『はじめてのはたらくくるま』の増刷を中止
講談社から昨年11月に発売された3〜6歳児向け乗り物図鑑『BCキッズ くわしい解説つき! はじめてのはたらくくるま 英語つき』が「増刷中止」に追い込まれた。同書の編集を担当した講談社の子会社たる講談社ビーシーの公式サイトは7月22日付で「BCキッズ『はじめてのはたらくくるま英語つき』につきまして」を発表した。
《弊社が編集いたしました「はじめてのはたらくくるま 英語つき」(2018年11月講談社発行)20ページ〜25ページの記述につきまして、以下の通り、お知らせ申し上げます。
今回「はじめてのはたらくくるま」のなかで、「くるま」というカテゴリーに入らない乗り物、武器としての意味合いが強い乗り物が掲載されていることに関しまして、読者の皆様方からご指摘やお問い合わせをいただきました。
この件につきまして、弊社は当該の書籍が3〜6歳という未就学児を対象とした「知育図鑑」として適切な表現や情報ではない箇所があったと考えております。本書についてはこれ以降の増刷は行わないこととしました。
今後、皆様方のご指摘やご意見を活かして、「図鑑」のジャンルに限らず、書籍の編集、発行をする際には、より細心の注意を払い、適確な情報を読者の皆様に届けられるよう、一層努力して参る所存でございます。
株式会社 講談社ビーシー》
全29ページ中6ページに渡って自衛隊の装備が紹介されるというページ構成からして幼児向けの絵本としては異様だし、戦車をはじめとした陸上自衛隊が装備している戦車などは、(戦車がどういう「はたらき」をするかといえば人を殺す武器であるにしても)まだ「はたらくくるま」ということもできるだろうが、航空自衛隊の戦闘機や海上自衛隊の潜水艦は、どう考えても「くるま」には当たるまい。戦闘機は「はたらくひこうき」であろうし、潜水艦は「はたらくふね」か…。要するにこの「知育図鑑」は自衛隊に限って「はたらくふね」や「はたらくひこうき」も堂々と掲載しながら、タイトルに「はたらくくるま」と謳うには明らかに無理がある。きつい言い方をすれば、これは「フェイク図鑑」にほかなるまい。私などはそこまでして自衛隊の装備を紹介するには何か意図があってのことなのかと勘ぐってしまうクチである。
一方、講談社の公式サイトではこの件については一切触れていない。講談社には編集責任がないというお役所的な発想なのだろう。確かに編集責任は講談社にないのかもしれない。しかし、一般の読者からすれば講談社ビーシーも、講談社も区別はつくまい。何より、講談社に販売責任があるのは明白であるし、そもそも講談社ビーシーは書籍を刊行する際に講談社から許可されない限り、出せないのではなかったか。少なくとも講談社ビーシーが三推社と名乗っていた頃までは、そうだった。
いずれにしても講談社と講談社ビーシーの関係を考えれば、講談社と講談社ビーシーの連名で「お詫び」にあたる文章を発表すべきだったのではあるまいか。そうした真っ当な思考も今の講談社広報室にはできなくなってしまったと私たちは理解せざるを得ないのだ。広報を担当する役員は渡瀬昌彦常務であり、広報室のトップは常々自分はサラリーマンでないと豪語する乾智之室長である。
全ページの二割を自衛隊が占める
朝日新聞は7月24日付で「幼児向け『はたらくくるま』図鑑に戦車 不適切との指摘」を掲載した。
《同書は3〜6歳向けで、2018年11月に講談社が発行。子会社の講談社ビーシーが編集を担当した。全30ページのうち6ページで、自衛隊の装甲車両や戦闘機を取り上げたという。中には潜水艦など、車ではないものもあった。本の回収はしないとしている。》
この記事が私たちを驚かせたのは、講談社ビーシーの担当編集者が次のように話していることだ。
《様々な種類の車両を紹介したいとの思いだったが、幼児向けの知育図鑑としては適切でなかった。政治的な意図や要請があって掲載したわけではない》
『ViVi』の自民党タイアップ広告問題に続いて、乾智之室長率いる講談社広報室の決め台詞「政治的な意図はない」がここでも繰り返されているではないか!少なくとも、何らかの思想的な背景なくして、29ページ中6ページに渡って戦車や戦闘機など自衛隊車両を児童書で紹介することはないと考えるのがむしろ常識というものであろう。
大塚英志事務所が『はじめてのはたらくくるま英語つき』について次のようにツイートしている。
《幼児向け車図鑑に戦車。児童書に戦車等の兵器を求めたのは遡ると昭和13年内務省指示事項。科学戦に備えた啓蒙の一環。「爆弾、タンク、飛行機等」の「機能や本質」を伝えよ、とある。今後、「はたらくくるま」が「たたかうくるま」にならないとは限らない。》
《しかし「内務省指示事項」でさえ、5、6歳の子供には「健全」さ、や「母性豊かな」ものを、ぐらいの統制だったが講談社の絵本なんかの戦時下の自発的イケイケぶりを思い起こせば今回の一件は版元講談社の社風がこのご時世に呼応しよみがえったのだろう。》
《まあ、反応が薄いってことは「子供に戦車」のどこが悪いのってことなんだろうな。
