東京電力の下河辺和彦会長人事について

東京電力の会長に下河辺和彦が就任することが内定した。下河辺は経営者ではなく弁護士だが、原子力損害倍賞支援機構の運営委員長をつとめており、その立場から東京電力のリストラ計画に中心人物としてかかわり、10年で3兆円の経費削減を東京電力に求めていた。東京電力に「改革」を迫った者が、自らその「改革」を実行しなければならないポジションに就いたということである。そういう意味では政府からすれば「適任」ではある。しかし、東京電力からすれば「招かざる客」という側面もあるだろう。東京電力が4月から企業向け電気料金の値上げを発表した際に下河辺は東京電力の西沢俊夫社長を運営委員会に呼び説明を求めたが、「毎日jp」(http://mainichi.jp/)によれば毎日新聞はこう書いている。

下河辺委員長は西沢社長に対し「(値上げを)機構に報告する機会がなかったことは極めて遺憾」と表明。顧客の理解や徹底したコスト削減を指示した。また、委員会後、記者団に対し「(値上げは)寝耳に水。もっと詳細な説明をいただきたい」と不快感を示した。

政府と東京電力の間に横たわる「深い溝」(4月21日付日本経済新聞社説「新会長の選出を機に国・東電の溝埋めよ」)を政府の側から埋めようという会長人事であったことが推測される。しかし、政府にとって下河辺が最初から意中の人であったわけではない。日経の社説によれば「候補の経営者OBが固辞したため」の「緊急登板」であり、「万策尽きた後の苦肉の人選にも見え、経営手腕への不安は残る」。予定よりも一ヶ月遅れての人事であった。とはいえ、下河辺の弁護士としてのキャリアを見るならば、「企業再生の専門家」であることは一目瞭然である。こんな具合である。更生会社(株)日本リース更生管財人代理、更生会社(株)ライフ更生管財人、更生会社大成火災海上保険(株)更生管財人、大成再保険(株)取締役社長、(株)産業再生機構社外取締役・産業再生委員、(株)ライブドア外部調査委員会委員、日本郵政(株)社外取締役・監査委員会委員。東京電力の「改革」とは「再建」に他ならず、「再建」のための政府の意向に沿った土台作りが下河辺の会長としてのテーマになるのだろう。土台作りが終了した時点で日経の社説が指摘しているように「経営のプロ」にバトンを渡すというのが政府の描くシナリオであるに違いない。むろん、東京電力の抵抗も予想されるし、どう転んでも下河辺は新聞が創りだす「世論」から批判されるはずだ。下河辺会長に対する期待が新聞の社説では既に真っ二つに割れている。

原発事故の賠償や料金値上げなど難問が山積する東電の先行きは厳しいが、何よりも新会長の最大の責務は安価で安定した電力供給にあることを銘記してもらいたい。
そのためには、原発の再稼働を進めつつ、ムダの排除などリストラも迅速に敢行すべきだ。  産経新聞4月21日付主張「東電新会長 原発再稼働へ道筋つけよ」

東電は、新潟県にある柏崎刈羽原発を2013年度中に再稼働することを前提として、業績の回復予測を立てている。
ところが、枝野経済産業相は繰り返し「脱原発」を目指す考えを表明している。担当閣僚の言動が早期再稼働への道筋を不透明にしているのは問題だ。
東電も経営陣の刷新を機に、原発の安全を再確認し、地元に理解を求めるべきである。  讀賣新聞4月20日付社説「東電会長人事 政府の迷走で改革遅らせるな」

産経、讀賣は下河辺に原子力発電所の積極的な再稼動を求める立場である。事実、原発の再稼動も電気料金の値上げもなければ、政府による1兆円もの資本注入―つまり私たちの税金の投入は、たった1年で食いつぶすことになるのだ。一方、朝日新聞毎日新聞東京新聞となると、相当ニュアンスが違ってくる。朝日、毎日は原発の再稼動は致し方ないとして、「脱原発依存」に向けた「改革」を下河辺に期待する。

