的施設を使い、公金を受け取るのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではない」という発想である。
明らかな間違いだ。税金は今の政治や社会のあり方に疑問を抱いている人も納める。そうした層も含む様々なニーズをくみ取り、社会の土台を整備・運営するために使われるものだ。
まして問題とされたのは、多数決で当否を論じることのできない表現活動である。行政には、選任した芸術監督の裁量に判断を委ね、多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められる。その逆をゆく市長らの言動は、萎縮を招き、社会の活力を失わせるだけだ。》
https://www.asahi.com/articles/DA3S14128795.html
信濃毎日新聞は8月6日付で「表現の不自由展 自粛を広げないために」を掲載。
《津田氏自身「抗議の殺到で中止せざるを得なくなることも予想していた」とする。日韓関係が悪化した時期に重なった事情はあるにせよ、事前の検討は十分になされたのか。展示が憎悪の感情をあおり、結果的に政治の介入を招いたとすれば責任は重い。
今回の一件が表現活動を萎縮させたり、展示の自粛につながったりすることは避けなくてはならない。表現の自由について議論する格好の機会でもある。中止に至るまでの経緯と問題点を検証し、公表するよう実行委に求めたい。》
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190806/KT190805ETI090004000.php

KDDIとともにインターネットスポーツメディア「SPORTSBULL」(スポーツブル)を運営して来た運動通信社は、電通博報堂DYメディアパートナーズ、ミクシィ講談社、プロサッカー選手の本田圭佑が手がける個人ファンド「KSK Angel Fund」を引受先とする7.4億円の第三者割当増資、およびスポーツブルのコンテンツ調達、広告ビジネス、新規事業開発の強化を目的に資本業務提携を締結した。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000018536.html
運動通信社の黒飛功二朗代表取締役社長は電通出身。
https://mainichi.jp/articles/20180912/azn/00m/050/000000c
https://cyclestyle.net/article/2017/01/27/45043.html

◎「WEB女性自身」が「京アニ武本監督死去でフジ誤報『あんなアホいない』と伝える」を発表している。
《4日放送の「Live News it!」では今も多くの人が訪れる献花台の様子を伝え、武本さんら犠牲となった人たちについての追悼コメントを取材。そのなかで、武本さんについて「あんな天才はいない」と悼む同級生の声を伝えていた。だが、テロップではなぜか【『らき☆すた監督の同級生も『あんなアホいない』追悼】となっていたのだ。》
https://jisin.jp/domestic/1762573/
番組内でフジテレビはテロップに間違いがあったと訂正したが、「天才」を「アホ」と間違えては怒りの声がSNSで上がるのは当然のことだろう。

藝春秋は俳優の仲村トオルと女優の鷲尾いさ子を両親に持つモデルのミオにとって初のデジタル写真集「ミオ BIRTH」(撮影/安珠)の配信を8月9日より開始する。価格は500円。
https://www.crank-in.net/news/67417/1

◎「レコードチャイナ」は8月5日付で「韓国で初刷りわずか400冊のSF小説『三体』が日本ではなぜか大ヒット―中国メディア」を公開している。
《「三体」は発売当日に日本のアマゾンの芸作品ランキングで1位になり、初版1万冊が完売した。日本の多くの書店が「三体」を目立つ場所に置き、書棚にあった見本さえ売り切れた書店もある。わずか1週間で定価2052円のSF小説がたちまち10刷に達し、発行部数は8万5000冊になった。》
《アジアの言語環境でならもっと大きな反響があるだろうという予想を裏切り、本はさっぱり売れなかった。「韓国で出版された当時は、たった400冊しか売れなかった。4000冊でなくて400冊だ」という。》
https://www.recordchina.co.jp/b734108-s10-c30-d0063.html

東京メトロJR東日本が共同で制作・展開しているシリーズ広告「TOKYO SPORTS STATION」のコピーに違和感を抱いた乗客は多かったのではないだろうか? 曰く「いよいよ1年前に迫った東京2020オリンピック・パラリンピック」。「1年前」ではなく、「1年後」なんじゃないの。
J-CASTニュース」が「『いよいよ1年前に迫った』五輪広告に違和感の声 国語辞典編纂者・飯間浩明氏の見解は」を公開している。飯間は次のように発言している。
《「主語は迫ってくる五輪の方で、『五輪が私たちから見て1年前まで迫った』と考えると、納得はできます。ただやはり珍しい用法です」》
《「『開催まであと1年』『あと1年に迫った』であれば自然だったと思います」》
https://www.j-cast.com/2019/08/05364374.html?p=all
制作サイドは誰も、このコピーに疑問を抱かなかったのだろうか。広告マンにとって主語はオリンピックであることはわかるけれど、生活者を置いてけぼりにするようなニュアンスは嫌だな。

◎ビデオリサーチインタラクティブによれば2019年上期にスマホ向けインストリーム広告を出稿した広告主で推定インプレッション数が第1位の広告主は「ネスレ日本」。2位「Netflix、3位「花王」、4位「明治」、5位「資生堂」とつづく。
https://www.videoi.co.jp/news/190801.html

◎俳優の佐野史郎が絵本を出版した。「WEB女性自身」が「俳優ならではの表現が秀逸!佐野史郎が書いた『怪談えほん』」を公開している。
https://jisin.jp/column/1762210/
絵本のタイトルは「まどのそと」で、作:佐野史郎、絵:ハダタカヒト、編集:東 雅夫という布陣で岩崎書店より刊行された。
https://www.iwasakishoten.co.jp/special/kaidan/07961/

朝日新聞デジタルは8月5日付で「記事掲載した少女は架空の人物 毎日新聞が『おわび』」を掲載している。
毎日新聞は5日、2018年に掲載した記事で紹介した少女が実在しなかったと発表した。「誤った記事を掲載し、心よりおわびいたします」としている。》
https://www.asahi.com/articles/ASM85655WM85UTIL02W.html
J-CASTニュース」が「毎日新聞、『架空の少女』取材で謝罪 『今後は正確な報道を心がけます』」を公開している。
毎日新聞紙面(東京4版)によれば、不備があったのは18年4月7日夕刊1面に掲載した「悩み伝えるシール いじめ受けた10代が販売」との記事。
いじめを受けた経験がある10代の少女2人が、悩みや苦しみを表すためにシールを作り、ネット上で販売したことを紹介したが、1人の少女が架空の人物だった。販売責任者が19年8月5日にブログで、弁護士の調査の結果、「40代半ばの女性が少女になりすましていた」可能性があると経緯を説明し、発覚したとしている。》
https://www.j-cast.com/2019/08/05364376.html

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3)【深夜の誌人語録】

大きさが人を堕落させ、駄目にする。