でも「はたらくくるま」の中で唯一、「ひとをころすくるま」ですよ。「くにをまもるくるま」なんてゴマカシは言わないこと。》
「はじめてのはたらくくるま」というタイトルでありながら、「くるま」という概念を明らかに逸脱していても、30ページ中6ページにわたり自衛隊の「のりもの」が紹介されているのは、就学前の幼児の頃から、戦闘機や戦車など本質的には「ひとをころすのりもの」に慣れ親しませるという意図なくしてはあり得ないのではないだろうか。戦中期、そうした絵本で大儲けした出版社があったことを現在の講談社の経営陣は忘れてしまったのだろうか。
東京藝術大学の川嶋均は講談社ビーシー公式ホームページのお問い合わせ欄から次のような抗議を送信したことをフェイスブックで明らかにした。
《実際には自衛隊の兵器をずらりと満載した絵本を、『はじめてのはたらくくるま』というタイトルで、帯で表紙の軍用車両を隠して売るやり方は、非常に悪質だと思います。講談社は親や子どもをだまして商売し、軍国主義化に加担する、死の商人となってしまったのでしょうか?増刷中止の告知をホームページで拝見しましたが、それではまったく手ぬるいです。この恐ろしい本が幼い子どもたちの手に渡らぬよう、すべての書店・家庭から回収し、絶版・断裁処理までして初めて、企業として責任ある行動といえるのではないでしょうか?だまされて購入した被害者にもきちんとお知らせを送り、返金して対応してください。ほんとうに怒っています。この件、FB等でも発信し、抗議の声を広げていきます。》
産経児童出版文化賞を受賞した『もうひとつの「アンネの日記」』(講談社)の翻訳者で、絵本の翻訳も手掛ける、さくまゆみこ(青山学院女子短期大学教授)は自らのブログ「バオバブのブログ」に「『はじめてのはたらくくるま』(講談社)について」を7月5日付でエントリしている。
《◆『はじめてのはたらくくるま』について
子どもの本にかかわる人たちの間では、ただ今この本が「どうなの?」という話題になっています。『はじめてのはたらくくるま』(講談社)。3-6歳向けの乗り物絵本なのですが、表紙を見ると、バス、郵便車、シャベルカー、消防車、救急車などと並んで、銃を撃とうとしている自衛隊員を乗せた車(高機動車というのだそうです)が(本屋さんで見た人に聞くと、この自衛隊車はオビで見えなくなっているそうです)。
びっくりしたのは、それだけではありません。全30ページのうちの6ページを使って自衛隊の乗り物が紹介されています。最初の見開き「りくじょうじえいたい1」は、戦車のオンパレード。次の見開きが「りくじょうじえいたい2」で、水陸両用車、地対艦誘導弾発射機搭載車(ミサイルを発射できる車ですね)などが載っています。そして3つ目の見開きは「こうくうじえいたい」と「かいじょうじえいたい」で、戦闘機いろいろ(ステルス戦闘機も)とか、対戦哨戒機とかミサイル護衛艦とか潜水艦などが載っています。
◆まず「くるま」がおかしい
ちょっと考えても、戦闘機や潜水艦は「くるま」じゃないですよね。「はたらくくるま」の本を作ろうという企画の中で、飛行機や船は出てきません。こんな見開きがあることを考えると、最初から自衛隊の乗り物を載せる目的で作られたのかもしれないと思えてきます。
◆次に「はたらく」がおかしい
戦車や戦闘機の目的は、「はたらく」じゃなくて、「たたかう」とか「てきをころす」ですよね。小さい子どもは、働く車の絵本や図鑑が大好きです。だからタイトルを見て飛びつく親子もいると思います。で、楽しく見ているうちに、別の意識がすり込まれてしまう。それって、今の政権がいろいろな手を尽くしてもくろんでいることなのでは?》
講談社から刊行されている絵本の『ちいさなタグはおおいそがし』、『おつきさまは きっと』、『おかあさんと もりへ』、児童書の『奇跡の子』は、どれもさくまゆみこの翻訳である。
疑惑の知育図鑑
極めつけは漫画家の田川滋のツイートだ。田川は「編集協力費」を疑っている。
《講談社はファッション誌「ViVi」の自民党コラボ(自民党から広告費が出ていた事を後に認めた)の件もありましたけど、これもステルスな〝広報〟として予算の類が出ている可能性はありそう。》
漫画家のおおはしよしひこが田川のツイートに応じている。おおはしは「買取」があったのではないかと推測している。
《出版不況なので。最初から「話がついてて、何万部か買い上げてくれることになってる」「そんじゃあ出そう」ってパターンが多いと思います。奥付には何も書いてなくても。》
田川はおおはしに刺激されてか、更に踏み込んで次のような推論を立てている。
《「はたらくくるま」の件は表現の自由一般の問題と言うより本のつくりが詐欺的であり、それ以上に「不自然」である所が注意すべき点だと思います。なぜ、こう言う本が出来たのか。出版社サイドは他意はなかった的に説明しているが、自主的な理由だけでこう言う本を作ったとはいささか考えにくい。》