下河辺氏は、東電の財務調査などを通じて、非効率な資材調達の実態や料金制度の不備といった電力産業の問題点をあぶり出してきた。
電力改革を進める枝野経済産業相らと考え方が近いのも利点だ。新たな電力体制に向けた「つなぎ役」としての大任を果たしてほしい。  朝日新聞4月20日付社説「東電会長人事―つなぎ役としての大任」

ここで言う電力改革とは発電と送電の分離も踏まえられているのだろうが、讀賣新聞の社説に言わせれば「発送電の分離は、電力の一貫供給体制を揺るがし、事業基盤を弱体化させるとの指摘もある。電力供給に不安のある状況下で強行すべきではあるまい。慎重な検討が求められる」ということになる。

再建には、原発事故やその後の対応で失った国民の信頼回復が欠かせない。新会長は、地域独占に甘えた経営体質の刷新を急ぐべきだ。  毎日新聞4月20日付社説「東電会長内定 経営体質の刷新を急げ」

地域独占に甘えた経営体質の刷新」という場合も発電と送電の分離が踏まえられているのだろう。とはいえ、朝日にせよ、毎日にせよ、条件さえ整えば原発の再稼動は是認するという立場であることが窺い知れる社説ではある。その点、東京新聞は下河辺会長の誕生じたい「脱原発」の後ずさりだと断定する。

東京電力新会長に原子力損害賠償支援機構運営委員長の下河辺和彦弁護士の起用が決まった。原発再稼働に積極的な民主党仙谷由人政調会長代行の意向を反映した人事だ。脱原発が危うくなる。  東京新聞4月20日付社説「東電会長人事 脱原発が後ずさりする」

東京新聞の想定している「脱原発」は、私からすれば「拙速な脱原発」としか思えないのだが、東京新聞の次のような視点は他紙の社説にないものである。

巨額の賠償を見込みながら、二〇一一年三月の財務状況を債務超過ではなく資産超過との結論を導き出している。燃料棒が溶けて漏れ出す最悪の過酷事故なのに、廃炉費用として計上した額は一兆一千五百億円。三十年はかかる廃炉費用などをあえて低く見積もり、東電を法的整理せずに存続を打ち出したとの疑念がぬぐえない。

東京電力の会長に最も相応しい人物は誰なのか私なりに考えてみた。拙速にして、極端な「脱原発」が現実的な選択肢としてあり得そうもないのであれば、福島第一原発の過酷事故を教訓としたうえで原子力=核エネルギー政策をより開かれたものにする以外はないだろう。そうだとすれば次のように発言する人物こそ東京電力の会長に最も相応しいのではないだろうか。

ならば、原子力をやめてしまえという声もあるかもしれない。確かに、生態系のシステムから生まれた化石燃料とは違い、原子力は「神をも恐れぬ技」かもしれない。手を引くべきだと主張している人を一方的に間違っているとは言い切れない。
ただ、いったん手を出してしまった以上、現実問題として、途中で放り出すことは容易ではない。そもそも日本が手を引いたところで、世界、特にアジアは原発が林立する時代を迎えようとしている。日本人は、このようなときだからこそ、自分の国が原子力の歴史の中でいかに特殊な立場にあるのかを考えるべきだ。
日本を除く原発推進国は、すべて軍事核を持ち、同時に平和利用を進めている。日本だけが非核国として平和利用に徹しつつ原子力技術を維持してきた。今放り出してしまうことは、国際社会において、平和利用だけの観点からこの分野で発言できる国が消えることを意味する。エネルギーは甘い世界ではなく、技術を放棄した国に発言力はない。日本はむしろ今まで築いた原子力関連の技術蓄積を維持し、かつ原発事故を通じて得た教訓をきちんと知識化し、世界に生かしてもらう方向を歩むべきなのではないか。

寺島実郎である。3月1日付ロイター「アジアの躍動と原子力に真正面から向き合え」(javascript:singlePageView();)での発言である。