ツイート備忘録  こんなこと呟いています!

エントリした時点では、さして反響もなく、二ヶ月近く経ってから話題になることがあるんだな。ブログって「検索メディア」の側面が強いのだろう。要するに「百科」でもあるわけか。レバー刺し問題では喰えなくなって初めて、どういうことなんだろうという関心が広がり始めているに違いない。 6月14日

マスメディアの関心は大飯原発に集中し、民衆の関心もマスメディアの報道に引き摺られている。その間、原発を40年で廃炉にするという政府が言っていた主張がなし崩し的に反故にされようとしている。核燃サイクルにしても、そうなる?「反対」が結局、「推進」の動きを隠蔽する構造があるのだ。 6月14日

新聞は国家の鏡なのではないでしょうか? 6月15日

僕は55歳になる。これからの人生が人の一生で醜いとは誰にも言わせない。若さは喪失してしまっているのだろうが、僕が僕である限り、どんなに痩せ細ろうとも希望は捨てない。その実現可能性ではなく、僕自身の人生における不可避性に寄り添いたい。孤立を友とし、なお連帯を敵とせずに、である。 6月15日

カミさんとのスキャンダルが噴出してから小沢一郎に好感を感じるようになった。彼の沈黙は西郷隆盛に匹敵するのではないか。ま、飲んでの戯言ですけれど。小沢としては原口か、細野を擁立できれば、思う壺なんだろうな。小沢の「分裂させる力」で、どこまで民主党を動かせるかなんだろうなぁ。 6月26日

新聞の軽減税率適用には断固反対したい。消費増税を紙面で煽ったのは、軽減税率適用を実現するための「ご奉公」ではまさかあるまいな。同じ法定再販商品であっても、新聞、雑誌、書籍はわけて考える必要がある。 6月26日

朝日新聞星浩なる人物は国民が政治に疑念を抱いているのは、消費増税衆院採決で与党から大量の造反議員が出た「政変」に原因があると本気で思っているのだろうか。国民が政治に疑念を抱いているのは総選挙を行わずに自民党公明党と野合してマニフェストにない消費増税を断行したからではないのか。 6月26日

野田佳彦マニフェスト選挙を「死」に追いやったという意味でも「おとなしいヒトラー」に相応しい政治家である。6月26日

消費増税で税収がどの程度増えるのだろうか。政府が想定しているほど増えないはずだ。むしろデフレ経済に拍車がかかる可能性すらあると思うのだが。中小零細企業の倒産も増えそうだし、自殺者も増えるのではないか。 6月26日

民主主義を「プラトン以後」で考えるのではなく、「プラトン以前」において、その可能性を考えることが大切なはずだ。 6月26日

今日の朝日新聞一面トップ記事の見出しは「『線量ゼロ』の子でも被曝」。読者を不安に陥れる扇情的なタイトルの記事である。このタイトルを読めば誰だって「線量ゼロ」であっても不安を抱くことであろう。しかし、毎日の斗ヶ沢秀俊がツイートしていたように何が問題で、何を言いたいのか意味不明である。 7月10日

ペプチドワクチンにかかわるスクープのときもそうだったが、朝日新聞は「医療」をテーマにすると、一般の読者からすると何が問題なのかすらわからない類の記事を得意とするようだ。ペプチドの一件などは、その後、裁判に発展したのだろうか。そうそう原発事故の際も、最悪の事態と叫ぶだけであった。 7月10日

朝日新聞の「大岩ゆり」という記者の名前は記憶にとどめておこう。新聞の記事を問題にする際、誰の記事であるのかにもっと関心を持つべきだと思う。大岩は自ら書いた記事が、私の言葉で言えば「被曝ファシズム」の温床になるということに気がつかないのだろうか。 7月10日

できるかぎり自分の頭で考えようと思ってブログをはじめた。どうしても新聞批判になりがちなのは、論説委員にしても、記者にしても自分の頭で考えていると私には思えないからだ。予め用意された「鋳型」に言葉を次々に嵌め込んでいって一丁あがりという記事や社説の何と多いことか。 7月10日

民衆からすれば「著作権」が弱ければ弱いほど良いんだよね。「著作権者」はそのことを理解しておくべきだと私は思う。 7月10日

集団的自衛権の問題とかも「なし崩し」で解釈変更をしてしまうのだろうか。民主党自民党化したことで、「戦前」が物凄くリアルになってきたのではないだろうか。「戦争」を期待する空気も醸成されるのかもしれない。 7月10日

誰かがツイートしていたが、「東京新聞朝日新聞化し、朝日新聞が読売新聞化し、読売新聞が産経新聞化し、産経新聞世界日報化」したと。確かにそういうところはあるなと民主党自民党化とともに納得した。読みたい新聞・雑誌はないし、投票したい政党もないと感じている人々は相当に多いはずである。 7月12日

菅直人は「原発ゼロは譲れない」と言っているが、それ以前に言うべきことがあるのではないだろうか。そもそも菅直人が「原発ゼロは譲れない」と偉そうに語るのは、戦犯が戦争責任を認めず平和を言うに等しいのではないか。 7月12日

福島第一原発の5号機、6号機の「廃炉」くらい決めないと「減原発」や「脱原発依存」の主張がリアリティを持つことはないのではなかろうか。更に言えば過酷事故を起こした1号機から4号機の耐震性はどうなっているのか。政府を信頼するに足る「情報発信」がまるでないのが現状だと私は思っている。 7月12日

新聞は「国家のイデオロギー装置」にほかならないが、読売新聞ともなると、その段階を易々と超え、「国家の権力装置」の役割を担うまでになっている。 7月13日