《表紙とその帯のつくりには「中では兵器を載せている事を気づかれない様にする」意図がありありと出ている。まずこれが詐欺的なところ。兵器ものりものの多様性の一つとして紹介しようとしただけと言うなら、表紙では隠そうとするのはおかしいだろう。》
《そして中で五分の一を割いて紹介しているのは「兵器としての車」ではなく「陸海空の自衛隊の装備」。これは〝自衛隊の広報〟。陸だけでなく海空も「紹介しなければならない」と言う前提が働いているので「くるま」を逸脱する内容になり、そのために作りの不自然さが「見て気づかれる」レベルになった。》
《「見て気づかれる不自然さをあえて回避していない」のは、自主的な編集だと考えるにはずいぶん不合理で、間抜けな話。
しかしそれが「外から押し着せられた必要性」なら、対価を得る仕事として合理になる。》
《本の中では海上保安庁の艦船も少し紹介しているが、これも、「はたらくくるま」の本になぜか「海上自衛隊の」艦船を載せている不自然さから「自衛隊」を薄めようとして「船が載っている」ことの不自然さをかえって増大させている。》
《こう言う作りになる一番合理的な理由は、「この本は幼児に向けて自衛隊の〝広報〟をそれを明記せずに潜り込ませようとしたものであり、と言う事はその対価(予算、買い上げ保障等)が外から版元に流れている」と言う可能性。
とするとその「対価」には公金が入っている可能性もある。》
《このあたりのことが「疑うに足る理由」のある作りに、この本は〝なってしまっている〟。》
《もし、予算なり初版の一定数買い上げの保証なりがあったとするなら、「もう増刷しない」と言う対応は予定の範囲であり、損害も無い、と言うものだろう。》
こうした疑問に講談社なり、講談社ビーシーはNOならNOとはっきりと答えるべきである。これは、おおはしのツイートだ。
《まあ、あんまり言うとアレなんですけど。「外からはわからないのですが、実はスポンサーがいます。そこからの依頼で、この本は作られました」「ちゃんと明記してある場合も多い。でも、よく見ないとわかんないよね、これ」実はかなり多いですね。特に最近多くなってる傾向。》
抗議したのは日共系婦人団体だけではない
取り敢えず今回の増刷中止に至るまでの経緯を振り返ってみよう。
『はじめてのはたらくくるま』が発売されたのは昨年11月のこと。奥付には平成30年11月15日とある。最初に「新日本婦人の会」が《絵本『はじめてのはたらくくるま』に戦車や戦闘機がズラリ》として4月18日付の機関紙で取り上げている。
5月16日には「子どもの本・九条の会」に所属する児童文学作家の浜田桂子、丘修三ほかのメンバーが講談社ビーシーを訪ね、同社取締役編集局長の本郷仁と編集長の寺崎彰吾と面談した。浜田桂子は日・中・韓の三国で同時刊行した『へいわってどんなこと?』(童心社)で知られているし、講談社からもイラストエッセイ『アンデスまでとんでいった』、絵本では『ぎりぎりトライアングル』、『まきこのまわりみち』を刊行している。丘修三は『ぼくのお姉さん』(偕成社)、『少年の日々』(偕成社)、『神々の住む深い森の中で』(フレーベル館)などで知られ、日本児童文学者協会で理事長もつとめたことのある児童文学界の重鎮である。
「絵本コーディネーター」で学校司書なども務める東條知美が7月24日付ツイッターで、『9ぞうレポート 号外』の写真を紹介していたが、浜田や丘たちは本郷取締役と寺崎編集長から「政治的な意図はない」「より多種の車を載せたかった」「売り上げを重視した」などと説明を受けたようだ。
詩人・童話作家で日本児童文学者協会のメンバーでもある詩人の内田麟太郎は、7月12日に行われた同会の理事会で『はたらくくるま』問題が議論されたことを翌日には自身のブログで明らかにしていた。内田も講談社と絵本の仕事をしている。『はくちょう』、『へいき へいき』、『ぶきゃ ぶきゃ ぶー』がそうだ。内田は書く。
《講談社ビーシーより発売されている写真絵本『はじめてのはたらくくるま』に、消防車やシャベルカーなどと一緒に、自衛隊の戦車やミサイル、フリゲート艦(また、水平に銃を構えている自衛隊員)などが〈働く車〉として紹介されていることが審議されました。講談社は先の戦争で子どもたちをもっとも戦争賛美に駆り立てた出版社でした。戦後の講談社の出発は、その反省から始まっていたはずです。親会社である講談社は、子供に向かって本を出すとはどんなことなのか、もう一度、戦中をふり返り考えていただきたいと思います》
その内田が7月23日の17時過ぎに「重版はしません」と題して、増刷中止に至る講談社ビーシーとの交渉の経過をブログで公表した。
《幼児絵本『はじめてのはたらくくるま』(講談社ビーシー)に、銃を構えた自衛隊員を乗せたジープや戦車などが、働く車として掲載されていることに、子どもの本・九条の会(代表・丘修三)、日本子どもの本研究会、親子読書地域文庫全国連絡会(代表・原良子)、そして私たちの日本児童文学者協会は、講談社ビーシーに、本で子どもに伝えるべきは、人種、性別、国境を越え、友情と平和を語り続けることではないかと、意見書や要請書を出してきました。
むろん、言論出版の自由の立場に立つ協会は、販売停止や絶版は求めていません。子どもの本を出すときの、その姿勢を問うたのです。講談社ビーシーより「重版はしない」という回答がありました。みなさんに報告させて頂きます》
講談社から『でりばりぃAge』、『プラネタリウム』、『ピアニッシシモ』、『スリースターズ』を刊行している児童文学・YA作家の梨屋アリエが7月23日19時過ぎ、講談社ビーシーによる増刷中止告知をツイッターでこう紹介した。
《児童文学界隈で問題されていた件。見解が出ました、(児童書ラブなツイッター民は知らないかもしれないので上げます)》
2009年に講談社から『「坂の上の雲」を読み解く! これで全部わかる秋山兄弟と正岡子規』を上梓している作家・文芸評論家の土居豊は増刷中止の決断を叱っている。
《これは講談社、日和ってはだかだ。戦車だって、立派な、はたらくくるま、の一つだろう? 自衛隊員の親はどうすればいいの?》
戦闘機や潜水艦など「くるま」とはいえない「のりもの」まで紹介していることを土居は承知しているのだろうか。こうした「くるま」や「のりもの」関連の絵本では講談社に限らず自衛隊とかかわりのある「くるま」なり「のりもの」が紹介されることはある。しかし、29ページ中6ページに渡って自衛隊が占めるということは、これまでなかったのではないだろうか。次のようなツイートもあった。
《「はたらくくるま」じゃなく「たたかうくるま」で一冊作って購買者に選ばせればいいよ》
こうした意見には一理あろう。
講談社とかかわりのある作家たちが抗議!
講談社ビーシーが増刷中止を決めたことを「共産党系組織が講談社『はじめてのはたらくくるま』に抗議し増刷中止に追い込んだ」と考えるのは陰謀論の類だろう。確かに「はじめてのはたらくくるま」に偏向のあることを最初に告発したのは日共系の「新日本婦人の会」の機関紙である。だが「はじめてのはたらくくるま」に問題があることを感じたのは「新日本婦人の会」だけではなかったのである。
私たちにしてもそうだし、電通OBでもある森隆一から何度かその名前を聞いていた映画監督の松井久子が7月7日にフェイスブックに次のように投稿している。松井は講談社から『ターニングポイント 「折り梅」100万人をつむいだ出会い』を刊行している。
《【お母さんたち、気をつけて!】
『はじめてのはたらくくるま』
昔からおなじみ、親が子どもに与えてきた「働く車」の図鑑だ。
この児童書を教えてくれたのはペンクラブの児童書委員長されている作家のドリアン助川さん。
パトカーや消防車、救急車、ショベルカーなど、3歳の子どものための働く車図鑑の30頁中6ページにわたって陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の戦車や航空機、潜水艦などが取り上げられている。
今の子どもたちは当たり前のように「戦争をする国」の働く車両として3歳から脳と心に植えつけられているのである。
しかも表紙に紹介されている高機動車は、自演隊員が乗っているばかりか機関銃さえ構えて戦闘態勢をとっている。
親が書店で買うときは、その写真が帯で隠されていて気づかないという巧妙さだ。
このように今の社会には気づかぬうちの洗脳が溢れている。版元の講談社は先日、自民党とタイアップで女性ファッション誌ViViの広告記事を載せ物議をかもした出版社だ。
このような老舗の出版物までもが政府の思惑に沿っているのだとしたら、親たちは子どもに与える本の一冊さえよほど注意して選ばねばならない。ほんとに恐ろしい時代になったものだ。》
講談社から『湾岸線に陽は昇る』を刊行しているドリアン助川が委員長をつとめる日本ペンクラブの「子どもの本」委員会やJBBY(日本国際児童図書評議会)でも『はじめてのはたらくくるま』は問題になっていたのである。
野上暁のペンネームで「おもちゃと遊び」(現代書館)や「子ども文化の現代史 遊び・メディア・サブカルチャーの奔流」(大月書店)などの著書を持つ小学館の元取締役である上野明雄がフェイスブックで、こう書いている。
《表紙に銃を構える自衛隊員の写真が掲載され、本文中には、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊の戦車や戦闘機、潜水艦までが、働く車として掲載されていたため、ペンクラブの「子どもの本」委員会やJBBYでも問題になって声明文や抗議文案まで作成したけど、各団体からの抗議や申し入れで、講談社は不適切だと認め今後は重版しないとネットで公表した。》
内田麟太郎もブログでこう書いている。
《幼児絵本『はじめてのはたらくくるま』(講談社ビーシー)に、銃を構えた自衛隊員を乗せたジープや戦車などが、働く車として掲載されていることに、子どもの本・九条の会(代表・丘修三)、日本子どもの本研究会、親子読書地域文庫全国連絡会(代表・原良子)、そして私たちの日本児童文学者協会は、講談社ビーシーに、本で子どもに伝えるべきは、人種、性別、国境を越え、友情と平和を語り続けることではないかと、意見書や要請書を出してきました。》
講談社の社員であれば内田のフェイスブックに大竹永介が「お恥ずかしい限りです」と書き込んでいることに感謝すべきだろう。このフェイスブックでの内田の発言は編集を稼業とする者であれば一字一句を頭に叩き込んでおきたい。例えば、こんなくだりがある。
《子どもを信じる。そうだと思います。でも、この論理を無条件に広げていったら、戦時下の児童文学者の責任も、童画家の責任も、出版社の責任も問えないのではないでしょうか。なぜなら、それらを最終的に選んだのは子どもたちですから。今回の件も、最後は子どもに選ばせる(子どもを信じる)のが答えならば編集者はいりません。
素材を売れるように配置するレイアウト担当者がいればいいだけですから。それではあまりにも編集者が哀れです。編集者の誇りは、「いい本を出したぞ」「この作者はおれが見つけたぞ」という自分の目(感性)に対する誇りでしょう。たとえ最後は読者が決めるにしても、それを選んだ自分がいるはずです。それこそがプロの誇りではないでしょうか。今回問われたのはこのことです。私たちは神の視点で絶版を求めたのではありません。編集者の、出版社の姿勢を問うたのです。すべての最終価値判断がすべて子どもに委ねられるのならば、どこにも批評は成立しないでしょう。
これこそ危険なことです。なぜなら批評は価値観をめぐる、言論の自由による漸進的方法だからです。だからこの場で論が興ったことを私はとても喜んでいます。終わりになりますが、(火野)葦平さんの自裁は、戦後世論が一転したからではないと思っています。
若い日に左翼運動にも関わっていた自分を、だれかに批判されたからでもなく、自分で自分を裁かれたのだと思います。このことにおいて葦平さんは哀れで、美しくわたしの中に居られます。藤田嗣治のことは、わがことを棚に上げ批判した者どもは論外としても、藤田には自分を自分で裁いた、自己の戦争責任を見つめ続けた、形跡がありません。ただ天才だけがいます。私は芸術家の矜持は認める者ですが特権は認めません。
藤田はアジアの死者を広島の死者を見続けた足跡がないのです。その画業の偉大さは認めます。その天才も。しかし、それであっても死者の問いに答えるべき自分がいるべきだったと考えています。ありがとうございました。》
松井久子は7月24日フェイスブックに次のように投稿している。
《先日このFBで取り上げた幼児向け乗り物図鑑「はじめてのはたらくくるま」についてはほんとうに沢山のいいね!やシェアをいただきましたが、先ほどお友達が「ネットニュースにこんな記事があったよ」と教えてくださったので、早速皆さんにシェアさせていただききます。
記事を読んでまず「そうか…増刷中止止まりで回収はしないんだ…」とは思ったけど、出版社が「不適切」と認めたことは大きいですね。
もちろん私の投稿が講談社の判断に影響したのではないにしても、やはりおかしいことにはおかしいと声を上げていくのは大事なんだと思います。》
「平和のための京都の戦争展」に展示されてしまった!
講談社から『楽園の鳥』を刊行し、泉鏡花文学賞を受賞した童話作家でもある寮美千子の次のようなツイートを読めば、「くるま」という基本からも逸脱した絵本であったことがわかる。
《講談社ビーシー「はじめてのはたらくくるま」には、自衛隊の戦車、水陸両用車、地対艦誘導弾発射機搭載車、戦闘機いろいろ(ステルス戦闘機も)、対戦哨戒機、ミサイル護衛艦とか潜水艦なども掲載していた。》
この寮のツイートに木のおもちゃと絵本とリラクゼーションの店「山猫軒」(別府)がリプライしている。
《講談社大丈夫か…。ま、福音館ではありえないけどね。》
「『愛国』の技法 神国日本の愛のかたち」や「『日本スゴイ』のディストピア 戦時下自画自賛の系譜」の早川タダノリのツイート。
《『はじめてのはたらくくるま』(講談社)到着。全28ページのうち問題になった6ページは、陸自が4ページで残り2ページで空自・海自・海保を紹介。ここであきらかに「くるま」じゃないものも登場。このバランス感はなつかしい旧軍の縄張り争いかよと。》
講談社ビーシーの「様々な種類の車両を紹介したいとの思いだったが、幼児向けの知育図鑑としては適切でなかった。政治的な意図や要請があって掲載したわけではない」という言い訳には《そうなんだー。てっきり「大日本雄弁会講談社の絵本」伝統の、幼少期からの軍事思想の涵養かとおもったー》と、きつ〜い一発を早川は見舞っている。
大塚英志のツイート。歴史は繰り返すのだろうか。
《幼児向け車図鑑に戦車。児童書に戦車等の兵器を求めたのは遡ると昭和13年内務省指示事項。科学戦に備えた啓蒙の一環。「爆弾、タンク、飛行機等」の「機能や本質」を伝えよ、とある。今後、「はたらくくるま」が「たたかうくるま」にならないとは限らない。》
東京新聞労働組合のツイート。
《幼児向けの乗り物図鑑
「はたらくくるま」に戦車や戦闘機?!
全30ページのうち6ページで
自衛隊の戦車や車両を紹介。
潜水艦や自走りゅう弾砲も…
「くるま」の図鑑ですらなくなってる。
本を作る過程で、だれも違和感を
覚えなかったのだろうか??》
そうした神経を麻痺させてしまっているのは本を作った講談社ビーシーのみならず、この本を売った講談社も同罪なのである。小説家にして医師の瀬川深が「note」に「その表現は誰かに労力をアウトソーシングしていないだろうか?」を公開している。
「安保法制に反対するママの会」の確か発起人をつとめていた西郷南海子がフェイスブックに7月25日付で次のように書いていた。
《【講談社『はたらくくるま』が増刷中止に】
一緒にお仕事させてもらった絵本画家の浜田桂子さんからご相談があり、昨年11月に出版された乗り物図鑑に、大量の戦車や戦闘機が載っているとのことでした。
浜田さんによれば「人間を殺傷しあう、戦争の道具としての車を載せないことは、児童書出版界の常識」だったそうです。
そして今日、新聞読んでたら、増刷中止になるとの記事が!
わたしもこの戦車の写真を見て、怖くなりました。
この砲弾は誰に向けられているのだろうかと。
絵本作家さんたちの働きかけに感謝です。》
この投稿に社会批評社の小西誠社長が次のように書き込んでいた。
《奄美大島・沖縄など、各地で「はたらくくるま」の展示が行われていますが、そこにも自衛隊は、どんどん進出して宣伝しています。講談社の書籍の増刷中止には注目したいですが、この状況にもめを向ける必要がありますね。》
講談社の絵本のタイトルは正確には「はじめてのはたらくくるま」である。「はたらくくるま」とタイトルの入った絵本を販売しているのは講談社だけではないのである。そして自衛隊は「はたらくくるま」というタイトルを掲げた広報イベントにも取り組んでいる。例えば岡山地方協力本部では11月には「はたらくくるま大集合」というイベントが企画されていることがわかる。このイベントは毎年開催されているようだ。
「はじめてのくるま」の増刷中止の報道が逆宣伝となって、「絵本・児童書(本) 週間ランキング」で第4位にランクインしてしまっている。
京都市の立命館大学国際平和ミュージアムで7月29日〜8月4日まで開催されていた「平和のための京都の戦争展」に講談社の絵本が展示されている。それは大日本雄弁会講談社時代の戦争礼賛絵本ではなく、『はじめてのはたらくくるま』が展示されているのだ!
渡瀬昌彦常務や乾智之広報室長こそ見学すべき展示であった。大日本雄弁会講談社を生き返らせてしまった現実を二人は直視すべきなのである。渡瀬常務は、「大衆は神である」を「現代ビジネス」で連載する魚住昭に、しっかりとこのことを報告すべきだろう。
『からだにやさしい旬の食材 野菜の本』の大失態
講談社、今度は実用書がしでかしてしまった…。朝日新聞デジタルが7月19日付で「健康被害の恐れ、コンフリーを紹介 講談社が書籍回収」を掲載した。
《講談社は19日、2013年発行の「からだにやさしい旬の食材 野菜の本」と、04年発行の「旬の食材 春・夏の野菜」で、健康被害をもたらす恐れがある植物「コンフリー」を食べられる野菜として紹介していたと発表した。希望があれば本を回収し、改訂版と交換する。1週間ほど前に社外から指摘を受け、判明したという。》
テレビ朝日も「『健康に良い野菜』実は食べちゃダメ!肝障害も」として報道している。
《講談社は「からだにやさしい旬の食材 野菜の本」に、厚生労働省が健康被害をもたらす恐れがあるとする野菜「コンフリー」を掲載していたとして、おわびしました。本にはコンフリーの特徴や栄養素のほか、「ゆでておひたしに」など調理法も書かれていました。国内では健康被害は出ていませんが、海外では肝障害が報告されているということです。講談社によりますと、現在、コンフリーは流通していないということですが、「確認作業に不備があった」としています。この本を含む2冊を回収・交換するということです。》
講談社は7月19日付で「『からだにやさしい旬の食材 野菜の本』に関するお詫びとお知らせ」を発表した。
《平素より弊社の出版活動にご理解とご協力をたまわり、まことにありがとうございます。
2013年5月発行の『からだにやさしい旬の食材 野菜の本』(編集:講談社エディトリアル 発行:講談社)の23ページにおいて、厚生労働省が、健康被害をもたらすおそれがあるとしている野菜が掲載されていることが判明しました。同省が、販売およびそれを含む食品の製造の自粛、製品の回収、一般消費者への摂取を控えることを留意事項として情報を提供した「コンフリー」です。
本書をお求めいただいたみなさまにご心配をおかけしますことを、深くお詫び申し上げます。
同書籍は、2004年3月発行の『旬の食材 春・夏の野菜』『旬の食材 秋・冬の野菜』の2冊を再編集したものですが、その際の確認作業に不備があったことに起因するものです。当該の野菜「コンフリー」は、『旬の食材 春・夏の野菜』23ページにも掲載されています。
現在、流通市場において「コンフリー」の販売は停止されておりますので、購入の可能性はほぼございませんが、もし何らかの経路で入手されたとしても、調理、摂取はお控えいただくようお願い申し上げます。
厚生労働省によれば、これまで、国内で健康被害の報告はないとのことですが、2つの当該書『からだにやさしい旬の食材 野菜の本』『旬の食材 春・夏の野菜』を回収・交換させていただきます。お手元にございましたら、お手数をおかけいたしますが、送料着払いにて下記宛てにお送りいただきますようお願い申し上げます。改訂した良品のお届け時期については、近日中に改めてご案内申し上げます。
〈交換に関するお問い合わせ先〉
株式会社講談社 業務部 03-5395-3615
受付時間 9:30〜17:30 *土日、祝日、弊社休業日をのぞく
〈送付先住所〉
〒112-8001 東京都文京区音羽2-12-21
講談社 業務部 「旬の食材 野菜の本」係
〈内容に関するお問い合わせ先〉
株式会社講談社エディトリアル 03-5319-2171
読者の皆様、関係各所の皆様に多大なご迷惑をおかけする事態となりましたことを重ねてお詫び申し上げます。今後はこうした事態が起こらないよう、細心の注意を払って編集活動に努めてまいります。 講談社
講談社エディトリアル》
6年も前に刊行された書物に「厚生労働省が、健康被害をもたらすおそれがあるとしている野菜」が掲載されていたことに今頃気がつき、いや、問題の「からだにやさしい旬の食材 野菜の本」は、「『旬の食材 春・夏の野菜』『旬の食材 秋・冬の野菜』の2冊を再編集したもの」だというから、15年以上もの長きにわたり、講談社は「厚生労働省が、健康被害をもたらすおそれがあるとしている野菜」である「コンフリー」を読者に「食材」として薦めていたことになる。今日に至るまで、そのことに気がつかなかったことが最大の問題であり、その点こそが厳しく問われねばなるまい。
現在、流通市場において「コンフリー」の販売は停止されており、購入の可能性はほぼないからといって、また国内で健康被害の報告はないからといって免罪されるものではないのである。15年もの長きにわたって読者に対して「嘘」の知識をばら撒いていたことが問題の核心部分である。
しかも、『講談社の動く図鑑MOVE 危険生物』87ページでタマカイの写真に誤りがあったことが、読者からの指摘によりわかったという一件があったが、今回も社外からの指摘で判明したということは、そこに似たような構図があったであろうことが推測できる。講談社の書籍編集のあり方に構造的な欠陥があるということだ。昨年は私たちの指摘により『解毒玉』の販売中止と店頭在庫の回収を行ったことも想起せよ!
そもそも『からだにやさしい旬の食材 野菜の本』や『旬の食材 春・夏の野菜』の担当編集者が気づかなかったということは、担当編集者はその編集コンテンツに関して当事者性が希薄であったということなのだ。こうした出版物の多くが外注によって編集されているということが、担当編集者の当事者意識を薄めてしまっているのではないだろうか。丸山真男の『日本の思想』を踏まえて言えば、主体性を喪失して無自覚に外力にひきまわされる講談社編集者の「精神」は無責任の体系に支配されている。
むろん問題はそこにとどまるものではあるまい。例えば講談社の編集部門のトップに君臨する渡瀬昌彦常務だが、私たちの公開質問状に一切、答えようとしないことと、「嘘」を15年の長きにわたって放置しておいてしまう体質の病根は同じではいのだろうか。その深刻さを理解しない限り過ちを繰り返しつづけるのではあるまいか。
だいたいホームページにこうした告知を掲出する程度のことで『からだにやさしい旬の食材 野菜の本』や『旬の食材 春・夏の野菜』の購入者にここに書かれたメッセージが届くと思っているのだろうか。それとも講談社の広報部門を牛耳る面々は、広報の仕事は隠してナンボという倒錯した広報観を抱いているのだろうか。広報担当の役員は渡瀬昌彦常務取締役であり、広報室長が乾智之であることは改めて確認するまでもないことであろう。
こんなツイートを発見した。
《講談社の『野菜の本』、回収&交換へ!厚労省が危険とする野菜「コンフリー」が掲載されていた!コンフリーって 子どもの頃によく食べていたよ。ところで、講談社って自民党&モデルたちとコラボしてた雑誌=『ViVi』を出してる出版社だよね。》
このようにして講談社は自らのブランド価値を毀損させていくのだろうか。現在の講談社には、誰かがしっかりと責任を取ることが求められているのである。しかし、渡瀬昌彦常務取締役がこれほどまでに地位に恋々とする人物であったとは…。残念でならない。自分はサラリーマンではないと私に豪語した広報マンよ! サラリーマンでないのなら、今こそ真骨頂を発揮すべきではないのか。講談社の創業110年は、トラブルに次ぐトラブルである。こんな講談社に誰がした!
歴史は何度も何度も繰り返す。今度は『週刊現代』が世紀の大誤報をやってのけてくれたのである。講談社は茶番や喜劇を繰り返しながら悲劇的な破局を迎えることになるのかもしれない。そんな予感さえして来る。講談社における「無責任の体系」は講談社ジャーナリズムをも蝕もうとしているのだ。
『週刊現代』7月27日号はモノクロのグラビアで『読売新聞・日本テレビのオーナーにしてCIAの協力者 正力松太郎 原子力と巨人を作った男』を8ページにわたって特集している。この企画の最後を飾るのは《1976(昭和54)年、広島東洋カープが悲願の日本一に。祝勝会では、正力の遺影を掲げる選手がいた。》という文章とともに遺影がデカデカと紹介される。
しかし、その選手が掲げている遺影は少なくとも正力松太郎でないことは、ここに至るまで掲載されている正力の写真と比べれば一目瞭然である。正力とは全然似ていないのである。更にいえば、若干の文学的知識なり、週刊誌ジャーナリズムの歴史をわかっていれば、それが誰かもわかるだろう。当時、佐々木久子とともに「カープを優勝させる会」を旗揚げした小説家の梶山季之である。
週刊誌を稼業とする編集者が正力松太郎と梶山季之の区別がつかなかったことに私は愕然とする。週刊誌の草創期に梶山はトップ屋グループを率いていた。そんな週刊誌ジャーナリズムの大先輩を正力松太郎と間違えてしまうとは!いくら講談社とはいえグラビアを飾る企画であれば何重にもチェックが入ろう。起きてはならない前代未聞の誤報をしでかしてしまったのである。
読売新聞との関係を考えれば、広報室とて無関心というわけにはいくまい。しかし、金曜日に刷り上がった『週刊現代』を手にして誰も気がつかなかったとすれば、講談社ジャーナリズムはいよいよ末期症状に突入したと言わざるを得まい。
あるいは大誤報と承知で、次の号で謝罪すれば良いだろう程度の認識で、この号を流通ルートに乗せてしまったとするならば、講談社は遂に悪徳商法に手を染めたことになる。回収するという発表は一切なされていない、嗚呼!講談社から危機感がまるで伝わって来ないのだ。来週、訂正を出せば、それでいいでしょ、というわけである。そうした弛緩した空気を社内に醸成してしまった責任は誰にあるのか。渡瀬昌彦常務ではないのか。講談社においては広報が全く機能していないと断定せざるを得まい。
間違いの根っこを絶たない限り、間違いは何度でも茶番として喜劇的に繰り返され、やがて取り返しのつかない悲劇をもたらすことになるだろう。それにしても、講談社と吉本興業は本当によく似ている。誰も責任を取ろうとしないのである。
『週刊現代』の件で私たちを驚かせたのは、正力松太郎と梶山季之の写真を間違えて掲載したことが新聞やテレビなどのマスメディアにおいても、ツイッターなどのSNSにおいても全くといって良いほど話題にならなかったことである。週刊誌ジャーナリズムの全盛期であれば、大騒ぎをしていたのではあるまいか。
世間で話題にならなかったからなのだろう。講談社は、この件に関しては「週刊現代」8月3日号に小さな小さなお詫び記事を掲載した。グラビアでも、目次でも、編集後記でもなく、「最高裁にいた2人の変態 さあ、どう裁く」なる記事の末尾に次のような「訂正とお詫び」を掲載したのである。
《7月27日号「正力松太郎 原子力と巨人を作った男」の32ページに掲載した写真は「1975年、広島東洋カープがリーグ優勝した際、祝賀会で作家・梶山季之氏の遺影を掲げる選手の誤りでした。訂正し、お詫びいたします。》
実は私たちは7月31日付文徒で次のように書いてしまっていた。この「訂正とお詫び」を発見できなかったのである。渡瀬昌彦常務取締役や乾智之広報室長には、心よりお詫び申し上げる。「文徒アーカイブ」に掲載する際には、この部分を削除することをここに約束いたします。
《◎それにしても講談社は『週刊現代』がモノクロのグラビア頁で梶山李之の写真を正力松太郎として掲載してしまった「大誤報」について、「お詫び」なり、「訂正」をいつになったら公にするつもりなのだろうか。今週発売の「週刊現代」には私が見た限りでは「訂正」も「お詫び」も掲載されなかった。そもそも今回の件について触れていたのは「週刊現代」OBの元木昌彦ぐらいなものであった。それほどまでにジャーナリズムとしては世間から相手にされなくなってしまったということなのだろうか。》
で、講談社の渡瀬昌彦常務取締役と乾智之広報室長は、残念ながら私たちの発した「問い」に一切答えようとしない。「論語」には「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」ってあるんだけどね。